2017年秋に設立された一般財団法人「清心内海塾」は、スポーツ活動支援や障害者・高齢者などへの支援事業を行っています。ご縁あって先日、訪問したときのことです。通された応接室に飾ってあった1枚の写真が目にとまりました。

 

 丁寧に額装されたその写真は、柔道の試合を写したものでした。近寄って見せていただくと、皇太子殿下がご臨席され、試合をご覧になっている様子が写っていました。清心内海塾の方に「もしかしてこれは講道館ですか。視覚障害者柔道の大会ですか」と尋ねると、「よくわかりましたね!」と。私はびっくりして「もしかして第20回大会の、ですか?」と聞くと、「どうしてそれがおわかりになりましたか!?」と、先方はさらにびっくり。私も「なぜ、あのときの写真がここに?」と。お互いに「どうして?」「なぜ?」の応酬となりました。

 

 そのくだりはこうでした。2005年の第20回記念全日本視覚障害者柔道大会は資金不足などにより開催中止の危機に瀕していました。その危機を救ったのが「清心内海塾」の母体である羽田タートルサービスの内海章雄社長だったのです。同社はもともと柔道への支援をしており、社内には70名を超える柔道経験者が在籍していました。当時、東京実業柔道連盟の会長もお務めだった内海社長が「せっかく20年も続けてきた大会の火を消してしまうわけにはいかない」と支援を申し出て、無事に大会が開催されたというわけです。そのときの記念として贈呈された写真だったのです。

 

 では、なぜ私が「視覚障害者柔道、しかも第20回大会」だとすぐにわかったのか。それはある選手のエピソードが鮮明によみがえってきたからです。

 

(Photo:阿部謙一郎)

 その選手とは初瀬勇輔さん。08年北京パラリンピック視覚障害者柔道の代表選手です。

 

 初瀬さんは大学時代に視覚障害となって、失意の底にいました。そこで勧められたのが視覚障害者柔道でした。初瀬さんは高校時代、出身の長崎県の強化指定選手でした。久しぶりに道場へ行き、同じ視覚に障害のある人たちが思い切り体を動かし、生き生きと汗をかいている姿を見て、しばらく忘れていた感覚を得ることができました。畳の上で気持ちが開放されるのは何よりも楽しいことだった、と初瀬さんは言います。しばらくすると大会出場を勧められました。その大会が件の第20回大会だったのです。

 

 この大会で初瀬さんは見事優勝を果たし、各階級の優勝者とともに皇太子殿下に拝謁する機会を得ました。その席で初瀬さんは皇太子殿下から、国を代表する選手としてお声をかけていただいたのです。「ああ、自分にも居場所があるんだ」。視覚障害者になってから、初めてそう思えた瞬間でした。それから柔道に夢中になり、08年には北京パラリンピック出場を果たしました。さらにその後、初瀬さんは自ら会社を起こし、現在は経営者としても活躍しています。

 

(写真:20回大会に初出場後、初瀬は今も現役選手として活躍。今年の33回大会には66キロ級で出場した。Photo:阿部謙一郎)

 もし、内海社長の支援がなく、この第20回大会が中止になっていたら……。初瀬さんの人生は今とはまったく違ったものになっていたことでしょう。

 

「……と、いうわけなんです」と、私は清心内海塾の方に一気にお話しました。すると、担当者の方は目を潤ませて「ぜひ初瀬さんに会いたい!」と。私は興奮して、すぐに初瀬さんにこのことを話しました。「ぜひ、お目にかかりたい!」。果たして、数週間後、初瀬さんと清心内海塾の方々との対面が叶ったのです。

 

 大会出場者と大会支援者として、お互いに交わることのなかった両者が、1枚の写真をきっかけにして交わることになりました。こんなふうに知らない人同士が知らないうちに関わっている「縁」があるのだと実感させられました。年の瀬に立ち会うことができたあったかいお話です。

 

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>

新潟県出身。パラスポーツサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。スポーツ庁スポーツ審議会委員。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。STANDでは国や地域、年齢、性別、障がい、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション事業」を行なっている。その一環としてパラスポーツ事業を展開。2010年3月よりパラスポーツサイト「挑戦者たち」を開設。また、全国各地でパラスポーツ体験会を開催。2015年には「ボランティアアカデミー」を開講した。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(廣済堂出版)がある。
 

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