河添千秋は中学1年で全国制覇を果たしながら、その後伸び悩んでいた。低迷から抜け出すために松山北高校への転校を選んだ。それは簡単な選択ではなかったはずだ。だが彼女は踏み切った。

 

 

 

 

 

 

 なぜなら同校陸上部の中山桂顧問は男子三段跳び高校日本記録保持者だった渡邉容史を育てていたからだ。「周りの先生からも県内で一番跳躍を教えられる先生」とアドバイスをもらっていたことも大きかった。2017年に地元・愛媛で行われる国民体育大会も控えており、県の強化合宿は河添の中学時代にも何度か開催され、直接指導を受ける機会もあった。

 

 しかし、高校入学後、すぐに劇的な変化が訪れたわけではない。むしろ新たな環境に慣れず苦しんだ。

「実は何をやっても幅跳びで結果が出なかった。5m30台で終始し、記録が伸びてこなかった。もしかしたら“来なきゃ良かった”と思ったかもしれませんね」(中山顧問)

 

 転機は三段跳びに挑戦したことだった。中山顧問は「気分転換にやらせてみたら、いきなりうまく跳べた。三段跳びを中心に、幅跳びは副種目にした方がいいのかなと考えました」と振り返る。

 

 どのあたりが三段跳びに向いていたのか。中山顧問が説明する。

「ホップ、ステップ、ジャンプのバランスですね。ポンポンポンと跳べる。やはり足が強く、耐えられるので潰れない。体幹もさることながらバランス感覚に優れていました。重心の上下動がない子は伸びる。彼女には将来性を感じましたね」

 

 河添の強みは走り幅跳びと同じ感覚で助走ができること。そうすることで助走のスピードを跳躍に生かせるのだ。「どちらかと言うと自然にできました。先生から教わったことをそのままこなしていただけなのですが……」。彼女の吸収力、理解力がもたらしたものである。

 

 苦しかったインターハイ

 

 2年生になると、その才能はようやく芽吹いた。全国高校総合体育大会(インターハイ)で三段跳び8位入賞。U18日本選手権では同種目優勝を果たしたのだった。飛躍のきっかけは1年の冬にあった。

 

 河添曰く「今まで経験したことがないくらいきつかった。体型も変わった」という冬期トレーニング。彼女の場合、高校から本格的な陸上の指導を受けたのだが、冬場に練習の強度が上がった。ウエイトトレーニングは持ち上げる重量が上がり、100mダッシュは距離や本数が増えた。

 

 厳しい練習に心が折れそうになったこともあった。

「同じ目標に向かって頑張っている子たちもいたので、私も頑張れました」

 心身共にきつい日々を乗り越えられたのは仲間の存在が大きかった。

 

 河添の父・伸顕は「やっぱり環境は大事だなと感じました」と述懐する。

「同じような目標やモチベーションを持つ選手たちが集まっていたので、練習の取り組み方も密度も変わってきたのだと思います」

 

 筋力強化によるスピードアップが飛躍に直結した。2年時の冬にも厳しいトレーニングに耐え、高校3年時はさらに実りのシーズンを迎えた。“勝ちたい”という強い思いが跳躍に繋がった。戦うのは己との勝負。6月、四国高校選手権大会の三段跳びで12m96の高校日本記録をマークしたのだ。

 

 この大会では、走り幅跳びでも優勝した。高校歴代8位タイとなる6m25を跳んだ。左足を痛めていた影響で、右足で踏み切った。どちらの足で踏み切っても6mを超えられる器用さも彼女の強みだった。

 

 飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続ける河添。彼女が「苦しかった」と振り返るのが、最後のインターハイだ。

「雑誌や新聞でも『絶対女王』という見出しで書かれました。弱気になったわけではありませんが、うまくいかなければ負けることもある。周りの期待が大きくなり、余計に“負けられない”との思いが強くなりました」

 

 高校日本記録保持者の肩書きもあり、三段跳びでは優勝候補の大本命に推されていた。それが重荷になっていたのだ。走り幅跳びで準優勝を収めた翌日、三段跳びに臨んだ。大きな大会ほど燃える性格。午前に行われた予選、1回目から大会記録を塗り替える12m69を跳んだ。1回の試技で予選を突破。午後の決勝に駒を進めた。

 

 決勝では安定した跳躍を披露。ただ1人、6回の試技全てで12m超えをマークし、インターハイ初優勝を成し遂げた。

「優勝が決まった瞬間、私は泣きました。うれし涙というよりは“やっと楽になれた”との思いが溢れてきたんです」

 

 インターハイを制した河添が、次に目指したのは高校3冠と13m超えだ。3冠は国体とU20日本選手権。13mの大台突破を最後に、彼女は競技引退を考えていたのだった。

 

(最終回につづく)

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河添千秋(かわぞえ・ちあき)プロフィール>

2000年9月23日、愛媛県北宇和郡鬼北町生まれ。小学4年で陸上競技を始める。中学1年時にジュニアオリンピックCクラス(中学1年生)の女子走り幅跳びで優勝。松山北高校に進学後、2年時にU18日本選手権の三段跳びを制した。3年時には四国高校選手権で日本高校新記録となる12m96をマーク。U20世界選手権で2種目(走り幅跳び、三段跳び)に出場。全国高校総合体育大会の三段跳びで優勝、走り幅跳びでは2位に入った。国民体育大会は少年女子A走り幅跳びを制し、同三段跳びは2位だった。U20日本選手権は三段跳びで優勝した。この春、日本女子体育大学に入学。自己ベストは走り幅跳び6m26、三段跳び12m96。身長157cm。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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