ブラジルに渡って3カ月が経っても、須藤右介はサルゲイロACの選手として公式戦デビューを果たせずにいた。労働ビザ取得や国際移籍証明書の発行など、ブラジルでプロ選手として出場するための手続きがすべて終了していなかったのだ。その間、練習には参加しても、試合はスタンドで見つめることしかできなかった。結局、彼に出場資格が与えられたのは、日本を離れて5カ月後の13年7月のことだった。
(写真提供:須藤右介)
 チームの一員になったという実感

「いろいろな人から心配の声をいただいたりして……選手契約を結ぶまでの5カ月間は歯がゆい思いで過ごしていましたね」
 須藤は当時の心境をこう振り返った。

 ようやくサルゲイロの一員になったと実感したのは、チームジャージを手渡された時だったという。
「試合の登録メンバー発表後、事務所でズボン、シャツ、チームスポンサーがブランドの緑色の鞄をもらったんです。部屋に帰って、すぐに袋を開けて着替えました。『やっとチームの戦力として認められる時が来た』と嬉しくなりましたね」

 5カ月間、手続きが遅々として進まない中で不安になることはなかったのか――。
「『なぜ試合に出られないんだ』『なぜ、そんなに時間かかるんだ』と思いましたよ。でも、自分ではどうにもできないことだった……。ですから、出場資格を得られた時に、チームが本当に必要としてくれる状態でありたいと思って、毎日トレーニングを続けていましたね」

 不断の努力を続けたからこそ、須藤は手続き完了後、すぐに試合の登録メンバーに入ることができたのだ。

 ブラジルサッカーの醍醐味

 試合に出られなかった時期、須藤はブラジルのサッカーはどういうものかをじっくりと観察した。須藤は「攻撃面では、ボールを保持することを大事にしている」とその印象を語った。ブラジルのサッカーではCBはボランチへ、ボランチは2列目へ、2列目はFWへというようにシンプルな関係でパスをつないでいた。長いボールを蹴る場面は少なく、攻めどころで一気にスピードを上げる。
「とてもわかりやすかったですね。もちろん、FWの選手が空いていれば、縦パスを入れる場合もあります。でも、毎回は出さない。ゲームをつくる見極め方がすごく長けているんでしょうね」
(写真提供:須藤右介)

 また、味方FWがボールを持った相手CBにプレッシャーをかけないことも印象的だった。日本のサッカーでは、前線から連動してプレスをかけるシーンがよく見受けられる。しかし、ブラジルでは、FWが「さあ、オマエらはどうやって攻めてくるんだ?」という風に様子を見るのだ。
「だからこそ、ボールをつなぐ時間もあるわけです。逆にロングボールを蹴れば、もうブーイングですよ」

 そして、須藤曰く「ブラジル人は駆け引きをして、相手の逆をとることにロマンを感じている」という。バックパスするフリをして、相手がパスを受ける選手に少しを目を向けた瞬間に前を向いて抜き去る。奪われれば失点につながりかねないが、ブラジルでは、リスクを冒した上での駆け引きをサポーターも称賛していた。須藤もそんなブラジルサッカーの醍醐味が好きだった。

 ブラジルのサッカーを学ぶ中で、唯一、須藤がスタッフから指摘されたのが守備面である。コーチからは「相手が後ろを向いている時はプレスに行くな。奪える時は行ってもいいが、後ろを向いてキープされそうだったら、近くまで行って止まっておけ」と言われた。当初、須藤は日本時代と同様に、パスを受けた相手に後ろから激しくプレスをかけていた。日本なら相手に前を向かせないことが良しとされていたが、ブラジルでは違った。体をぶつけると、相手選手は簡単に倒れ、ファールをとられるのだ。さらに技術力の高い選手には、プレスにくることを見透かして、ターンで体を入れ替えられる。

「逆に言えば、ブラジル人は『絶対に奪える』というタイミングを知っているんです。自分がボールを奪えると思えば、100パーセントの力でガンガンとプレスに行く。その時の迫力は半端じゃないですよ」

 試合に臨む上でのメンタル面にも、須藤は日本人とブラジル人の大きな違いを感じた。
試合前のロッカールーム、選手たちは円陣をつくって神へのお祈りをする。ホーム戦ではキャプテンが「ここは自分たちの家だ。相手は泥棒で、勝ち点3をとりにきている。俺たちの家からモノを盗ませるのか。そんなことはあっちゃいけない」といって、仲間を高ぶらせるという。普段は冗談ばかり言っているチームメイトの顔は、お祈りが終わると戦う男の顔になっていた。

「日本人は練習から常にスイッチを入れていないと、なかなか沸騰させるのは難しい。でも、ブラジル人は、いきなり100パーセントにまで気持ちを高められる本能が備わっていると感じましたね」
 ブラジル人はどんな時でも一瞬で本気を出せる――王国の強さが垣間見えた気がした。

 ブラジルで評価された“クアリダージ”

 日本時代に培ったモノの中には、ブラジルで通用する部分もあった。須藤はサルゲイロでボランチの他に、3バックの右のCBとしてプレーすることがあった。紅白戦を行った時、須藤のチームのCBがボールを持つと、コーチが「早く須藤にパスを出せ」という指示を出すことが多かった。

「僕はもともとボランチなのでパスを出す技術が、他のCBよりも高い。斜めのパスや縦パスなど、その成功率も高かった。ですからコーチが『自分が出せなかったら須藤に当てろ。須藤のところからだったらボールが出てくるから』と選手に言っているのを聞いて、そういうふうな信頼をされているんだなと思いましたね」

 また、練習で周囲からよく言われたのが「クアリダージ(Qualidade)」だ。日本語で「質」という意味である。特に須藤はボールを止める、蹴るの正確性が高いと評価された。小さい頃から時間があればボールを触っていたことは、現在にしっかりと生きていた。

 それでも、南米の選手の技術が低いというわけではない。でこぼこのピッチで、ボールが浮いたり、イレギュラーバウンドしたりしても、彼らは何でもないようにコントロールしていた。
「日本だとパスが少し強くなったり、浮いてしまうと『ごめん』と謝りますが、彼らは謝らない。それが普通なんですよ。ですから、日本の子供たちには、様々なピッチ状況でボールをたくさん触ることを心がけてほしいですね」

 世界基準を肌で感じた須藤らしいアドバイスといえるだろう。

 思い知った世界の大きさ

 13年8月22日、須藤はサルゲイロの選手としてデビューした。舞台は日本の天皇杯にあたるコパ・ド・ブラジルのラウンド16の第1戦(アウェー)。対戦相手はインテルナシオナルだった。ブラジル全国選手権3度、クラブワールドカップを1度制したことのある名門。メンバーには元ブラジル代表DFフアン、FWレアンドロ・ダミアン、元アルゼンチン代表MFアンドレス・ダレッサンドロ、現ウルグアイ代表FWディエゴ・フォルランら錚々たる面々が揃っていた。
(写真提供:須藤右介)

 大雨の中で試合はキックオフされ、須藤はベンチスタートだった。ピッチに立ったのは、サルゲイロがインテルに1点をリードされて迎えた後半18分だった。
「日本にいた時とはまた違う興奮で、気持ちよかったですね。準備もできていましたし、焦りなどはありませんでした」
 だが、相手は強豪・インテル。しかも大雨というあいにくのピッチコンディションも影響し、満足のいくプレーはできず、試合も0対3で敗れた。逆に、インテルの選手たちのレベルの高さを思い知った。

「濡れたピッチでも、トラップが一切ぶれませんし、キックもピタリと合う。みんな、めちゃくちゃうまかったですね。特にフォルランやダレッサンドロはさすがでした。日本では、あそこまで技術の高い選手を見たことがなかったので、世界の大きさを知りましたね」
 
 須藤はその後、インテルとの第2戦(ホーム)と州リーグ1試合に出場した。フル出場はなく、スタメンもなかった。
「僕の中では、スタメンがなかったことがすごく歯がゆかったですね。まあ、チームは昇格争いをしていたので、いきなり出場経験のない日本人選手を使うのは難しかったかもしれない。それを考慮しても、スタメンを1試合でも勝ち取りたかった。次の目標です」

 ただ、少ない出場機会ではあったものの、インテルとの第2戦では流れの中でゴールに絡むプレーを見せた。須藤は「小さな結果は残せたかな」と今後につなげる自信を得たようだ。

 現在、須藤はサルゲイロとは別のクラブの練習に参加している。サルゲイロでプレーする選択肢もあったが、「いろいろなチームを見たいし、違う監督の下でどういうふうに評価されるかも興味がある」という理由で、あえてゼロからスタートすることを選んだ。

 須藤には、苦難を乗り越えられるパーソナリティが備わっているといえる。
「本当につらいことはたくさんあります。サルゲイロと契約するまでもそうでした。でも、僕はずっと『絶対に試合に出てやる』と思い続けていました。そして、運命で最初から決まっていたのかもしませんけど、あっさりと試合に出られた。ダメな時もありますが、まず思い続けないと夢は叶わないんだと、ブラジルに来て実感しましたね」

 27歳、まだまだ老け込む歳ではない。
「技術面、戦術面、フィジカル面もまだまだ伸びるモノはあると思います。生活面ではポルトガル語をもっと覚えたい。これからが楽しみですね」

 すべてを楽しみながら、須藤は今日も地球の裏側でサッカーを続けている。

<須藤右介(すどう・ゆうすけ)>
1986年5月7日生まれ、東京都出身。ヴェルディユース―名古屋―横浜FC―松本山雅―サルゲイロAC。05年、ヴェルディトップチームには昇格せず、名古屋に入団。08年に移籍した横浜FCでは09年シーズンは29試合に出場した。10年、当時JFLに所属していた松本山雅に加入。11年シーズンはキャプテンとして30試合に出場し、J2昇格に貢献した。12年シーズン限りで松本山雅を退団し、13年にブラジルへ。同年7月、サルゲイロACに入団。サルゲイロではコパ・ド・ブラジルでインテルナシオナルとの対戦を経験した。身長182センチ、78キロ。ポジションはMF。

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