暑い日が続く。毎日、汗だくだ。

 でも、昨年の今頃はそうではなかった。ほとんど外に出ることなく、冷房の効いた仕事部屋に籠り、『プロレスが死んだ日。~ヒクソン・グレイシーvs.髙田延彦20年目の真実~』(集英社インターナショナル)の原稿を書き続けていたからだ。

 

 その過程で幾度となくヒクソンの試合映像を見直した。髙田戦だけでなく、ヒクソンの試合は、すべて再生し振り返った。日本での9試合だけではない。ズール戦、ガレージファイトなども含めてである。

 

 結果が分かっているのに、何度観ても緊張感を伴う試合がある。ヒクソンにとってラストファイトとなる船木誠勝戦だ(2000年5月26日、東京ドーム『コロシアム2000』)。それは後に、試合中に何が起こっていたかを知ったからだ。現役引退を表明した直後のヒクソンから、直接聞かされた時は驚いた。

 

 1ラウンド15分の無制限ラウンド形式で行われたこの試合は、1ラウンド11分46秒、チョークスリーパーでヒクソンが勝利を収めている。船木が優位に試合を進めた場面もあったが、私の眼にはヒクソンの余裕の勝利に映っていた。

 

 だが、そうではなかった。

 ヒクソンは、私にこう話した。

「日本での9試合の中で一番印象に残っているのはフナキ戦だ。試合中に視力を失ったのは初めての経験だったからね。

 あの試合、もつれてグラウンドの展開になった直後に、私は彼のパンチを眼にもらってしまった。その際に、指が目に入り眼球が圧迫された。大動脈の神経は両眼をつないでいる。ダメージを受けたのは左眼だったが、それにより両眼の視力を一時的に失ったんだ」

 

 この後、ヒクソンがマットに寝転び、スタンドの船木が蹴撃を続ける、「猪木-アリ状態」が現出された。両眼が見えなくなったヒクソンは、そのことを船木に悟られないようにしながら視力が戻るのをジッと待っていたというのだ。

 

 船木はヒクソンが視力を失っていることに気づいていない。だから、深追いはせず、ヒクソンの足を蹴り続けて様子をうかがう闘い方をした。

「たられば」を言っても仕方がないのは百も承知だ。でも、考えてしまう。あの「猪木-アリ状態」の時に、船木がヒクソンの異変を察知し、あるいは察知していなくても果敢に上から顔面を殴りつけにいっていたならば、戦況は大きく変わっていただろうと。ヒクソンの不敗神話を崩す千載一遇のチャンスが、あの場面に存在していたのだ。

 

 試合後、東京ドームのブルペンに設けられたインタビュースペースで、大勢の報道陣を前にして敗れた船木は、現役引退を発表した。この時、31歳。

 

 船木が「新説タイガーマスク」に!

 

 その後、俳優に転身していた船木と何度か話をした。現役復帰するつもりはないのか、と私は尋ねる。そのたびに彼は、こう答えた。

「無いですね。十分にやり尽くしました。いまでも総合格闘技の試合はテレビで観ますけど、リングに戻ろうとは思いませんよ」

 

 だが、現役引退から7年後の2007年大晦日、『K-1Dynamite!!』のリングで総合格闘家として復帰。後に、プロレスのリングにも上がるようになる。

 

 人は生きていれば、さまざまな状況下に身を置くことになる。その中で船木は、再びリングに上がるという選択をしたのであろう。一度現役引退を口にした者が、リングに戻ってくるというのは格好のよいものではない。それでも、格闘家として生きてきた人間の性を奥深いと感じてしまったりもする。

 

 船木は15歳の時に、新日本プロレスのリングでデビューを果たした。

 私は1985年、大学在学中に『週刊ゴング』誌の記者となったが、ちょうどその頃、船木はヤングライオン杯に出場するなどしてホープとして注目されつつあった。

 

 あれから33年が経つ。そして9月30日、エディオンアリーナ(大阪府立体育会館)第2競技場において『闘宝伝承2018~蘇ったサムライ船木誠勝デビュー33周年記念大会~』(主催・闘道館Y1968)が開催される。このイベントに船木は、かつて映画で主演した「真説タイガーマスク」として登場するようだ。スーパータイガーと組んで、3代目タイガーマスクだった金本浩二、スーパーブラックタイガー組と対戦する。

 

 また、この大会には船木に所縁のある豪華なメンバーが集う。

 藤原喜明、近藤有己、菊田早苗、アレクサンダー大塚、青柳征司、冨宅飛駈、武士正、佐野巧真、AKIRA、若翔洋、アントニオ小猪木、ザ・グレート・カブキ(一日限りの復帰)、そしてゲストとして天龍源一郎の来場も決まっている。

 

 最近はプロレス会場から足が遠のいてしまっている私だが、9月30日は難波に駆けつけようと思っている。

 

「明日、また生きるぞ」

 総合格闘家としてではなく、幾多の試練をくぐり抜けて生き抜いてきたプロレスラー船木誠勝としての凄みを、リング上で存分に魅せてくれるはずだから。

 

近藤隆夫(こんどう・たかお)

1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実 ~すべては敬愛するエリオのために~』(文春文庫PLUS)『情熱のサイドスロー ~小林繁物語~』(竹書房)『キミはもっと速く走れる!』『ジャッキー・ロビンソン ~人種差別をのりこえたメジャーリーガー~』『キミも速く走れる!―ヒミツの特訓』(いずれも汐文社)ほか多数。最新刊は『プロレスが死んだ日。』(集英社インターナショナル)。

連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)


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