9日、キリンチャレンジカップ2014が横浜・日産スタジアムで行われ、日本代表がベネズエラ代表に2対2で引き分けた。日本は序盤、FW本田圭佑がシュートを放つなど、押し気味に試合を進めたが、中盤以降はベネズエラに主導権を握られた。シュートまで持ち込まれる場面が多かったが、GK川島永嗣の好守などでなんとか劣勢をしのいだ。前半終盤には日本が決定機を迎えたものの生かすことができず、両者スコアレスで試合を折り返した。すると後半6分、途中出場のFW武藤嘉紀が先制点をマーク。13分にPK弾で追いつかれたが、21分にMF柴崎岳が勝ち越し弾を決めた。このまま勝利を掴みたかったところだが26分、DFガブリエル・シチェロのシュートを川島が後逸して再び同点。その後は勝ち越すことができなかった。勝ち切れなかったものの、若手2人が結果を出すなど日本にとって今後に向けて明るい材料も見受けられた。日本は今後、10月10日にジャマイカ代表(デンカS)、同14日にブラジル代表(シンガポール)と親善試合を行う。

 武藤、得意のドリブルから代表初ゴール(日産ス)
日本代表 2−2 ベネズエラ代表
【得点】
[日] 武藤嘉紀(51分)、柴崎岳(66分)
[ベ] マリオ・ロンドン(58分)、ガブリエル・シチェロ(71分)
「ム・ト・ウ! ム・ト・ウ!」
 スタジアムに大シュプレヒコールが巻き起こったのは後半6分だった。後半開始からピッチに立った武藤がセンターサークル付近でボールを持つと、そこからドリブルを開始。後方から相手に体を当てられたが、「ファールを狙ってくると思ったので、そこで倒れなければ絶対にチャンスになる」と考えていた武藤はうまくバランスを保って前進する。あっという間にPA手前までボールを運ぶと、横にスライドしてから左足を振り抜き、低く速いシュートをゴール右下に突き刺さした。

 武藤はハビエル・アギーレ監督から「いつも通りのプレーをしてきてくれ」と送り出されたという。チームは前半にチャンスを迎えながらも無得点で試合を折り返していただけに、停滞ムードを吹き飛ばしてほしかったのだろう。果たして22歳は指揮官の要求に応えた。6日のウルグアイ戦も途中出場で、ポスト直撃のシュートを放ったものの、全体的に動きは硬かった。しかし、この日は本人が「前の試合で硬さもとれた」と語るように積極的にボールに絡み、持ち味である仕掛けも鋭かった。
「途中からの出場なので、絶対にゴールを決めようという気持ちだった」
 狙いどおりに決めたゴールに武藤は「最高だった」と笑顔を覗かせた。

 このまま勢いに乗りたい日本だったが、13分に裏へ抜け出したMFアレハンドロ・ゲラをDF水本裕貴がPA内で倒してしまいPKを献上。これをFWマリオ・ロンドンにゴール右下へ沈められた。ただ、同点に追いつかれてなお、日本は勢いに乗っていた。16分、DF長友佑都が左サイドからゴール前にクロスを送り、反応したFW岡崎慎司がジャンピングボレー。これはわずかにゴール左へ外れた。

 迎えた21分、もうひとりの新星がスタジアムを沸かせた。柴崎がピッチ中央で武藤にパスを回し、武藤は左サイドへ展開した。受けた岡崎が左サイドをえぐってから折り返す。ファーサイドに流れたボールに走り込んでいたのが柴崎。バウンドしたボールを右足ボレーでゴール左下に蹴り込んだ。組み立てに参加し、労を惜しまずゴール前にも顔を出す柴崎の特徴がいかんなく発揮されたシーンだった。前半もクロスボールに飛び込むなど、らしさを見せていた。
「サッカーにはいろいろなかたちがある。いろいろなプレーをしたいというのは試合前から言っていた。足元で受ける場合もあるし、いろいろな状況がある中でクロスに飛び込むのもそのひとつ」
 柴崎はいつもどおり、淡々とこう語ったものの、中盤からの質の高い攻撃参加は間違いなく日本の武器になっていた。

 再びリードを奪った日本だが26分、シチェロに左45度の位置からロングシュートを打たれると、正面で捕球体勢に入った川島がまさかのファンブル。ボールは転々とゴールマウスへと吸い込まれた。結局、その後は勝ち越しゴールを生み出せず、アギーレ体制初白星はまたもお預けとなった。それでも指揮官は納得がいく結果だったようだ。

「結果は妥当だと思う。ミスも試合の一部だが、ミスをすると相手は見逃してくれない。それでも選手全員に満足している」
 アギーレ監督はこのように試合を振り返った。この日は2度の大きなガッツポーズを決めた場面があった。武藤と柴崎のゴールシーンである。抜擢した2人の22歳がともに結果を出したことについて指揮官は「新しい血が注入された」と表現した。もちろん、新しい血とは武藤、柴崎以外の若手も含まれているに違いない。

 柴崎が「個人としては満足いく部分もあった」と手応えを語れば、武藤は「(代表に)定着したいという気持ちがある」と日の丸への強い思いを口にした。ともに1992年生まれの22歳。彼らが新生ジャパンの旗手となり、チームの競争力を高める。それが9月の2試合で得た収穫といえるだろう。

(文・鈴木友多)