2011年春、晴れて大阪ガスに入社した松永昂大だが、野球部にどこか物足りなさを感じたという。社会人野球の強豪のレベルが低かったわけではない。「関西国際大学では野球の全てを教わった」。それほどまでに大学時代の4年間が濃いものだったのだろう。

 

愛媛新聞社

 

 

 

 

 松永が阪神大学野球連盟のリーグ戦で積み上げた勝ち星は23勝。ドラフト上位候補に挙げられながら、プロ志望届を出さなかった。そのこと自体に後悔はない。大阪ガスでは1年目から公式戦に出場した。「自分が野球選手と成長するために、次はプロを選んだんです」。律儀な松永は、年末に恩師である関西国際大の鈴木英之監督に“プロ志望”を報告している。

 

 関西国際大で1年後輩だった益田直也は、一足先に千葉ロッテに入団していた。益田は1年目から大車輪の活躍を見せた。72試合に登板し、2勝2敗1セーブ41ホールド、防御率1.67で新人王に輝いた。

「益田が僕より1年先にプロ入りしました。周りには“益田が活躍したからオレもできる”という理由でプロ志望に変わったと思われているのですが、僕の中ではアイツが大学4年生の時点でプロに行くと決めていたんです」

 

 結局、松永は大阪ガスで都市対抗野球大会、社会人日本選手権大会という全国の舞台を踏むことができなかった。それでも2年目には社会人日本代表候補合宿に呼ばれ、都市対抗にはパナソニックの補強選手として出場した。

「“ドラフトのためにアピールしよう”という思いは一切なかった。どう考えても助っ人ですよね。パナソニックからお金をいただいて野球をしているわけですし、簡単に言えば“ヘッドハンティング”みたいなものじゃないですか。それに僕がベンチに入ることによって、外れる選手もいる。だから結果を残さないといけなかった」

 

 背負ったものは小さいくない。ベスト8進出に貢献したものの、「僕のせいで負けた」と唇を噛む。JX-ENEOSとの準決勝。2回裏に2番手で登板した松永は、2-1の場面で井領雅貴(現中日)に逆転3ランを浴びた。「振り返ってはいないですが、社会人時代は打たれまくった印象しかない」。満足のいく結果を残せぬまま、社会人2年目を終えることとなった。

 

 12年秋のドラフト会議ではロッテに“外れ1位”で指名された。阪神、オリックス、ロッテ、東京ヤクルトの4球団が競合した大阪桐蔭高・藤浪晋太郎は阪神が抽選を引き当てた。くじを外したロッテとオリックスは松永を指名して競合した。抽選の末、ロッテが交渉権を獲得。会議の行方を松永は冷静に見つめていた。

「この年は社会人日本代表の候補合宿にも行きましたし、“ハズレ1位はワンチャンあるな”と思っていました」

 

 交渉権を手にしたロッテとは少なからず縁があった。

「僕らは大学時代、全国大会があると(千葉ロッテの2軍本拠地)ロッテ浦和を借りていたんです。当時のスカウト松本尚樹(現・球団本部長)さんがいつも来てくれていました。だから松本さんも知っていましたし、後輩の益田もいたので何も分からない球団ではなかったんです」

 生まれ育った香川県、そして大学、社会人と過ごした関西から離れることに不安はなかったという。「嫌いじゃないけど、のめり込んだほどではない」。そう思っていた野球は職業になった。

 

 変わらない姿勢

 

 松永の出番はルーキーイヤーから巡ってきた。開幕1軍入りを果たし、クローザー益田に繋ぐセットアッパーとして活躍。8月には先発へ転向するなど58試合に登板し、4勝1敗1セーブ28ホールド、防御率2.11の好成績でチームの3年ぶりのAクラス入りに貢献した。秋には野球日本代表の侍ジャパンに選出された。

 

 しかし2年目は「投げ方がわからなくなった」と言うほど苦しんだ。勝ち星こそ同じ4勝だが、登板数は46試合、負け数は3敗、ホールドは12、防御率は3.27と数字は目に見えて落ち込んだ。2軍に落とされる時間も少なくなかった。3年目は41試合に登板し、未勝利。防御率は3.72と数字だけ見れば右肩下がりの傾向だ。

 

 ところが浮上のきっかけを掴んでいたのもこの年だった。

「2軍にいた時がプロ入って一番調子が良かったと思います。2軍に落ちた浦和の室内練習場でピッチングするのですが、そこで左肘をしならせるイメージで投げたら、たまたまハマったんです」

 松永はシーズン終盤に1軍昇格を果たすと、13試合連続無失点と完全復活。クライマックスシリーズCS)でも4試合連続無失点と好投した。

 

 その後の松永は防御率こそ3点台続きだが、ロッテのブルペンで欠かせぬ存在となった。16年は53試合、17年は50試合、18年は60試合と左の中継ぎとしてマウンドに上がり続けている。被本塁打は16年からの3年間0本、1本、1本。誇るべき数字に思えるが、本人はどこ吹く風と言わんばかりだ。

「ホームランを打たれないに越したことはありませんが、そこまで気にしていません。“どうせ打たれるんやったら完璧なホームランを打たれたい”というのはあります」

 

 数字にこだわりはないと言う。「強いて挙げるなら、キャッチャーとの共同作業になりますが走者を一塁に置いた時の盗塁企画数ですね。一、三塁の場合だとキャッチャーは三塁ランナーも警戒するので別ですが、一塁だけの時に限っては走らせないことを目標にしています」。松永自身の感覚としては、クイック、牽制を駆使することで盗塁企画は阻止できているという。

 

 フィールド内外での飄々した姿は、ふてぶてしくも映るが、関西国際大の野村昌裕コーチは教え子を「裏表のない正直な子」と評する。同大の鈴木監督によれば、プロに入って以降も「散財したり派手なことをしない」と、その真面目で地に足着いた人間性は変わらないという。プロ入り後に買った車を今でも大事に乗っているエピソードからも、それは窺える。

 

 変わらないのはその姿勢だけではないのか。プロ入り後のピッチングフォームを見ていると、この6年間、投げ方は大きく変わっていないように映る。そのことを訊ねると、松永はこう答えた。

「1日たりともフォーム固めをしようと思ったことがない。逆に言えば(フォームは)毎日違う。同じフォームでしか投げられないなら、ずっと前にケガをしていたと思います。腕だけではなくポイントを見つけられるように練習しているんです」

 同じフォームで投げていない以上、映像では振り返らない。かといってメンテナンスを怠っているわけではない。彼の場合はルーティンで修正点を探る。

 

 球場入りした際、松永はバットを持ってブルペンに向かう。ティーバッティングにはじまり、走り込み、遠投、ウエイトトレーニングを行うのだ。このバッティングが彼のメンテナンス作業のひとつである。

「ピッチングと全く一緒ですね。ティーバッティングがダメだったら投げるボールも全然ダメ。しっかり打ててこそです。そこで力の入らない部分が分かるので、ピッチングにそのまま反映されます」

 大学3年生時からフリーバッティングはしていた。当時は「ただの娯楽でした」と気分転換のツールに過ぎなかったが、今では調子を測るバロメーターになっているのだ。

 

「打ち損じ待ち」のピッチング

 

 剛速球を持つわけでもなく、伝家の宝刀と呼べる変化球もない。その点では派手なピッチャーではないが、最新の侍ジャパンに選出されるなど依然として松永に対する周囲の評価は高い。

「今年は今年でわからない。目標は基本的にないですね。今年の目標はシーズン中に決めようかなと思っています」

 彼自身は決して大風呂敷を広げることはない。

 

 ただ“任された仕事を全うする”。だから左のセットアッパーに強いこだわりはない。

「僕より良いピッチャーが出てきたから、今のポジションに入ってくる。そういう世界なので、そうなったらそうなったで、考えればいい」

 

 松永は割り切り、悟りに近い境地にいる。相手をねじ伏せるのではない。だからピッチングにおける「打ち損じ待ち」と言うのは本音だろう。なぜならベストピッチを打たれることもあれば、コントロールミスを相手が打ち損じることもある。バットを折ったとしても外野フェンスを越えればホームラン、打ち取った当たりでも野手が捕れなければヒットになる世界だ。ピッチングの正解を見つけることは難しい。

「答え合わせは結果しかない。結局、過程が良くても結果がダメだったら意味がない。待ってなくても打てるようなコースや球種、“この場面でそれはないやろ!”というところに投げなければ良いと思う」

 

 チームで求める結果は当然優勝だ。ロッテは05年以来、リーグ優勝から遠ざかっている。10年にはレギュラーシーズン3位からの“下克上”でクライマックスシリーズを制し、日本リーズ制覇までこぎつけた。しかし、松永の入団以来、勝利の美酒に酔えていない。

「ビールかけがしたいです。だって楽しそうじゃないですか」

 肩肘張らず、あくまで自然体だ。闘志は表に出さない。胸に秘めたままボールを放る。

 

 上昇志向や欲がないわけではない。「現状に満足しているプロ野球選手はいないと思います。全然まだまだいける」。タフなサウスポーは幕張にチャンピオンフラッグをはためかせるため、淡々と、そして黙々とキャッチャーミットに投げ込む――。

 

(おわり)

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松永昂大(まつなが・たかひろ)プロフィール>

1988年4月16日、香川県大川郡志度町(現さぬき市)生まれ。小学3年で野球を始める。志度中、高松商業高校を経て、2007年に関西国際大学に入学。関西国際大では3年時より主戦となり、阪神大学リーグ春秋連覇に貢献。4年秋にも優勝を果たすなどリーグ通算23勝(3敗)を挙げる活躍を見せた。大阪ガスでは入社1年目から公式戦登板。2年目にはパナソニックの補強選手として都市対抗に出場、8強入りに貢献した。13年、千葉ロッテにドラフト1位で入団。1年目から主に中継ぎとして、58試合に登板し、4勝1敗1セーブ28ホールドで防御率2.11と活躍した。スリークォーターから投げる鋭く曲がるスライダーが武器。2年目以降も毎年40試合以上に登板し、ロッテのブルペンを支えている。NPB通算成績は308試合に登板し、14勝12敗1セーブ107ホールド、防御率は2.98。身長175cm、体重82kg。左投げ左打ち。背番号28。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

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