日本に野球の独立リーグができて今季で8年目となる。リーグを経てNPB入りし、活躍しているのは選手だけではない。コーチや裏方のスタッフなどで華やかな舞台を支えている人材も数多くいる。今季、NPB審判員として採用された山村裕也もそのひとりだ。強肩強打のキャッチャーとして昨季は四国アイランドリーグPlus・徳島のリーグ優勝に貢献。リーグチャンピオンシップでMVPを獲得した25歳は今、2軍の試合で駆け出しの審判として奮闘している。審判の道を選んだ理由や、新しい仕事に対する思いを訊いた。
(写真:7月に開催されたアイランドリーグ選抜とフューチャーズの交流試合では主審を務めた)
――審判に採用されて半年以上が経ちました。プレーする立場から、ジャッジする立場に変わっていかがですか?
山村: キャンプから先輩の審判にいろいろと教えてもらって、ようやく少しずつ慣れてきた感じがします。今はイースタンリーグの公式戦や、フューチャーズの試合、プロアマ交流戦で主審、塁審をローテーションで担当しながら審判の基本を日々、勉強しているところです。

――お父さんの達也さんも元選手のNPB審判員。今回、史上初の親子審判として話題になりました。そもそも審判になる選択肢は考えていたのですか?
山村: 全くないですよ(笑)。昨年末までは選手として1軍でバリバリ活躍することが夢でしたから。ただ、左ヒザをケガして現役では厳しいことがわかってしまって……。生きていくためには仕事をしなくてはいけないとなった時に次に浮かんだのが審判という職業でした。父の関係で小さい頃から審判の方にはお世話になっていて、一番身近な存在だったんです。

――審判は肉体的にも精神的にも過酷な仕事です。お父さんは反対しませんでしたか?
山村: まだ迷っているときに相談すると「プロアマの合同研修会をやるから来るか」と紹介してくれたり、反対はしませんでしたね。

――左ヒザのケガは半月板損傷だと聞いています。試合中に痛めたそうですね。
山村: BCリーグとのグランドチャンピオンシップの第1戦(10月22日)で真後ろのファールフライを追ってスライディングをした時に激痛が走りました。滑った時に地面にレガースがひっかかり、足とヒザとが反対方向に引っ張られた感じになってしまったんです。その前からヒザに違和感はあったので、最終的にそのスライディングキャッチが引き金になったんでしょうね。ヒザがぐらついてしまって、残りの試合はテーピングでガチガチに固めて出ました。その時は“タダじゃすまないかもしれないけど、しばらく休めば治るだろう”という感覚でしたね。

――ところが、病院では手術しないと治らないという診断だったと?
山村: はい。「マジかぁ……」とショックでしたね。手術をしたら、どんなに頑張っても前期シーズンは棒に振ってしまう。もう1年は現役でチャレンジするつもりだったんですけど、年齢的なことを考えても、「もう、これは諦めるしかないかな」と気持ちが傾いていきました。

――キャッチャー出身の審判といえば、選手会が選ぶベストアンパイアに9年連続で選ばれている名幸一明さんもそうです。「キャッチャー経験があったので、ストライク・ボールの判定は比較的、苦労しなかった」と言っていました。
山村: それは感じますね。むしろ主審が一番落ち着きます。中学時代からずっとキャッチャーをしてきましたから、目線が一緒なのでやりやすい。むしろ塁審のほうが慣れなくてとまどってしまいます。どこに立って、どう動いてプレーを見たらよいかは状況によって変わるので、それをしっかり理解することが大変です。

――審判は小さい頃から身近な存在だったということですが、実際になってみるとイメージは変わりましたか?
山村: 今になれば失礼な話ですけど、以前は「野球である程度のレベルまでやった人間は審判でもそこそこできるだろう」と考えていたんです。でも、プレーすることとジャッジすることは全く別物。現役ではプロの手前のレベルになれたからといって、審判でも同じレベルからスタートするわけではない。それこそ小学生の段階からやり直している感覚です。

――現役時代は「なんで、こんなのも正しく判定できないんだ?」と思っていたのに、今はその難しさが身にしみて分かると?
山村: 審判の立場になると「こんなに分からないものか……」と愕然としますね。ストライク・ボールにアウト・セーフ、ひとつひとつ正確にジャッジするのは簡単ではない。ベンチから見ていたら明らかなアウトでも、あの場所に立って実際にコールするとなると大きく変わってくるんです。ストライクかボールか、アウトかセーフか自分がアクションする必要があるわけですから、それを考え出すと精神的に余裕がなくなってしまう。ベテラン審判員の方に聞くと「どっちか判定しなきゃと思っている時点でまだまだだ」と。反応で自然とコールできるものだそうです。僕はその領域には全く達していない(苦笑)。

――先程、名前を挙げた名幸さんによると審判に一番大事な条件に「人間力」をあげていました。監督や選手との信頼関係を構築できないと、スムーズに試合を裁けないと。
山村: その通りですね。たとえば抗議を受けた時に、そのやり取りひとつで余計に混乱することもある。もちろんルールはルールですから、それを変えることは許されませんが、だからと言って、ただ突っぱねて相手を怒らせるようなことをしてもいけない。コミュニケーション能力を磨くことも今後の課題ですね。

――審判は普段は注目されないのに、ミスをすると目立ってしまう損な役回りです。精神的もタフさも要求されます。
山村: メンタル面はズタズタですよ(笑)。「なんで、こんなにオレってダメなんだろう」と試合後に涙が出てきたことだって何度もあります。審判だってプロですから、ダメだったら消える世界。ミスがあれば、その分析をしっかりして、次は絶対に同じ失敗を繰り返さないようにしないといけません。

――大阪商業大時代はメジャーリーグの球団からマイナー契約を結ぶとの話もありました。残念ながら、それが実現せず、四国にやってきたわけですが、2年間のアイランドリーグでの生活はいかがでしたか?
山村: アイランドリーグに来てからは「アメリカに行きたかったな」と思ったことは1度もなかったですよ。それくらい充実していました。特に去年は開幕で手首を骨折したり、ヒザを痛めたりするなかで優勝できて、今までの野球人生で一番思い出に残る1年になりました。今では四国でプレーできたことが自慢に思えるほどです。

――選手としての夢は叶いませんでしたが、審判として早く1軍の舞台に立てる日を楽しみにしています。
山村: 現役時代から多くの方に応援していただいたので、ぜひ1軍でテレビの中継に映ることで「審判として頑張っているよ」と伝えたいですね。

――アイランドリーグ出身選手の1軍での活躍も増えてきています。ピッチャーもキャッチャーもバッターも、そして審判もリーグ出身という状況になったらうれしいですね。
山村: おもしろいですよね。現に可能性のある話になっていますから僕もめげずに頑張ります。ただし、こっちもプロ。アイランドリーグ出身だからってジャッジでひいきはしませんけどね(笑)。

(聞き手:石田洋之)