現在、法政大学体育会陸上競技部に所属する清家陸は愛媛県西予市で生まれ育った。西予市は愛媛県の南西部に位置し、海も山も草原もある。自然豊かな土地で清家は育った。体力強化のため、保育園児の頃から水泳を習っていた。父・真二は「お遊戯会のダンスはリズム感があり、とても上手に踊っていました」と懐かしそうに振り返った。

 

 

<2020年3月の原稿を再掲載しております>

 

 小学校に入ると放課後に鬼ごっこ、ソフトボール、サッカーを仲間とやるのが好きだった。「あまり家にいなかったです。とにかく走りまくる遊びしかしていなかったと思いますよ」と清家。走ることが好きな少年だった。どのタイミングで陸上に興味を持ったのか、と質すとこう返ってきた。

 

「6年生の時の校内マラソンで1位をとりたいという目標ができたことと、父の影響です」

 

 父・真二は、中学から陸上部に属し、大学まで競技を続けた。「私は800mが得意な中距離ランナーでした」と言う。

 

 清家の通った宇和町小学校は毎年2月、校内マラソンを実施していた。1・2年生の部、3・4年生の部、5・6年生の部と全学年を3つに区切って行われた。

 

 なぜ、校内マラソンが今につながるきっかけとなったのか。

「1年生の頃から走っていましたが、5年生まで順位はずっと10番台だったと思います。最後の校内マラソンで“1番をとりたい”と目標ができたんです」

 

 朝夕の自主練

 

 5年生までの清家にとって校内マラソンは1つの学校行事にすぎなかった。しかし、目標ができた途端、熱が入った。法政大学陸上部・坪田智夫駅伝監督は「目的や目標を自分で作って練習に取り組めるのが彼の長所」と清家を評した。この頃からすでにゴールを設定したらひたむきに頑張る少年だった。清家は友人を誘い、計画的に朝夕の自主練習を始めたのだ。

 

 6年生の5月から翌年2月の校内マラソンに向け、自主練習が始まった。早朝5時半から自らが作った3kmのコースを走った。「ペースとかは考えずに、その時はひたすら走っていました」と笑顔で語った。

 

 夕方は父、もしくは母に宇和運動公園内にある陸上トラックへと行って連れてもらった。父・真二は夕方の練習では一緒に走ったという。

 

「子供たちはまだ6年生でしたから、私が後ろからついて走ったり、暗い道は先導したりしました。6年生のマラソン大会が2kmだったので、1周300mのトラックを10周。時にはタイムを計って1周を全速力で走ったりしました。アドバイスはせず、本人の自主性に任せていましたよ」

 

 かつて自分がやっていたスポーツを息子が始めたことは「嬉しかったですよ」と父は付け加えた。

 

 迎えた2月の本番。清家は2位でゴールした。優勝にはあと一歩及ばなかったが、「2位でも、この時は嬉しかったです。そこからですね、長距離って面白いなと思ったのは」と笑った。

 

 長距離の楽しさに惹き付けられた清家はこの後、走るのが好きな仲間と宇和町内駅伝大会に参加する。1区を担当し、見事に駆け抜けた。さらに、町内で開催された陸上クラブの練習にも参加した。そこで、後に清家が進学する中学校陸上部の指導者を務める清家勲コーチと出会う。「清家コーチは僕のことを、陸上の世界に引き込んでくれた人だと思います」と振り返る。同じ姓だが、血縁関係はないという。

 

 中学生になった清家は、陸上部に入部する。そこから本格的に陸上にのめり込むようになるのだった。

 

(第3回につづく)

 

<清家陸(せいけ・りく)プロフィール>

2000年3月15日、愛媛県西予市生まれ。小学6年時、自身で早朝にマラソンの練習をしたことがきっかけで長距離に興味を持つ。中学から陸上部に所属する。2015年、愛媛県立八幡浜高校に入学。徐々に頭角を現し、中心選手となる。2018年、法政大学陸上部に入学。2019年度の3大駅伝(全日本、出雲、箱根)を走った。身長163センチ、体重49キロ。

 

(文・写真/大木雄貴)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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