1705nabeshima1「土台は高校の陸上生活でできました。そこがなかったら今の自分はないと思っています」。鍋島莉奈(日本郵政グループ)の原点は高校時代にある。陸上を始めたのは中学生の時だ。小学生の頃はサッカー少女だった。しかし進学した中学校にはサッカー部がなく、元々持久走が得意だったこともあり、陸上部を選んだ。本人も「記録もあまり気にしたことがなかった」と言うほど夢中になっていたわけでもない。中学では県大会どまりの選手に過ぎなかった。

 

 自分との勝負にこだわった

 

 高校でも当初から有望株に挙げられていたわけではない。彼女が入学した山田高は高知県内屈指の強豪として知られ、全国高校駅伝の常連校である。近代五種のロンドン五輪日本代表である山中詩乃は陸上部のOGとしても知られている。

 

「長距離をやっていることは知っていました。県内で5、6番目程度でしたかね」。山田高陸上部の永田克久監督の鍋島に対する評価も決して高いものではなかった。だが体験入学で練習に参加した際に、その評価はガラリと変わる。

「動きに力強さを感じました。この子は鍛えれば、県を代表する選手になりゃあせんかなと思ったんです」

 

 しかし、鍋島はこの頃からケガが多かった。「少し走れるようになるとケガをする。1年生はその繰り返しでしたね。疲労骨折も2回くらいしたんじゃないでしょうか。普通は『辞める』という話があったりすると思うんやけど、あの子は一切そんな素振りを見せんかった」と永田は当時を述懐する。ケガで走れない時にはエアロバイクを漕ぐなどしてトレーニングに努めた。

 

1705nabeshima6「自分の記録と勝負していくのは好きでした。自己記録を出して周りが喜んでくれるとうれしかったです」。それが鍋島のモチベーションであり、競技を続けていた理由だった。

 

 ケガに泣いた1年生時。山田高は全国高校駅伝に出場した。鍋島は1年生ながら2区を任された。結果は区間29位で、同高は21位だった。レース後、永田が鍋島にこんな声を掛けたという。

「僕は良かれと思って『思ったほど抜かれなかったから良かったな』というニュアンスの言葉を掛けました。後々、聞いた話によると、それがあの子にとっては屈辱だったようです。“それぐらいにしか見られていなかった。見返してやる”という気持ちになったと」

 

 心の強さが支えた3年間

 

 ところが、学年が変わってもケガとの闘いは続いた。2年のシーズンは順調に県大会、四国大会までは結果を残していた。全国高校総合体育大会(インターハイ)の決勝を目指して練習を重ねていたが、直前のケガにより本大会を棄権することとなった。故障が癒え、年末の全国高校駅伝に向けて再びスタートを切った。しかし、今度は大会2週間前に腸脛靭帯炎になり、1週間練習を休んだ。復帰してからも足の痛みは引かなかった。永田は「来年もあるき、やめんかよ」と欠場を勧めた。すると本人は「やります」と言って聞かない。

 

「できるか? 襷をつなげる責任があるで?」

「大丈夫です。やります」

 

 こうしたやり取りを経て、強行出場に踏み切った。鍋島は都大路のエース区間1区を駆け抜けた。全5区間のうちの最長6キロ。4.5キロ付近までトップを走ってみせた。「練習をやって何とか襷はつなげるかなと送り出した。まさかそんなレースをするなんて夢にも思わなかったわ」とは永田の談だ。区間5位の快走で、山田高の12位に貢献した。前年度の21位からの躍進。エース鍋島の走りが勢い付けたのだろう。

 

1705nabeshima14 故障は3年時にも続いた。それでもインターハイは3000mに出場を果たした。3年連続の出場となった全国高校駅伝では再び1区を走り、トップとは2秒差の5位で襷を繋いだ。高知県勢最高となる19分23秒の快走。エースの走りで、文字通り山田高を牽引した。

 

 永田は鍋島との3年間を振り返り、彼女の「意志の強さ」を褒めた。そして、こう続ける。

「あの子は出た試合は外さなかった。僕らがこのくらいで走ってもらいたいというタイムの上をいくランナーでした。2年生は完全にノーマークでしたが、3年生の時は全国のトップクラスと肩を並べていた。勝負には負けましたが区間賞に匹敵するぐらいの力走を見せてくれた。非常に感動したし、うれしかったですね。鍋島はやると言うたらやる子でした。ケガをして苦しんでいる時にいちいちこちらが心配して声を掛けることはしなくていい。見守っているだけで十分。『やります』と無責任に言うやつはいます。だけど全然力を発揮できずにゴールして、涙を流す子が普通。あの子はそうではなかった」

 

 永田の言う「意志の強さ」とは、天性のものというよりケガと闘いながら鍋島が身に付けていったものなのかもしれない。故障により、何度も成長の足踏みをさせられた。それでも折れずに前だけを見てきた。心の強さこそが、彼女の最大の武器だった――。

 

(最終回につづく)

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鍋島莉奈(なべしま・りな)プロフィール>

1705nabeshimaPF31993年12月16日、高知県須崎市生まれ。中学で陸上を始める。山田高校では全国高校駅伝や全国高校総合体育大会に出場した。鹿屋体育大に進学後は12、14年の日本学生個人選手権5000mで優勝。14、15年には日本学生対校選手権1万m連覇を成し遂げた。16年に日本郵政入社。全日本実業団対抗女子駅伝で5区区間賞と大会MVPを獲得し、チームの初優勝に貢献した。23歳。自己ベストは5000m15分22秒34、1万m33分8秒00。身長160cm。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

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