愛媛・宇和島東高、済美高で指揮を執り、両校を選抜高校野球で初出場初優勝に導いた上甲正典監督が2日、胆管ガンのため、死去した。67歳だった。愛媛県三間町(現宇和島市)出身の上甲監督は薬局経営の傍ら、1976年に母校の宇和島東監督に就任。87年夏に同校を初の甲子園に導くと、翌88年春には“牛鬼打線”と呼ばれる強力打撃陣をつくりあげ、初出場初優勝を達成した。01年に新しく創部された済美高の野球部に監督として招かれると、短期間でチームを強化し、04年春には再び初出場初優勝の偉業を成し遂げた。同年夏には春夏連覇を逃すも準優勝。13年春にも準優勝を収めた。甲子園には計17回出場(宇和島東11回、済美6回)して25勝15敗の成績を残し、野球王国・愛媛を代表する指導者だった。
 教え子にも宇和島東高時代は平井正史(オリックス)、橋本将(元千葉ロッテ)、宮出隆自(現東京ヤクルトコーチ)、岩村明憲(ヤクルト)らがおり、4年連続でプロ選手を輩出した。済美でも04年春の優勝、夏の優勝に貢献した鵜久森淳志(北海道日本ハム)、福井優也(広島)らを育てた。

 今夏はドラフト1位候補と目される最速157キロ右腕・安樂智大を擁し、ガンに冒されていることを隠して采配をふるっていたが、3回戦で敗れ、甲子園出場はかなわなかった。その安楽に対しては、準優勝した13年春に初戦から決勝の6回まで、ひとりで772球を投げさせた起用法が議論を呼んだ。また、この8月には部員によるいじめ問題が発覚。来春の選抜につながる秋の県大会への出場を辞退していた。

>>二宮清純の記事「星空の妻に捧ぐ 上甲正典」はこちら(2004年6月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載)

 上甲監督といえば、ベンチで笑顔を絶やさない“上甲スマイル”が有名だった。日頃の練習では選手たちを厳しく指導し、“鬼”と恐れられていたが、甲子園ではどんな苦しい場面でも“仏”のような微笑みを浮かべていた。“上甲スマイル”の秘密を、二宮清純が訊いた10年前のインタビューを再掲し、故人のご冥福を心よりお祈りしたい。

二宮: 済美高校に就任されてわずか2年で甲子園に初出場して初優勝。上甲監督自身は宇和島東高時代に続く2度目の優勝。これは快挙としか言いようがありません。初戦以外はすべて1点差ゲーム。完封あり、大逆転ありと、まさに“上甲マジック”の連続でした。ベンチではさぞかし大変だったことでしょう。
上甲: いえいえ、私は何もしていません。グラウンドでプレーするのは選手ですからね(笑)。

二宮: ベンチの中では常に笑顔でしたね。選手もそれに応えるかのように伸び伸びとプレーしていました。こういうことは簡単なようで、実際はなかなかできないことだと思います。 
上甲: 皆さんは“1回から9回までずっとスマイルだった”と言いますが、笑えなくてベンチに座っておれないときもあったんですよ(笑)。そのときは一度ベンチ裏に引っ込んで、頭の中を整理してからまたベンチに戻っていたんです。
 選手がグラウンドで戦っているときに監督として何ができるのか。甲子園では声を出したところで通りやしません。サインを出して戦術を授けるのもひとつの手でしょうが、彼らが悔いを残さぬよう笑顔で見守ってやることが一番なんです。

二宮: 監督の笑顔が選手に安心感を与え、伸び伸びプレーへとつながっていると思います。ところで、鏡に向かって笑顔をつくる練習をしていると伺いましたが本当ですか。
上甲: ハハハッ。笑顔をつくるきっかけは昭和62年の秋季大会の時かな。師匠と慕う解説者の池西増夫さん(西条高出身)が僕に言ったんです。「上甲君、とかく日本のスポーツは悲壮感が漂いがちだが、本来、スポーツは楽しくやるもんじゃないのか。監督があれだけしかめっ面をしていてはダメだ」と。それからですね、ベンチで笑顔をつくるようになったのは。
 でも、いざスマイルをつくろうとしても簡単にはできない。どうしたらいい笑顔になるのか、これがわからない(笑)。表情だって、朝や夜、機嫌のいい時と悪いときではまったく違うでしょう。だから、いつでもいい笑顔ができるように鏡に向かって練習をしていた。“口はこれくらい開けよう”と……(笑)。

二宮: まるで女優さんみたいだ(笑)。細かいところにまで気を配っているんですね。
上甲: 自分では判断できませんから、女房にどれぐらいがいいのか見てもらっていたんです。初めは女房から「何やってんの!?」と大笑いされましたよ(笑)。

二宮: ベンチでの笑顔は努力の賜物なんですね。ところで、生徒へ指導する際、何か心がけていることはありますか?
上甲: 指導とは、実に深くていろいろな意味を持っている。選手を社会に送り出す一歩手前の大事な時期を預かっているわけですから、3年間で一社会人として認められるよう手助けをしなければならない。簡単な挨拶や言葉遣いなど、礼儀に重きを置き、そして「感謝の心」を持てるように指導したいと思っています。そのなかにはいろいろな決まりごとがありますが、とにかく3年間を貫き通して“何を学んで身につけたのか”を、自分の言葉で話せる生徒になってもらいたい。
 そして選手もさることながら、在校生や応援に甲子園へ足を運んでくれる皆さまにも、ともに喜びや悔しさ、感動などいろいろなものを味わっていただければと思っています。

二宮: 監督は優勝インタビューでも「応援してくれた人、一緒に戦った仲間のおかげ」と、自身のことよりもまず先に周囲へ感謝を口にしていましたね。
上甲: いろいろな人たちのサポートがあってこそ甲子園に出場することができた。生徒にもずっと感謝の気持ちが大切と指導してきましたから、インタビューの時は自然と感謝の言葉が先に出てきたんですよ。