快進撃が続く日本バドミントン界。11月26日現在のBWF世界ランキングを見ても全5種目で日本勢がベスト5以内に名を連ねており、国際大会でも優勝、メダル獲得を重ねている。躍進の理由は2004年にパク・ジュボンHCが就任したことと、ナショナルトレーニングセンター(NTC)など強化体制の充実が挙げられるが、選手やコーチたちをサポートするスタッフたちの尽力もその一端にある。ナショナルチームを陰ながら支えている1人がアナリストの平野加奈子だ。

 

 

 

 

 

 

 

 平野がナショナルチームに関わるようになったのは2011年からである。それからロンドンオリンピック女子ダブルスの銀メダル、リオデジャネイロオリンピックの女子ダブルス金メダルと女子シングルスの銅メダルなど数々の栄光を目にしてきた。

「意識の変化を感じますね。私が始めたばかりの頃は世界大会で準決勝、決勝に1種目でも進めば“すごい”という評価でした。今はチーム全体がそこでどう勝つかを考えていると思います」

 

 7年前、ロンドンで女子ダブルスの藤井瑞希&垣岩令佳組が準優勝。2人が胸に飾った銀色の勲章は、日本バドミントン界がオリンピックで初めて獲得したメダルだった。

「パクさんやテイ(中島慶コーチ)さんが決勝終わった後、すごく悔しがっていたのが記憶に残っています。“あそこがダメだった”と反省していた。“目指しているところは世界一なんだな”と」

 大学までは日本一を目指すプレーヤーだった平野が、今や世界一を目指すチームの一員である。

 

 彼女にここまでの日本バドミントン界の好成績に貢献した自負はあるかと訊ねると、首を横に振る。

「それはそんなにないですね。ただ選手やコーチと一緒に挑戦したい。それぞれ目標は違うと思いますが、目標達成のためにどういう分析ができるかという視点は常に持つようにしています」

 

 プレーヤーとしての経験

 

 ナショナルチームはA代表、B代表に分けられる。12月の全日本総合選手権大会の成績などを踏まえ、翌年のチーム編成が決まる。メンバーが変わっても平野は主にA代表に帯同する。選手たちが毎週のように合宿、遠征に飛び立つように平野も多忙な日々を送っている。

 

 試合、練習を撮影し、その映像を選手、コーチに渡す。分析の依頼があればリクエストに応じたデータを炙り出のだ。その地道な作業の繰り返しである。

「答えを求められる時にはものすごく考えます。いろいろな情報を収集してから提示する」

 

 現役時代のプレースタイルは拾って、拾っての粘りのバドミントンだったという。アナリストにも得意とする分野、キャラクターがある。

「私はバドミントンをしていたのでプレーヤー目線に近いところが強みだと思います。もうひとつ大事にしていることはコミュニケーションです。例えば統計学、バイオメカニクスなど何か学問的な専門性が高いわけではないので、私のスタイルにはコミュニケーションが絶対必要。基本的には担当コーチの考えを優先しつつ、疑問に思ったことはどんどん投げ掛けるようにしています」

 

 データの分析は撮影した映像を基に行うが、映ったものだけを当てにしない。平野は「直接見ることで伝わってくる空気感もある」と言う。

「私は目で見た感じた部分も大事だと思っています。ある日の選手のプレーが良くなかった時、その原因はどこにどう打ったかだけではない。メンタル、フィジカル面にも影響される可能性がありますし、総合的に判断しないといけません。だから選手の表情などにも気を付けて見ています」

 

 先述したように彼女は元プレーヤーだ。10歳でバドミントンを始め、日本一を目指して、もがいた経験がアナリストとしても生きている。

 

(第2回につづく)

 

平野加奈子(ひらの・かなこ)プロフィール>

1988年12月21日、香川県高松市生まれ。小学4年でバドミントンを始める。香川スクール、高松高校、筑波大学まで現役を続けた。全国大会、国体などの出場経験はあるものの、目立った成績は残せなかった。11年にバドミントン日本代表の分析スタッフ入りし、現在に至る。日本代表選手の国際大会の多くに同行。オリンピック、世界選手権などのメダル獲得に貢献した。中学時代は陸上(1500m走)で四国1位になったこともある。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

 


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