「我々は戦争を求めていない」と述べたトランプ大統領が命じたのは、無人機によるイラン要人の殺害だった。イラクにある米軍基地に向けて弾道ミサイルを発射した後、イランのザリフ外相は「事態のエスカレートや戦争を望んではいない」とツイートした。ギャグなのか? と突っ込みたくなるほど矛盾したやりとりの応酬が、連鎖拡大反応を引き起こさないことを祈るしかない。

 

 調べてみてビックリした。いまから40年前、日本や米国が参加をボイコットしたモスクワ五輪。そのきっかけとなったソ連のアフガン侵攻は、79年12月27日のことだったという。大会が始まるわずか7カ月前だったのだ。

 

 翌月には当時の米国カーター大統領がボイコットを提案し、紆余曲折の末、日本も米国に従った。選手たちからすれば青天の霹靂。柔道の山下が、マラソンの瀬古が言葉を失う姿は、五輪本大会よりはるかに印象に残っている。

 

 きっと40年前の1月も、選手だけでなく、一般のファンも、7月の五輪に参加するのは当たり前だと思っていたことだろう。いま、わたしたちが7月に五輪がやってくるのは当然だと思い込んでいるように、である。

 

 ひょっとしたら、91年1月17日に始まった湾岸戦争のように、五輪にはさしたる影響を及ぼさない可能性もある。そうなってくれたら、湾岸戦争と違って犠牲者を出さずにすんだら、どんなにいいことか。

 

 ただ、仮に今回の事態がエスカレートすることなく収束したとしても、楽観はできない。中東の人々にとって、サッカーのW杯は自分たちも参加するなじみ深い大会だが、五輪は違う。W杯を標的としたテロがおきたことはないが、五輪はテロを経験している。

 

 そして、テロを企てようとする人間が皆無だったとしても、開催する側は極めて高いレベルの警戒体制を求められる。より厳しくなるセキュリティーチェックは、会場に足を運ぶファンを疲弊させ、五輪の楽しみを著しく削いでしまうだろう。

 

 折しも、前日からはタイでU-23アジア選手権が始まった。日本にとっては単なる強化の場、選手をふるいにかける場でしかないが、その他の参加国にとっては東京五輪の出場権がかかった重要な大会だ。

 

 そして、この原稿を書いている8日午後の段階で、AFCのホームページには何の“異常事態”も起きていないし、韓国や中国、ウズベキスタンと同居する厳しいリーグに入ったイランは、予定通り大会に参加するものとみられている。つまり、外交的には極めて緊迫した状態にありつつも、サッカーに関しては独立性が保たれているということになる。

 

 令和最初の天皇杯で神戸が初戴冠し、リバプールに移籍した南野はまずまずといっていいデビューを果たした。出来うんぬんより、マージーサイドダービーで先発起用されたこと自体が凄い。五輪も控え、すべてがバラ色に見え始めたところで飛び込んできた中東からのニュース。いまは、権力者たちのツイートが本心からのものだったことを祈るしかない。

 

<この原稿は20年1月9日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


◎バックナンバーはこちらから