東京・世田谷区にキャンパスを置く日本女子体育大学は、様々な競技で数々のトップアスリートを世に送り出してきた。前身の二階堂体操塾で言えば、日本人女性初のオリンピックメダリスト・人見絹枝がOGにいる。三段跳び、走り幅跳びの跳躍種目を得意としている河添千秋が、この名門大の門を叩いたのは、今年の春からだ。

 

 

 

 

 

 

 

 スピードを生かした跳躍が武器で、高校時代は三段跳びで12m96の高校日本記録を打ち立てた。身長157cmは跳躍選手として小柄な部類に入るが、それをコンプレックスにするのではなくモチベーションとしてきた。3年時には全国総合体育大会(インターハイ)、U20日本選手権の三段跳びで優勝。国民体育大会の幅跳びを制した。

 

 彼女は笑顔がルーティンだ。跳躍競技は試技前、記録員に「行きまーす!」と声を掛ける。その際の大きな声と笑顔は今や河添のトレードマークともなっている。彼女が笑顔で跳躍板に向かって飛び出すのには理由がある。

 

 小学6年時に出場した全国大会。走り幅跳びの自己ベストは出場選手中2位だった。しかし、結果は19位に終わった。「自分の中で変に背負ってしまい、初めての全国大会は緊張し過ぎて全然跳べませんでした」。苦い経験が彼女のルーティンを誕生させた。

 

 アドバイスを送ったのは父・伸顕だった。

「全国大会が終わった後、娘には『とにかく緊張する時ほど大きな声を出して笑顔でいこう』と話をしました。それがきっかけでルーティンとなり、今は自然と出ているかもしれませんが、最初は緊張を和らげるためのものでした」

 

「そんなにオマエは弱くない」

 

 しかし、この春、入学した日本女子体育大では、その笑顔が曇っている。競技中の笑顔は「楽しく競技をしようと自分に言い聞かせていました」と無理につくっていた。この頃は、持ち味である「スピードを生かした跳躍」ができなくなっていたのだ。

 

 5月の関東学生対校選手権大会で三段跳びが8位。走り幅跳びは決勝に進むことすらできなかった。7月の日本選手権には出場できたものの、三段跳びと走り幅跳びはいずれも決勝に残れなかった。

 

「女子選手が大学1年生になって伸び悩むケースは多いと聞きます。だから自分も苦労するだろうなとは思っていましたが、まさか自己ベストから1mも跳べなくなるとは……」

 伸び悩んでいたのは跳躍だけではない。日本選手権の翌週に行われた記録会で100mに出場した。記録は自己ベストから1秒近く遅いタイムだった。

 

“何のためにやっているんだろう”

 一時は競技を辞めることも本気で考えたという。日本選手権後、河添は両親に相談した。

「そんなにオマエは弱くないよ」

 返ってきた言葉が彼女を奮い立たせたのは間違いない。一方で、両親は環境が変わることでの苦労は予想していた。

 

 父・伸顕の述懐――。

「『1年目は絶対うまくいくわけない』とは本人にも言っていました。だから『想定の範囲内やろ? 本当に嫌なら辞めていいけど、そうじゃないならもう少し頑張ってみる価値はあるんじゃないか』と伝えました」

 

 苦しんだ時間は高く、遠くへ飛び立つための助走期間なのかもしれない。これまでもそうやって河添は、飛躍してきたからだ。

 

(第2回につづく)

 

河添千秋(かわぞえ・ちあき)プロフィール>

2000年9月23日、愛媛県北宇和郡鬼北町生まれ。小学4年で陸上競技を始める。中学1年時にジュニアオリンピックCクラス(中学1年生)の女子走り幅跳びで優勝。松山北高校に進学後、2年時にU18日本選手権の三段跳びを制した。3年時には四国高校選手権で日本高校新記録となる12m96をマーク。U20世界選手権で2種目(走り幅跳び、三段跳び)に出場。全国高校総合体育大会の三段跳びで優勝、走り幅跳びでは2位に入った。国民体育大会は少年女子A走り幅跳びを制し、同三段跳びは2位だった。U20日本選手権は三段跳びで優勝した。この春、日本女子体育大学に入学。自己ベストは走り幅跳び6m26、三段跳び12m96。身長157cm。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


◎バックナンバーはこちらから