「高校で陸上を辞めようと思っていたんです」

 インタビューの際、河添千秋の口から飛び出したのは、意外な言葉だった。女子三段跳びの高校記録保持者。全国高校総合体育大会(インターハイ)も優勝した。だから更なるステップアップを望んでいると思っていた。だが彼女は現在も日本女子体育大学で陸上を続けている。それはなぜか――。

 

 

 

 

 

 

 

「最後の試合で13mを跳ぶことができなかった。それで13mを跳んで高校時代の中山(桂)先生を喜ばせたいと、大学でも続けようと思ったんです」

 最後の試合とは昨年10月に福井で行われた国民体育大会だ。少年女子走り幅跳びは優勝したものの、同三段跳びは2位だった。目指していた三段跳びでの高校3冠も逃した。

 

 彼女の恩師である松山北高校陸上部の中山顧問も後悔の念を抱いているという。

「6回目に一言掛けていれば、ひょっとしていたかもしれない……」

 3回目に12m64を記録し、トップに躍り出た河添だったが、自身はファウルに終わった4回目に抜かされた。5回目は12m53と記録は伸びず。逆転優勝の望みをかけた最後のチャンスだった。

 

 中山顧問は悔しさをにじませながら、続ける。

「13m超えるための調整もうまくいっていました。私の慢心。調子が良かったので、きちんと踏み切り板を踏めれば、“勝てる”と思っていました。しかし6回目はファウル。着地点は13mを超えていました」

 

 河添は公式戦で記録したことはないが、国体のようにファウルになった跳躍で13mを超えた経験が何度もある。13mに届く――。そう実感を持ちながら跳び続けている。

 

 高校卒業後の進学先に選んだのは日本女子体育大だ。跳躍種目の専門家である吉田孝久監督と石塚浩コーチがいる。石塚コーチとは彼女が中学2年の時に出会っている。松山北高校の中山顧問とは筑波大学同期でもあった。そういった縁もあり、河添は飛躍を誓い、地元愛媛から東京へ飛び立った。

 

 自立と自律

 

 しかし大学進学後は順風満帆とはいかなかった。春先にケガをし、満足に練習を積めずにいた。新たな環境に馴染むのにも時間を要した。大学1年目とはいえ、関東学生対校選手権大会(関東インカレ)、日本選手権、日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)の成績は振るわなかった。一時は「辞めたい」とさえ思った日々もあった。

 

 そんな彼女を思い留まらせたのが、両親からの「そんなにオマエは弱くないよ」との言葉だったとすれば、背中を押したのは7月に出場した愛媛選手権大会のことだった。

「記録的に全然ダメでした。走り幅跳びでは高校生にも負けた。いろいろお世話になってきた先生たちに叱られるか、呆れられると思っていました。でもこんな状態でも周りは誰も責めない。それどころか“頑張れば絶対戻ってこれるよ”と言ってくれたんです。みんなが私を見捨てないで応援してくれている。だから“頑張ろうと”思えたんです」

 

 10月に日本女子体育大の陸上競技場を訪ねた時、彼女は確かめるようにダッシュ、そして跳躍を繰り返していた。何かを取り戻そうともがいているというよりは、視線はしっかりと前を向いていた。高校時代は走り幅跳びと三段跳びで変わらない助走スピードを維持できていた。

 

 しかし、それは「自然とできていた」ものだった。だから助走が狂った時、修正する術を持ち合わせていなかった。「自己分析が得意ではありませんでした。高校の跳べていた時期にしっかりと分析を積み重ねていたら、記録が伸びなくなった時に対応できたかもしれない。“もっと競技に向き合っておくべきだった”と強く感じています」

 

 筋力減によりスピードが落ちたことも、記録が伸びないことと無関係ではない。「スピードが戻れば大丈夫だと思います」と、松山北の中山顧問は彼女の復活に期待している1人だ。石塚コーチは「運動修正能力が高い」と評価する。その一方で課題を挙げた。

「あとはシニアのトップ選手が持っているものの考え方、トレーニングに対する姿勢や取り組み方が重要になってくる。自分の足で立てる選手。自立と自律を持ち合わせないとトップ選手にはなれません」

 

 陸上はほぼ身ひとつで記録に挑む己との戦いだ。記録が伸びない今こそ彼女の力を試されている時なのかもしれない。

「陸上が好きというよりは勝ちたいから続けているところもあります。練習がきつかったり、プレッシャーが重く感じることもありました。それでもやっぱり勝ちたいから練習するし、試合にも出る。勝った時が一番うれしいですね」

 

 現在の目標は高校時代から上方修正した。「13mは通過点」。13m65という日本インカレの大会記録を塗り替えることだ。これは今年、河添が出場した日本インカレで生まれたものだ。彼女は競技を大学限りと考えている。しかし、この4年間で河添が目指していた到達点に立てば、新たに見えてくる景色があるはずだ。その時、彼女はどんなステップを選ぶのだろうか――。

 

(おわり)

 

(最終回につづく)

>>第1回はこちら

>>第2回はこちら

>>第3回はこちら

 

河添千秋(かわぞえ・ちあき)プロフィール>

2000年9月23日、愛媛県北宇和郡鬼北町生まれ。小学4年で陸上競技を始める。中学1年時にジュニアオリンピックCクラス(中学1年生)の女子走り幅跳びで優勝。松山北高校に進学後、2年時にU18日本選手権の三段跳びを制した。3年時には四国高校選手権で日本高校新記録となる12m96をマーク。U20世界選手権で2種目(走り幅跳び、三段跳び)に出場。全国高校総合体育大会の三段跳びで優勝、走り幅跳びでは2位に入った。国民体育大会は少年女子A走り幅跳びを制し、同三段跳びは2位だった。U20日本選手権は三段跳びで優勝した。この春、日本女子体育大学に入学。自己ベストは走り幅跳び6m26、三段跳び12m96。身長157cm。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

☆プレゼント☆

 河添千秋選手の直筆サイン色紙をプレゼント致します。ご希望の方はこちらより、本文の最初に「河添千秋選手のサイン希望」と明記の上、郵便番号、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、この記事や当サイトへの感想などがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締め切りは2019年11月30日(土)迄です。たくさんのご応募お待ちしております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


◎バックナンバーはこちらから