2億1千万円の選手の穴を2億2千万円の選手で埋める――。FAで丸佳浩を巨人にさらわれた広島が狙っていたのは長野久義だった。制度的には「人的補償」を利用しての損失補填だが一見すると昭和風の「大型トレード」のようでもある。「3連覇している強い広島カープに選んでいただけたことは選手冥利に尽きます」とは自主トレのためロサンゼルスに滞在中の長野。本田圭佑風にいえば実にキヨキヨしいコメントだが、腹の中は煮えくり返っているに違いない。そう思いたい。いや、そうでなくては困る。長野があまりにも“いい人”過ぎてしまっては、これまでプロ野球が得意にしてきた“リベンジ・マーケティング”が成立しなくなるからだ。

 

 小林繁(故人)が阪神へのトレード通告を受けたのは1979年1月31日、場所はキャンプのため宮崎へ向け飛び立つ直前の羽田空港だった。 “空白の1日”を利用して巨人がかわした江川卓との契約は無効とされたが、コミッショナーの「強い要望」により江川の交渉権を持つ阪神との間でトレードが行われることになった。「まさかオレとは……」。巨人は沢村賞投手の小林に白羽の矢を立てたのである。

 

 タテジマのユニホームに袖を通すなり小林は監督のドン・ブラッシングゲーム(ブレイザー)に直訴した。「僕には巨人戦中心のローテーションを組んでください」。復讐の鬼と化した小林は、このシーズン、巨人相手に負けなしの8連勝(うち完封3)を記録するなど22勝をあげて、自身2度目の沢村賞に輝いたのである。

 

 細身のサイドハンダーの奮闘は球団の財布をも潤した。ホームでの入場者は当時としては史上最多となる前年比約19%増の165万8000人。花登筺が真っ青になるほどの“細腕繁盛記”ぶりだった。

 

 一方でスポーツの現場に「恩讐」を持ち込むべきではない、という声もある。お説ごもっともだが、プロ野球は「興行」でもある。「物語」なくして興行は成功せず、「情念」なくして物語は成立しない。

 

 このシーズンオフ、長野には「人的補償」というプロ野球用語が流行語大賞に選出されるくらいの奮闘を期待する。と同時に丸には旬の凄みを攻守両面で表現してもらいたい。人材の流動性に乏しいプロ野球にあって、FAの人的補償は活性化のための数少ないカードである。

 

<この原稿は19年1月9日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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