現役世界王者が一時は史上最多の9名に増え、日本人同士による初の世界王座統一戦が行われるなど、2012年の日本ボクシング界も盛り上がりを見せた。しかし、世界タイトルを獲るのは軽量級が主で、現在、強豪ひしめくミドル級で世界のベルトを巻く選手は出ていない。95年12月、日本人では困難と言われたこの階級で初めてWBAミドル級王座に挑戦し、タイトルを奪ったのが竹原慎二だ。今もなお、日本人唯一の元ミドル級チャンピオンである竹原に、改めて“奇跡”と呼ばれた17年前の世界戦勝利を振り返ってもらった。
(写真:取材中、試合の映像を観るのは「本当に久しぶり」と懐かしそうに語った)
二宮: 竹原さんが挑戦した王者のホルヘ・カストロ(アルゼンチン)はロコモトーラ(機関車)と呼ばれるタフガイでしたね。当日のコンディションは?
竹原: 良くもなく悪くもなく、といったところでしょうか。実は試合の2、3週間前、スパーリング中に左のあばら骨を折っていたんです。その後の練習ではコルセットを巻いてやっていました。もう骨はくっついていましたけど、試合前にケガして気分は良くないですよね。まぁ、かえって「もうやるだけだ」と開き直れた面もあるかもしれませんが。

二宮: この試合、ボディ攻撃が有効でしたね。これは最初からの作戦だったと?
竹原: 練習でも常にボディをどこかで入れていましたし、いいのが入ったなという感触がありました。ボディももちろんですが、本当は身長差があったので(竹原が14センチ上回る)、右のアッパーで下から突きあげようと思っていました。

二宮: 実際にリングで相対した印象は?
竹原: 未知の相手ですから、1Rが終わるまではすごく不安だったんですよ。試合をしていてイヤなのはパンチ力とスピード、テクニックの3つ。スピードがないのは分かっていたんで、あとはパンチ力が気になりました。ただ、実際に始まってみると思ったよりやりやすかった。スピードがないし、予想以上に打たせてくれましたからね。これなら気を抜かず、最後までスタミナが持てば倒されることはないと感じました。

二宮: そして3R、ダウンシーンを迎えます。左をレバーに突き刺すと、カストロは後ずさりしながらしゃがみこみました。
竹原: あっ、倒れたという感じでしたよ。フェイントをかけて上から下へという、練習でやっていたコンビネーションがうまくハマりました。これで勝ったという手ごたえはないまでも、一気に決めてしまおうとは思いましたね(笑)。ただ相手はよく粘るし、巧かった。簡単には終わらせてくれませんでしたよ。

二宮: 相手はマウスピースを吐きだして時間稼ぎをしてきましたね。ダメージを受けているのは明らかでした。
竹原: このラウンドの終盤にはクローブ越しにサミングもしてきましたからね。まぁ、世界戦ですし、すぐチャンピオンが負けちゃダメでしょう。この試合は結局、判定になるんですけど、僕自身もこれで良かったと思いますよ。3Rで終わるより、12Rを戦ってのベルトだから充実感がある。

二宮: その後も試合をほぼ優勢に進めますが、時折、ロープを背負ってカストロのパンチを受けてしまうシーンもありましたね。
竹原: 僕の悪いクセですね。ロープを背負っているほうが体がラクなんですよ。だけど、こうなると相手は手数が増えますし、こちらは手数が減る。見栄えが良くないですよね。「ロープを背にするな」といつも注意されていました。

二宮: とはいえ一方的に打たれるのではなく、必ず打ち返している。カストロは前年のジョン・デビット・ジャクソン戦で逆転KO勝利を収めていましたが、竹原さんは試合の流れを手放しませんでした。
竹原: 中盤以降は似たような展開でしたが、必ずどこかで見せ場をつくることを意識していました。まぁ、今、改めて見たら、ちょっとバテていますよね(笑)。減量のやり方が間違っていましたから。当時は水も飲まずに練習して10キロくらいを一気に落とす方法でした。これでは試合に使う体力も奪われてしまう……。ハードな減量のせいか、いつも試合中に足が吊りそうになっていましたよ。

二宮: それでもリードを保ったまま、ついに最終12R。そろそろ勝利を意識したのでは?
竹原: 勝っているだろうなとは感じましたが、最後のゴングが鳴るまで、ひたすら一生懸命にやっていただけですよ。セコンドも「あとは守れ」などとは絶対に言いませんでした。

二宮: 試合終了の瞬間の気分は?
竹原: やった。終わった。それだけですね。勝ったという実感はすぐには沸いてこなかったです。振り返ってみると、この試合は精神的にはいっぱいいっぱいの状態でした。世界戦の話が何度も持ち上がっては流れ、せっかく決まったら、今後はあばらを折ってしまった。正直、「もうダメだ……」と思った時もあります。
 現役時代の僕は、本当に勢いだけでした。今くらいボクシングのことがよく分かった上で能力をつけられれば、もっと強いボクサーになっていたかもしれません。でも、考えてボクシングをやっていたら逆にタイトルをとれなかったのかもしれない。対戦相手もカストロではなく、(初防衛戦で敗れた)ウィリアム・ジョッピーが先に来ていたら負けていたでしょう。本当に人生は何が幸いするか分からない。不思議なものだと思いますよ。

※現在発売中の『Number PLUS』(文藝春秋)では「拳の記憶?」と題してボクシング不滅の名勝負を完全特集。二宮が竹原vs.カストロ戦に関するノンフィクションを寄稿しています。あわせてご覧ください。