日本プロ野球史上最強の3、4番といえば、V9巨人の王貞治と長嶋茂雄のコンビにとどめを刺す。9連覇中、打撃3冠のタイトルは、このONの独占状態だった。ホームラン王は王が9年連続で獲得し、打点王は王6回、長嶋3回と2人で分け合った。首位打者も王が4回、長嶋が2回輝いている。そんなONの後で、5番打者を任されていたのが末次利光である。ネクストバッターズサークルで、2人の最強バッターをどのように末次は見ていたのか。そして、ONの後で打席に入る心境は? 二宮清純が本人にインタビューした。
(写真:現役時代の背番号38のユニホームを手に)
二宮: 末次さんから見た王さん、長嶋さんのすごさは?
末次: やはり長嶋さんは、燃える男ですよ。本当に熱い気持ちを持っている。1球に対する集中力がすごいから、少々のボール球でもバットを振ればホームランにしてしまうんです。
 一方の王さんは冷静沈着。一本足でスッと立って、ピッチャーをグッと見据える。そして甘いボールが来るのをじっと待つ。躍動感あふれる長嶋さんを“動”とすれば、王さんは“静”という言葉が当てはまりますね。

二宮: そんな王さん、長嶋さんの後の打順を任されるのは、やりがいを感じつつも、プレッシャーもあったのでは?
末次: プレッシャーの塊ですよ(笑)。何しろ当時の後楽園球場は鳴り物入りの応援もなかったんです。お客さんの手拍子と掛け声のみだから、僕が打席に立つとスタンドの観客の咳払いが聞こえるくらい静かでした。もっと大変だったのはONのどちらかがホームランを打った後の打席。球場全体がホームランの余韻でざわめいている。気分的にはランナーがいないので楽ですが、球場のざわめきが収まらないから平常心で打席には入れない。それで凡打に倒れて帰ってきても反応も何もないんです。それはそれでツラかったですね。

二宮: 末次さんが5番を任される前は、吉田勝豊さんや高倉照幸さんなど、他球団から獲得してきたスラッガーがONの後を打っていました。
末次: もう名前を聞いただけで、すごいと分かる選手が入ってきましたから、僕はどうしたら生き残れるかと思いましたよ。ただ、そういった移籍してきた方々は夏まではいいのですが、秋口になると調子を落としてしまう。おそらく、これが優勝を義務付けられた巨人軍でクリーンアップを打つプレッシャーなんでしょうね。今だって昨季の村田修一君を見れば、分かるでしょう? それを見て、僕も頑張れば何とか勝負できるかもしれないと思ったんです。だから、必死になって練習しました。

二宮: ONの後を打つに当たって、一番大事だと感じたことは?
末次: 今言った巨人軍のプレッシャー、そしてONのプレッシャーに負けないことですよ。そのためには、あまり意識し過ぎるのは良くない。普通にやることが一番です。ただ、いくら普通にやろうと思っても、自分がしっかり練習して自信がなければ、それは不可能です。“これだけのことを僕はやっている”という気概を持って打席に立つ。これがないとONの後の5番は務まらなかったと思います。

二宮: 相手がONで勝負してくれればいいですが、敬遠などでランナーがたまった状態で打席に入るケースも多かったでしょう。
末次: ONがいた頃の巨人は5番、6番で、ものすごいチャンスが回ってくる。打てないとスタンドの観客から「あ〜ぁ」とものすごい溜息が漏れるんです。これはツラかったですよ。
 ただ、ピッチャーがONに全力投球してくるから、その後は気が抜けて甘い球が時々来ることもあるんです。それをよく打たせてもらいましたね(笑)。この点だけはONの後で得をしたかもしれません。

二宮: 打順の並びは3番・王、4番・長嶋が基本でしたが、3番・長嶋、4番・王とひっくり返したこともあります。5番打者としては、どちらが良かったですか?
末次: 強いて言えば、王さんの後のほうがやりやすかったですね。長嶋さんはカリスマ性のある人だから、どんな結果であっても打席に余韻が残っているんです。観客も、その余韻に浸っている感じで落ち着かない。王さんは先程も言ったように“静”のタイプだから、スッと打席に入っていきやすかった。もちろん王さんが打った後の歓声もすごいんだけど、観客の中ではホームランは当たり前という雰囲気がありましたから。長嶋さんが打った後のほうが観客のざわめきは、なかなか収まらなかったですね。

二宮: ONの後を打つには、相手ピッチャーだけでなく、プレッシャーや観客の反応とも戦わなくてはいけなかったというわけですね。
末次: そうです。最終的には自分との戦いでしたね。王さんや長嶋さんは塁に出る時は「スエ、頼むぞ」と、いつも声をかけてくれました。だからと言って僕が打てるようになるわけではない。僕自身がどうにか打って結果を残すしかないんです。ONの存在を意識し過ぎず、いかに数字を残すか。それだけを求めて死に物狂いでやっていた記憶があります。

<現在発売中の『小説宝石』2013年3月号(光文社)ではさらに詳しい末次さんのインタビュー記事が掲載されています。こちらも併せてご覧ください>