(写真:85歳のアイアンマン・稲田氏)

 トライアスロンの世界で頂点といえばコナだ。

 世界で30戦程度開催されているアイアンマン大会のチャンピオンシップ。

 つまり世界で出場権を勝ち取ってきたものだけが、スタートすることを許される大会である。

 

 もちろんトライアスロンには五輪もあり、通常はそこが頂点となる。だが、五輪以前からこの世界のトップに君臨している大会が「Ironman Hawaii World Championship」(Ironman Hawaii)。その開催地がハワイ島のコナなのである。

 

 ゴルフでいえばオーガスタ、テニスでいうとウインブルドンというべき場所。それぞれ五輪はあるが、業界内ではそれ以上の歴史があり、重い存在という位置づけである。

 

 そのコナで今年、日本人が世界記録を更新した。

 残念ながら日本のメディアで報道されることが少ないが、ぜひ多くの方に知っていただきたいし、日本人として胸を張れる素晴らしい快挙だと思う。

 

 その快挙とは「最高年齢フィニッシュ記録」の更新である。

 アイアンマンとは、ご存知のとおり、スイム3.8km、バイク180km、ラン42.2kmをこなす鉄人レースだ。それぞれの種目でも十分耐久競技であるのに、それを3つ続けてこなすという、ある意味「超耐久競技」。才能とか能力以上に、日々の練習、強靭な精神力が必要とされる競技である。つまり若者でも練習を重ねなければ完走はおぼつかないし、中高年でも練習を積み重ねていけば完走できるスポーツだ。

 

 そのIronman Hawaiiを、10月13日に稲田弘氏が85歳で見事に完走を果たした。

 17時間という制限時間に6分以上の余裕を残しコナのフィニッシュエリアに戻ってきた。

 今年40周年を迎える本大会で、85歳にしてフィニッシュしたのは稲田氏が初めて。自身の持つ最年長記録を更新することとなった。

 

 日本での男性の平均寿命は81.09歳(2018年7月発表)。このところ伸びてきているとはいえ、その年齢を大きく超えてまだアイアンマンを完走してしまうとは驚くしかない。

 

 稲田弘という男

 

(写真:レース後の筆者と稲田氏)

 稲田弘とはどんな男なのか。

 趣味で行っていた水泳からトライアスロンを始めたのが70歳。そこからアイアンマンにチャレンジしたのは76歳からと決して競技歴は長くない。

 

 彼は毎日の練習で進化を感じるというのが楽しいという。できなかったことができるようになる喜び。その手掛かりを探しながら練習に取り組む姿勢は、僕たちも学ぶべきだろう。

 

 食事に対しても貪欲で、食べる内容に関しても研究を怠らない。チームメイトの食生活や様々な情報を自分なりに租借し、良いと思うことを忠実に実践する。自らが進化するための真摯な姿勢は感心するばかり。

 

 それ以上に驚くのは、そのメンタリティだ。

 稲田氏は海外遠征にもちろん1人で向かう。家族を連れていくこともなく、身の回りのことはもちろん自身で行う。食事も普通にとり、レース後は仲間と飲みに出る。僕も毎年コナのレース翌日に、友人宅で開催されるホームパーティーでご一緒させていただくが、その12時間前まで走っていたのを忘れるくらい普通に楽しんでいる。このレースの前後や普段の生活を見ていると、自らの可能性を信じているのがよく分かる。もちろん無理をしているのではなく、あくまでも自然体なのだ。己を知り、己の可能性を信じる。こんなところに稲田氏の強さあるように感じる。

 

 今年のアイアンマン。

 ラスト7km時点で、彼のフィニッシュ想定タイムは制限時間の1分オーバー。フィニッシュで待つ大勢の関係者や観客は、「完走は厳しいかも……」と憂いていた。通常、後半になればなるほど前半のペースよりどんどん落ちていく。想定タイムを上回るのは至難の業だった。ましてやこの段階では……。しかし、周りの応援もあり、稲田氏は奮起する。最後の5kmは大幅にペースアップし1kmあたり6分のハイペースに。ちなみにこれはフルマラソンで4時間程度のペースとなる。このペースで最後まで走り切ったので、ゴール目前ではむしろお釣りがくるほど余裕が生まれた。大観衆の中でじっくりとフィニッシュラインを超えた。

 

「周りがあれだけ応援してくれたら走るしかないでしょ」と本人は子供っぽく笑うが、あのペースアップはなかなかできるものではない。そして、そのあとは夜中の3時まで飲み食いしていたとか。すべてにおいてスーパーである。

 

 高齢化社会において重要なのは「健康寿命」だということは誰もが認めるところ。

 そんな健康寿命を延ばし続ける稲田氏はある意味「国民のヒーロー」である。

 こんな大偉業をもっと世の中の人は知るべきだし、彼から学ぶべきだ。

 

 パーティーの帰り際には、すでに来年に向けての話までしている……。

 稲田氏の記録更新はもう少し続きそうだ。

 

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール

17shiratoPF スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦していた。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための会社「株式会社アスロニア」を設立、代表取締役を務める。17年7月に東京都議会議員に初当選。著書に『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』(マガジンハウス)、石田淳氏との共著『挫けない力 逆境に負けないセルフマネジメント術』(清流出版)。最新刊は『大切なのは「動く勇気」 トライアスロンから学ぶ快適人生術』 (TWJ books)

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