二宮: 前回1964年の東京オリンピック・パラリンピックでは東京・代々木第一体育館などを清水建設さんがつくられて、それがレガシーとして今も残っていますよね。2回目のオリンピック・パラリンピックをどのように迎えられるのでしょうか。

宮本: 私が何か言える立場ではないのですが、これからはどれだけソフト面で貢献できるものを整備できるかが重要だと考えています。

 

伊藤: 外形的な美しさはもちろんですが、それ以外に何か残るものをということですね。

宮本: たとえば私たちがお手伝いをしてできた新しいアイデアが、世界中に広がっていけばうれしいですね。運用面でも、私たちが提案した工夫によって"みんながひとつになれた"ということを発信できたらいいですよね。

 

二宮: 日本は世界でも有数の超高齢社会です。パラリンピックを目指して、障がい者のためにつくった施設、使う仕組みが超高齢社会においても有効で、レガシーとして残るのではないかなと思います。

宮本: それも大事なことだと思います。私もそうですが、年を重ねてくると、道を歩いていて、ちょっとしたところでつまずくのですよ。それは高齢になればなるほど、起こりうることです。

 

 バリアフリー化のきっかけに

 

二宮: 2020年のオリンピック・パラリンピックにおいて、成熟都市の東京が何をできるのかと、問われています。「東京は住みやすいね」と外国の方に言ってもらえること、世界のいろいろな問題を東京が解決していると感じてくれることが、真の成功だと思いますね。5年後のオリンピック・パラリンピック開催に向けて、宮本社長が目指しているものはありますか?

 

宮本: 2020年の招致が決まり日本が元気になりました。その恩恵を私どもは受けています。その中でどれだけ社会に還元していけるかが大切だと思うのです。その取り組みのひとつがSTANDさんとの連携ですが、そのほかにもバリアフリーのために外部の方々とも研究を進めていきたいと思っています。

 

二宮: オリンピック・パラリンピックのたびに社会にイノベーションが起きています。

たとえば冷凍食品は、1964年の東京大会で初めてできたと言われています。選手村の大量の食事をどうまかなうかということで、開発されたそうです。次のオリンピック・パラリンピックでは、バリアフリーでの技術革新が起きるのでしょうか。

宮本: そこが一番肝心なところだと思いますね。技術のイノベーションは、そういう機会がなくとも起きてくる。しかし、バリアフリーについては、きっかけがないとなかなか生まれない。東京がオリンピックもパラリンピックもきちっとやる、という考えがひとつのきっかけになる。そこに向けて、我々もバリアフリーでのイノベーションを起こしていければいいなと思いますね。

 

(おわり)

 

宮本洋一(みやもと・よういち)プロフィール>

1943年生まれ。67歳。東京出身。

71年東京大学工学部卒、清水建設入社。

建築本部工事長、耐震営業推進室長、執行役員北陸支店長、同九州支店長、専務執行役員営業担当などを経て、07年6月から現職。


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