(写真:初のベスト8入りを果たしたジャパンの躍進が大会の成功を支えた Photo by Clive Rose-World Rugby via Getty Images)

 南アフリカ代表(スプリングボクス)の優勝で、6週間以上に及ぶ熱狂の宴は幕を閉じた。アジア開催となったラグビーW杯日本大会はまだ蒸し暑さの残る9月20日に開幕した。決勝戦を迎える頃にはすっかり秋模様になっており、祭りの終わりを感じさせた。大成功と言われた大会を振り返る。

 

 誇りと信念の大会だった。

 

 スプリングボクスはプールBの初戦で敗れながらも、6連勝で覇権を手にした。過去8大会は全て全勝チームが制しており、プール戦で負けたチームの優勝は初の快挙だった。スプリングボクスはセットプレーに絶対的なプライドを持っており、スクラムとラインアウトで他を圧倒した。マイボールラインアウトは1回しか相手に奪われなかったし、決勝戦ではスクラムで何度もペナルティーを獲得した。

 

 日本代表(ジャパン)のスローガン「ONE TEAM」という言葉を体現していた国でもあった。FLヤシ・コリシはチーム初の黒人キャプテン。“レインボーネーション“と呼ばれる多民族国家の象徴的存在である。

「力を合わせればひとつの目的を達成できることをお見せできた」

 ラグビーが宗教とも言われる南アフリカに与える影響は大きい。

 

(写真:決勝戦後の日産スタジアム。祭りの後の静けさに包まれていた)

 チームがひとつになれたのは18年3月に就任したラッシー・エラスマスHCの存在を抜きには語れない。低迷していたスプリングボクスを見事に立て直した名将を、SHファフ・デクラークは「スプリングボクス、選手を信じている」と紹介する。選手との信頼関係は厚く。それはプール初戦でオールブラックスの敗れても揺るがなかった。「コーチは『できる』と言ってくれた。私たちはそれを信じることができた」(コリシ)

 

 3大会ぶりにW杯を制し、世界ランキング1位にも10年ぶりに返り咲いた。エラスマスHCは「選手たちが自分たちを信じた結果」と称えれば、決勝でプレーヤー・オブ・ザ・マッチを獲得したNo.8ドゥエイン・フェルミューレンも「互いを信じて戦うことができた」と続いた。3日に行われたワールドラグビーアワードでは、主要タイトルをスプリングボクスが総ナメ。信念を貫いて得た世界一の称号だ。

 

 ジャパンの芯

 

 ジャパンの躍進は大会が成功したと言われる理由のひとつだ。史上初のベスト8進出。試合日に赤白のジャージーを見かけないことはなかった。大会が進むにつれ、その数は増していったように感じた。

 

(写真:調布市のファンゾーン。日本対アイルランド戦の当日は長蛇の列ができていた)

 優勝したスプリングボクス同様に信念と誇りを貫いたことが好結果を生んだ。開幕戦でロシアに勝利すると、続く優勝候補にも挙げられていたアイルランドを破った。試合後、キャプテンのFLリーチ・マイケルが「“勝つ”“勝ちたい”というメンタリティーが一番重要だった。やってきたことを信じること。意思統一できたことが勝因だと思う」と語っていた。

 

 準々決勝でスプリングボクスに敗れ、ベスト8で大会を終えた。キャプテンのリーチは「このチームのキャプテンで誇りに思う」と何度も口にし、指揮官のジェイミー・ジョセフHCからも「このチームを誇りに思う」という言葉を度々発した。司令塔のSO田村優は準々決勝後、こう胸を張った。

「史上最強で史上最高のチーム。31人が歴史に残る素晴らしいプレーヤー」

 

 4年前のイングランド大会で“世界にも負けない”スクラムを見せたが、今大会は“世界にも勝てるスクラム”だった。強豪相手にスクラムで押し込み、ペナルティーを獲得する場面もあった。世界に誇れる武器をつくり上げたのが長谷川慎スクラムコーチだ。

 

 HO堀江翔太は「慎さんのスクラムをやれば押されない」と絶大な信頼を寄せていた。PR稲垣啓太も「全員が慎さんをリスペクトしていましたし、慎さんのやり方に皆が耳を傾けていた」と証言する。「慎さんのスクラムが世界に通用すると証明できた」と稲垣。信と慎で築いた芯が、ジャパンに新たな扉を開かせた。

 

 オールブラックスの誇り

 

 ジャパン以外にも試合後の会見で「誇り」という言葉を多用していたのが、オールブラックスのスティーブ・ハンセンHCだ。オールブラックスは8月にウェールズ代表から世界ランキング1位を奪われるまで、その座を約10年もの間守り抜いた。大会2連覇中の王者を率いる指揮官のコメントには王国の矜持が滲んでいた。

 

 初戦でスプリングボクスに勝利を収めた。「優勝するためには全戦勝たないといけない。負けたら歴史が終わってしまう。全試合決勝だと思って戦う」。そのままプール戦は負けなして勝ち上がった。

 

(写真:3位決定戦が行われた味の素スタジアムの最寄り駅・飛田給の様子)

 準々決勝でアイルランドを下した際には、戦いの前の儀式ハカをアンセムの大合唱で邪魔されても動じなかった。その際、「いい試合運びをすれば観客はコントロールできる」との強気な発言を残した。

 

 準決勝でイングランドに敗れ、3連覇を逃した際には「痛みはあるが恥ずかしくはない」と話し、こうも言った。

「勝った時も負けた時も性格が出るが、同じ人間でい続けなければならない」

 最後まで自らの誇りを見失わなかった。

 

 そして3位決定戦では試合後の記者会見で自ら切り出した。

「まずはチームがどれだけ誇りを持っているかを話します。準決勝で敗れ、“試合をしたくないんじゃないか”と思われた中で、ジャージーに誇りを持っているところを見せられた。これで誇りを持ってニュージーランドに帰れます」

 今大会限りでチームを去る名将は、銅メダルと誇りを胸に母国へ帰還する。

 

 ブームをムーブメントに

 

(写真:満足げな表情で総括会見に臨んだWRのボーモント会長)

<4年に一度じゃない。一生に一度だ。>

 壮大なキャッチコピーがついた大会は祭りの雰囲気で彩られていた。スタジアムに向かうまでの道のりは高揚感が漂っていた。公式なのか分からないグッズを売り出す露天商がいたり、ビールをあおっている者もいた。日常から非日常へ――。世界中から人が集まったことにより、そのスペシャル感は一層増した。

 

 そのほかではアイルランドの外国人サポーターが印象的だった。緑のジャージーを着た集団をスタジアムに向かう途中、何度も見掛けた。それがアイルランドの試合ではなくてもだ。彼ら彼女らは勝っても負けても、試合をしていなくてもビールを片手に陽気だった。電車内で『アイルランズ・コール』の大合唱。ラグビーは生活の一部であると同時に勝ち負けだけがすべてじゃない。そう教えられた気がした。

 

 大会組織委員会の発表によると、今大会の観客動員は170万4443人。決勝の日産スタジアムには7万103人を集めた。これはサッカーの2002年日韓W杯決勝での同スタジアム最多観客動員数(6万9029人)を上回るものだった。チケットの売り上げは約184万枚。12の開催都市で全16カ所に開設した公式イベントスペース「ファンゾーン」には約113万7000人の来場者があったという。

 

 ワールドラグビー(WR)のビル・ボーモント会長は「最も偉大なW杯として記憶に残る」と称える。大会組織委員会の御手洗冨士夫会長は「皆がスクラムを組み、オールジャパンで得た大きな成果」と大会成功に胸を張った。

 

(写真:試合後半にスタジアムの一角が空席となっていたエコパ)

 残念に思ったのは10月9日のスコットランド対ロシア戦だ。静岡・エコパスタジアムで行われた試合には、4万4123人の観客が詰め掛けた。しかし、後半途中になるとスタンドに空席が目立った。そこは小学生か中学生が集まっていたエリアだった。前半で勝敗が決してしまったことや混雑を避けるための措置だったのかもしれない。両チームが健闘を称え合うノーサイドの瞬間こそ、子どもたちにも見せてほしかった。

 

 ベスト8を果たした後、W杯を開催した後こそ大事である。日本ラグビーフットボール協会の森重隆会長は「新たなスタート。この盛り上がりをどう繋げるのかが大事だと思います」と意気込む。強化の上でも貫いた誇りと信念を次に繋げなくてはいけない。日本ラグビーの隆盛は、W杯の余熱だけで極められるほど甘くはない。二の矢、三の矢を放つ必要がある。来年のトップリーグ、再来年に新しくスタート予定のプロリーグを起爆剤にしたい。ブームをムーブメントに――。

 

(文/杉浦泰介)