帝京大学駅伝競走部4年生の岩佐壱誠は徳島科学技術高校、通称科技校の電気コースを選択していた。このコースを選択した理由は「就職率が高いから」だった。ところが高校2年の冬、進路を「就職」から「大学進学」に変更する。きっかけは箱根駅伝のテレビ中継だった。

 

 

 

 

 

 

 

 3年生の夏まで進路を固めないといけない。相談を受けた母・由香は「はじめは冗談だと(笑)。でも3年間寮生活を頑張った。きっとどこに行っても大丈夫だろう思いました」と当時を振り返った。

 

 岩佐の進路目標は箱根駅伝に出場する関東学生陸上競技連盟傘下の大学となった。その範囲は茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・東京・神奈川・山梨。ここで岩佐は運命の出会いを果たす。

 

 それは2年1月中旬、全国都道府県対抗駅伝の会場でのことだった。「(帝京大学の)中野孝行監督に声をかけられました。この時は挨拶程度だったんです。でも、この後に高校の監督伝いで“帝京大学から声がかかったけど、どうする?”と言われました」

 

 この時点で中野監督は既に岩佐の潜在能力を見抜いていた証左である。馬力のある岩佐の走りを指揮官はこう評価する。

「岩佐は骨が強い。足首はキュッとしていて、その上に筋肉が乗っている。サラブレッドのようなふくらはぎをしている。彼は中学生まで剣道をやっていた。この経験が非常に大きい。剣道で踏み込んだりして刺激を与えていたことで骨が強くなったのではないでしょうか。剣道の経験がうまく生きているのかなと思います」

 

 帝京一本の理由

 

 岩佐は最初に声をかけてくれた帝京大学を第一志望校に決めた。帝京大学からの条件は「全国の総体までに5000メートルを14分30秒代で走ること」だった。だが、ここで1つ疑問に思った。岩佐の目的は箱根駅伝を走ることだ。関東学連傘下で箱根に出場できる大学ならば何も帝京大学にこだわる必要はない。「他の候補は?」と水を向けると驚きの答えが返ってきた。

 

「もし総体で結果を出せず帝京に入学できなかったら進学は諦めて就職しようと決めていました」

 

 あまりにも大胆で極端な決断を、後日談ではあるがサラッと言ってのけてしまうのも岩佐のキャラクターだろう。そして、こう続けた。「僕自身も親を説得するために“帝京にいけなかったら就職する”みたいな感じで話をした気がします」。総体に向けて自分を追い込むための発破だったのだろうか。それにしても大胆な説得方法だが母・由香のコメントを聞いて納得した。

 

「壱誠には小さい時からどんな場面でもプレッシャーを与えて育ててきました。高校で陸上を始めて、追う側から追われる側になった。重圧はかなりあったはずですが、プレッシャーとは感じずに“楽しい”という思いが勝っていたのかなと思います」

 

 帝京大学の入学条件は5000メートルを14分30秒台で走ること――。このタイムに向けて彼はひとりで日々のトレーニングに打ち込んだ。設定タイムを上げ、インターバルトレーニングは負荷をきつくした。そして迎えた高校3年夏の四国総体。岩佐の記録は14分39秒09。夢はつながった。本人は「ギリギリでした」と笑った。試合観戦に来た中野監督と話し合い、帝京大学内定が決まった。

 

 “7区は2区”の意味

 

 極端な決断で自らにプレッシャーをかけ実行してみせた岩佐。帝京大学に入学し、彼の陸上人生は好転する。当初、「4年間で1度でも箱根を走ることができれば」と思っていた。しかし、1年生から3年連続で三大駅伝(出雲、全日本、箱根)を走る。

 

 箱根駅伝に限った話をすると岩佐は1年時から順に7区、1区、7区を担当している。7区が多い采配理由を中野監督に訊くと「“7区は2区”なんです」と独特の表現で口火を切り、この区間の重要性を解説した。

 

「箱根は往路と復路で分けるでしょう? 初日に5区まで走って次の日に6区の走者からスタートします。だから復路に限っていえば“6区は1区”で“7区は2区”に相当する。しかも往路の結果を受けて1区(実際は6区)は時差スタート。それで襷をもらう2区(実際は7区)は条件が特殊。序盤に上り下りがある中で、この区間で盛り返すためには安心感、安定感のある学生に走ってもらいたいんです」

 

 そして、岩佐の適正について。

「彼は安心感、安定感がある。監督としては好不調の波が激しい選手は起用しにくい。その点、彼は“最低限、これくらいで走ってくれる”と計算が立つ。実際、その通り走ってくれます」

 

 三大駅伝を3年連続で任されている岩佐。ランナーとして大きな経験をもう1つしている。彼は昨年2月に東京マラソンに挑戦し、2時間14分の好タイムで完走した。42.195キロに恐怖感はなかったのか。岩佐は走り切った感想も含めてこう答えた。

「しょっぱなだったので別にどんなタイムでもいいや、と。強い選手でも“30キロからがキツい”と言うんです。僕はそれを体験したかった。もう、キツいなんてレベルじゃなかった。走っているのに寒くて震え始めた。スタート前に中野監督から“ちゃんとゴールしたら1週間、徳島に帰省していい”と言われていて、そのためだけに走りました(笑)。あれがなかったら無理だったかもしれません」

 

 レース前は1キロ3分5秒ペースの集団ができると予想していた。岩佐はその集団についていくつもりだった。だが、飛び込んだ集団は1キロ2分50秒を切るハイペースだった。10キロほどついて行ったが、ペースが落ちる様子はない。すると岩佐は「僕はそんな練習をしていない。もう自分ひとりで走ろうと、切り替えました」と冷静だった。初レースにもかかわらず落ち着いて戦況を見ての好判断だった。

 

 ふてぶてしいほど冷静だったり、茶目っ気たっぷりだったり、大胆だったり……。岩佐にはランナーとしての魅力、人間としての魅力が詰まっている。彼の陸上競技歴はまだ6年。伸びしろは恐ろしいほどある。若くして42.195キロを経験したことも大きい。

 

 中野監督は岩佐についてこう語った。

「彼はまだ腹いっぱいトレーニングをしていない。今は潜在能力を高めるトレーニングをさせています。競技歴も短いし、まだまだ伸びる。あと、これは岩佐に限った話ではないのですが指導者として学生にいろいろ経験させることは大事だと思うんです。物事は諦めると失敗になり、諦めなかったら経験になるんです。うちは“日本一諦めの悪い大学(駅伝部)”と謳っています。現時点では失敗レースもあるだろうけど、それを経験して何年後に成果として表れる。彼らにはたくさんの経験をさせてあげたい」

 

 きっと岩佐には自分の走るべき道が見えているはずである。その道を大胆に力強く突き進んで欲しい。

 

(おわり)

 

岩佐壱誠(いわさ・いっせい)プロフィール>

1998年2月7日、徳島県那賀町生まれ。徳島科学技術高校進学後、本格的に陸上(長距離)を始める。すぐに頭角を現し、出場した都道府県駅伝、全国高校駅伝では全て1区を担当。16年に帝京大学に入学。1年時より3大駅伝(出雲、全日本、箱根)を走る。箱根では1年時7区。2年時1区。3年時7区。4年時よりキャプテンに就任。2018東京マラソンでは2時間14分でゴール。身長167センチ。体重55キロ。

 

(文/大木雄貴、写真提供/帝京大学)

 

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