関東甲信地方は梅雨明けが発表され、いよいよ“夏本番”という感じですね。この7月、サッカー界にはたくさんの動きがありました。今回は僕の経験も交えながら、振り返ろうと思います。

 

 西野新監督はオフトやジーコになれるか!?

 

 ロシアW杯で日本代表の指揮を執った西野朗さんがタイ代表兼同国U-23代表監督に就任しました。日本サッカー協会はこれまで「アジア全体が強くならないと日本代表も強くならない」と言ってきました。西野監督就任をきっかけにタイ代表のレベルがグンと上がればいいですね。

 

 日本代表はホームで2017年3月、ロシアW杯アジア最終予選でタイ代表と戦いました。結果は4対0で日本代表が勝利しましたが、タイ代表の諦めない姿勢、プランを遂行しようとする姿勢は好感を持てました。この時、当コラムで「タイ代表は昔の日本代表に似ている」と書きました。

 

 タイサッカー協会は西野監督に、かつて日本代表を指導したハンス・オフトや、鹿島アントラーズにおけるジーコと同じような役割を期待しているはず。オフトは「アイコンタクト」「トライアングル」などといったサッカーの基本的な原理原則を選手に植え付けました。ジーコも「ボールコントロール」「インサイドパス」など基本を徹底させました。西野監督はタイに自身の理論をどう植え付けるのか楽しみです。成功すればサッカー市場において日本人指導者の価値も高まるでしょう。

 

 近年、この時期になると欧州強豪クラブが来日し、Jリーグクラブと対戦します。理由は2つ。1つはJリーグが海外で少しずつ認められてきたから。もう1つは日本企業が海外クラブのスポンサーだからでしょう。今年はチェルシー、マンチェスター・シティ(イングランド)とバルセロナ(スペイン)が来日しました。海外スターを生で観戦できるとあり、日本のサッカーファンは盛り上がっていました。

 

 選手にとってもまたとない機会です。自分をアピールできるチャンス。チェルシーと対戦した川崎フロンターレの東京五輪世代のMF田中碧あたりは手応えを得たと聞きます。こういった刺激をどんどん受けて成長につなげて欲しいですね。

 

 鹿島の根幹を築いたJ開幕前のイタリア遠征

 

 ヨーロッパクラブのプレシーズン、様々な事情で相手が来日しますが僕の本音は相手の“懐”、つまりアウェーで対戦してもらいたい。Jリーグ開幕前、僕が所属していた鹿島アントラーズはジーコの力も借りつつ20日間ほどイタリア遠征を行いました。これが僕個人にとっても鹿島にとっても大きな財産になりました。

 

 イタリアについてすぐ、3部のクラブと対戦しました。1対0で勝ったものの内容はずさんなものでした。日本で発揮できたパフォーマンスがアウェーでは全く披露できませんでした。消極的な姿勢で凡ミスを繰り返し、DF間の組織的な動きもチグハグ、シュートミスも散見されました……。「なぜ、アウェーに来たら何もできない!? オマエたちは何をするためにイタリアに来たんだ!?」とジーコの喝が入りました。

 

 それからはイタリアでグラウンドを借りてDFの組織づくり、チームコンセプトを再確認しました。合宿の中盤にクロアチア代表と対戦し、結果は1対8の完敗。まるで大人と子供でした。ここから「根本的な考え方と組織づくりを変えないといけない」となり、1日に朝、昼、晩の3部練習。DFのスライド、マークの受け渡し、サポートに入る際の角度……。ポジション争いと並行してみんなで修正しました。「勝つためにはどうするか?」と言い合いにもなりましたが、膿を出し切ったことでチームは同じ方向を向いていました。ただのケンカではないのでご安心を(笑)。

 

 合宿終了2日前にインテルとのトレーニングマッチ。結果は0対1の敗戦でした。しかし、失点はDFラインを崩されたものではなくアンラッキーなもの。Jリーグ開幕前に大きな手応えを得ることができました。そしてJリーグ開幕直前、ペプシカップでフルミネンセ(ブラジル)と2度対戦。1戦目は国立競技場で1対1の引き分け、2戦目、カシマスタジアムで2対0勝利しました。これで勢いに乗り、Jリーグファーストステージを制しました。

 

 アウェーの地で膿を出し切り、組織づくりを1から構築した末の結果でした。あの遠征があったからこそ、鹿島は他のクラブにない“揺るがない哲学”ができたように感じます。他のクラブにもぜひ、こういった経験を積んでもらいたいです。

 

 最後に、この夏は多くのJリーガーが海外に移籍しました。MF久保建英がレアル・マドリードに、MF安部裕葵がバルセロナに移籍。両者ともBチームからスタートとのことです。鹿島は安部の他に、FW鈴木優磨がシントトロイデン(ベルギー)に、DF安西幸輝がポルティモネンセ(ポルトガル)に戦いの場所を移しました。両者とも20代半ばの選手。サッカー選手としては脂ののった一番いい時期です。外の世界を見て、殻を破り、大きく成長して欲しいですね。

 

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)

<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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