岩佐壱誠(帝京大学駅伝競走部/徳島県那賀町出身)第3回「一番下からのスピード昇格」
帝京大学駅伝競走部4年生の岩佐壱誠は中学時代、剣道部に属しながら駅伝大会前に結成される期間限定の部活に招集されていた。中学2年の冬に開催された徳島駅伝16郡市という郡市対抗戦を走った。その走りを見た徳島技術科学高校の陸上部顧問はこの時から岩佐に注目していた。
(2019年5月の原稿を再掲載しています)
そして、岩佐が中学3年の秋。徳島県駅伝を走った後に声をかけられたのだ。岩佐は「この高校に進学したかった。記録会でこのチーム(徳島科学技術高校陸上部)の人たちを見かけました。凄く速くて“格好いいなぁ”と思っていたんです」と憧れを抱いていた。
母親からのエール
徳島科学技術高校、通称“科技(かぎ)校”。この高校は2009年に県立徳島工業高校、県立徳島東工業高校、県立水産高校が統合してできた。全日制と定時制がある。前者には工業科と水産科があり就職に強い。陸上部は県下では強豪の類に入り、全国高校駅伝にも出場している。「考えていた進路はほぼ科技校一択。声をかけてもらって嬉しかった」と岩佐。何の躊躇もなく科技校陸上部の門を叩く決意した。
息子の意志を聞いた母・由香は岩佐にこうエールを送った。
「自分で決めたことで弱音を吐いたらあかんよ。自分に負けずに頑張ってきなさい」
4月になり岩佐は無事、希望通り科技校に進学した。彼は「就職率が一番高かったから」と電気工事などの知識や技術を学ぶ電気技術類・電気コースを選択した。自宅からは遠かったため、県立高校総合寄宿舎・徳島寮から学校に通った。
同校の陸上部の長距離はA、B、Cの3チームに分けて練習を行う。剣道部だった岩佐はCチームの一番下からのスタートだった。岩佐は「ちゃんとした陸上の練習を初めてやりました」と語り、入学当初をこう振り返る。
「インターバルさえやったことがなかった。最初は練習にもついていけず、毎日、足の筋肉痛がひどかった。走るのが楽しくなくなってしまった時期でした」
加えて岩佐が選択した電気コースは、入学翌日から国家資格取得に向けた補修が朝から課されていた。慣れない環境で心身ともに疲弊していくのが、想像できる。それでも彼は諦めることだけはしなかった。再び岩佐。
「本格的な練習を自分はやったことがない。“この練習にさえついてければ、体が慣れさえすれば”と思っていました。一番下が悔しかったから朝、自主的に他のみんなより走っていました」
岩佐はスポンジが水を吸うように急速に成長する。6月にはBチーム、夏にはAチームにスピード昇格を果たした。我が子の成長に、母・由香も目を細めた。
「“1年生の10月の記録会で1位を獲ったら県駅伝のレギュラーになれるかも”と私に言ってきたんです。それで“ほな、1位を獲るけん”と(笑)。私は記録会を見にいったんですが、本当に1位を獲って県駅伝のレギュラーになりました。入学した時はタイムが一番下だった。そこから這い上がった子なので、すごいなぁと思いました」
岩佐は見事、県駅伝の2区を走り区間新記録を達成した。“最強の素人”は環境が変わったことでランナーとして進化をとげたのだ。
修学旅行でまさかの事態!?
高校で親元を離れた岩佐。一学生としてはどうだったのか。ニコニコしながら懐かしそうに高校生活を振り返ってくれた。
「電気コースの朝の補修はしんどかった。入学した次の日からスタートしました。就職に強い、という理由だけで電気コースを選んだから補修があるなんて全然知らなかった(笑)。でもこのおかげで第二種電気工事士という国家資格を持っています。あと、科技校の生徒以外の人と同じ寮だったので寮生活は楽しかったです」
先に書いたように岩佐は県立高校総合寄宿舎・徳島寮に入った。この寮は科技校の生徒専用ではない。自宅から通学するのが困難な学生のために徳島県が建てた寮だ。徳島寮以外にも阿南寮、美馬東部寮、三好寮がある。
「一緒にテレビを見たり、他愛もないことを話したり、寮内のグラウンドで、みんなでバスケットをしたり……。男子の棟と女子の棟で別れていたので、男子校みたいな感じですかね。男子校のノリといいますか、暴れて騒いでいましたよ(笑)」
一部屋に先輩・後輩の2人で寝泊まりをする。寮生活は慣れるまでは精神的に疲れるかもしれない。だが、感性が磨かれる多感な時期に科技校生以外のたくさんの人と触れ合えることは貴重な機会だろう。取材中、岩佐に対し初対面の人にもきちんと話をしてくれる学生、という好印象を抱いた。物腰の柔らかさは思春期の大事な時期に、こういう環境で育ったことも関係しているのではないか。
学生生活で一番心に残っていることは「北海道の修学旅行」をあげた。徳島から北海道まで赴いたのにも関わらず、1日だけではあるが外出禁止の罰を受けたという。理由を聞くと岩佐個人が悪いわけではなかった。
「班員のみんなが悪かったんですが、自由時間前、班長が出発前の点呼を忘れてしまったんです。それで外出禁止になってしまって、部屋にいました」
旅行は3泊4日。1日だって惜しいはず。せっかく市街地を回れるはずの時間が「部屋で待機」になってしまった。この話を聞いたとき、正直、罰が厳しすぎではないかと思った。当時の岩佐の心情を慮りながら「その日、部屋で何をしていたのか」と質すと「暴れていました(笑)」と茶目っ気たっぷりに答えた。
転んでもただでは起きないタイプである。それくらいの図太さでないと、Cチームのビリスタートだった選手が10月には駅伝大会で区間新を叩き出せるまでに成長はとげられない。こんなところにも岩佐の魅力の1つが垣間見えた。
先述したように岩佐が科技校の電気コースを選んだ理由は就職に強いからだ。高校卒業後には就職を考えていた彼が、なぜ帝京大学進学に進路の舵を切ったのか。
(最終回につづく)
<岩佐壱誠(いわさ・いっせい)プロフィール>
1998年2月7日、徳島県那賀町生まれ。徳島科学技術高校進学後、本格的に陸上(長距離)を始める。すぐに頭角を現し、出場した都道府県駅伝、全国高校駅伝では全て1区を担当。16年に帝京大学に入学。1年時より3大駅伝(出雲、全日本、箱根)を走る。箱根では1年時7区。2年時1区。3年時7区。4年時よりキャプテンに就任。2018東京マラソンでは2時間14分でゴール。身長167センチ。体重55キロ。
(文/大木雄貴、写真提供/帝京大学)