第325回 フィリピンの英雄に衰えは忍び寄っているのか ~マニー・パッキャオvs.ジェシー・バルガス~
11月5日 ラスベガス トーマス&マックセンター
WBO世界ウェルター級タイトルマッチ
ジェシー・バルガス(アメリカ/27歳/27勝(10KO)1敗 )
vs.
元6階級制覇王者
マニー・パッキャオ(フィリピン/37歳/58勝(38KO)6敗2分)
“Buzz”らない復帰戦
パッキャオの7カ月振りの復帰戦のファイトウィークが始まったが、アメリカ国内でも盛り上がっているとはとても言えない。
試合まであと2日の現地11月3日の時点でも、報道はごくわずか。ビッグファイト特有の“Buzz(興奮した噂話)”はほとんど聞こえてきていない。
将来の殿堂入りは確実のパッキャオも37歳を迎え、存在感の低下は明白。それと同時に、米メガケーブル局のHBOが今回のバルガス戦の中継を見送った影響はやはり大きいのだろう。おかげで好評を博してきた「“24/7”」をはじめとする煽り番組の放送は皆無で、全米各地でもビルボード広告は見受けられない。ある程度熱心なスポーツファンでも、今週末にパッキャオが試合をすることを知らない人も多いのではないか。
「未来を考えた上での試みだ。HBOはこれまで何度も同じことばかりを繰り返してきた。私たちはここで新しい方向性を目指し、放送席の人員や番組制作は変わってくる」
トップランク社のプロモーター、ボブ・アラムはそう語り、依然として自前のPPV中継の売り出しに意欲を見せている。
その言葉通り、トップランクは“ALL IN”と題したドキュメンタリーシリーズをネット上で盛んにアップ。PPV放送にはスティーブン・スミス、カリッサ・トンプソンといった人気キャスターを起用するという。
下降気味の人気と体力面
ただ、今回の興行がシカゴ・カブスの活躍で歴史的な注目を集めたワールドシリーズ直後に開催となったのは話題性の面で不運だった。UFC(11月12日)、セルゲイ・コバレフ対アンドレ・ウォード戦(11月19日)といったPPV興行も背後に控えており、加えて大統領選挙の直前でもあるなど、挙行のタイミングはほぼ最悪。総合的に見て、ビジネス面での苦戦は必至だろう。
パッキャオは過去にPPVで通算約1840万件を売り上げ、実に12億ドル以上の収益をあげてきた。米国籍ではないボクサーが、アメリカのリングでこれほどの成果を収めたことはほとんど奇跡だったと言って良い。しかし、そんなフィリピンの英雄の商品価値も黄昏期を迎えていることは明白。今戦でのパッキャオのファイトマネーはPPVの歩合次第(バルガスは280万ドルで固定)だが、その額が久々に1000万ドルを下回っても驚くべきではないのかもしれない。
もっとも、その一方で、「バルガス戦の試合内容は期待できるのではないか」という声もファイトが近づくにつれて増えている。
4月のティモシー・ブラッドリー戦でなかなかの動きだったパッキャオは、今回もコンディションは良好と伝えられる。27歳のバルガスは今がピークのタイトルホルダーだが、攻撃の幅の広さと経験値では元王者が遥かに上。左ストレートが良い感触でヒットすれば、12戦ぶりのKO勝利も可能に違いない。
ただ、気になるデータもある。フロイド・メイウェザー、ブラッドリーを相手にした過去2戦では、それ以前の5試合と比べ、パッキャオの1ラウンドごとの手数が56.0から36.2に、ヒット数が19.5から8.5に大きくダウンしているという。体力面で下り坂なのは否定し難く、それもあって、パッキャオの苦戦=両者が見せ場を作る好試合を予想する関係者は少なくない。
充実のバルガス、好ファイトに期待
「37歳になった未来の殿堂入りファイターがわずかに有利だろう。パッキャオが激戦の末に判定勝ちすると見るが、バルガスに勝機がないとは思わない。バルガスは鋭いジャブと、向上中の右パンチを持ち、打たれ強さも備えている。タイトルホルダーとして経験を積み重ね、彼の力を引き出せるデュウィー・クーパーというトレーナーとの関係も良好だ」
老舗リングマガジンのダグラス・フィッシャー記者がそう記す通り、上昇中なのはバルガスの方だ。昨年6月には試合終了間際にブラッドリーをKO寸前に追い込み(結果は判定負け)、今年3月には元ロンドン五輪アメリカ代表のサダム・アリを9ラウンドでストップして2階級制覇達成。特に最近のバルガスの充実ぶりは著しく、まだ伸びしろが残っていることも感じさせる。
「この試合の勝利をより強く望んでいるのは僕の方。馬力、スピード、そして若さと、僕はパッキャオに勝つために必要なものを備えている」
馬力、スピードはともかく、今戦に対するバルガスのモチベーションの高さを疑う関係者はいない。5月以降はフィリピン上院議員の勤めも果たしてきた37歳の老雄に気の緩み、急激な衰えがあった場合、波乱の可能性も出てきそうだ。
ゲンナディ・ゴロフキン対ダニエル・ジェイコブス、アンソニー・ジョシュア対ウラディミール・クリチコ、オルランド・サリド対三浦隆司……今秋は多くの好カードが企画されながら、諸事情で軒並み流れてファンをがっかりさせてきた。そんな2016年の締めくくりに、パッキャオが好ファイトで魅せてくれれば、せめてもの慰めにはなる。
2週間後のコバレフ対ウォードこそが今年度最大のビッグファイトだが、よりエキサイティングな内容、結末になる可能性が高いのはこちらの方か。不作の1年を少しでも盛り上げるべく、ファンをスカッとさせるようなパフォーマンスをパッキャオ、バルガスの両雄に期待したいところだ。
杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、NFL、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『スラッガー』『ダンクシュート』『アメリカンフットボールマガジン』『ボクシングマガジン』『日本経済新聞』など多数の媒体に記事、コラムを寄稿している。著書に『MLBに挑んだ7人のサムライ』(サンクチュアリ出版)『日本人投手黄金時代 メジャーリーグにおける真の評価』(KKベストセラーズ)。最新刊に『イチローがいた幸せ』(悟空出版)。