清家陸は小学校卒業間際、地元で開催された陸上クラブに参加した。そこで清家勲というコーチと出会った。「同姓ですが血縁関係はない」という。勲コーチは清家が進学する西予市立宇和中学校陸上部の顧問も務めていた。清家の長距離ランナーとしての素質を見抜き、中学入学後は陸上部に入ることを勧めていた。

 

 

<2020年3月の原稿を再掲載しています>

 

 清家は宇和町内の駅伝を走り、長距離の楽しさに惹かれていたこともあり、陸上部に入ることを決めた。

「清家コーチから“陸上部に入ってみないか?”と誘いがあったんです。町の駅伝を走ったことも自信につながりました。だから、陸上部に入ることはすんなりと決めました」

 

 清家は陸上の道に誘ってくれた恩師に感謝を述べた。

「清家コーチはアメとムチの使い分けがうまかったんだなぁと今になって思います。僕には“君はきっと伸びるぞ”と言って育ててくれた。清家コーチが自分を見出してくれたと思っています。僕を陸上の世界に導いてくれた恩人です」

 

 勲コーチは清家が中学1年までは教員だった。清家が2年生になった時に、早期退職し、外部コーチとして陸上部の指導をしていた。駅伝の指導に定評がある人物だ。自身も教員で陸上部を指導する父・真二は「息子は指導者に恵まれた」と言い、続けた。

 

「勲先生との出会いは大きかったと思います。専門的に、細かいところまで指導していただきましたから。私も生徒を指導するにあたり、勲先生を参考にさせていただいています。中学駅伝の監督を務める際、練習をご一緒させていただく機会もありました」

 

 上級生もまとめる2年生主将

 

 清家は中学1年生ながら、上級生に交じり県駅伝のメンバー入りを果たすなど、頭角を現す。そして、迎えた2年目。宇和中学の陸上部には3年生がいなかったこともあり、清家はキャプテンに就任した。これが清家の意識をかえた。これまでは、自分が速くそして強くなればいいと思っていた。陸上は個人競技である。この考え方は間違いではない。だが、2年生主将は「チームを強くしたい。チーム全体でレベルをあげる」という思いが強くなったという。

 

 県駅伝が近づくと、他の部活から生徒を募り、メンバーに加える。当然、先輩である3年生も加わってくる。上級生をまとめるのは、精神的にもタフなことだっただろう。この経験は清家を成長させた。

 

 ひとりの中学生としてどんな生徒だったのか。父・真二によると「特にこちらが“ああせい、こうせい”と言わなくても、自主的に何でもやるタイプでした」という。

 

 学級委員や生徒会の活動も精力的にこなした。「行事を動かしたり、人前に立って話したりといろいろやりました」と清家。何かを企画し、計画を立て、実行することが楽しかった。

 

 部活も学業も充実した3年間を送った。「文武両道じゃないと嫌なんです。“陸上だけ”というのは好きじゃない」。その甲斐もあり、彼はスポーツ推薦ではなく、一般推薦で八幡浜高校に合格する。この高校の陸上部は全国レベルの強豪校である。これまで順調にランナーとしての道を歩んできた清家は入学当初、「衝撃を受けた」という。その壁を彼は自らの努力でよじ登るのだった。

 

(第4回につづく)

 

<清家陸(せいけ・りく)プロフィール>

2000年3月15日、愛媛県西予市生まれ。小学6年時、自身で早朝にマラソンの練習をしたことがきっかけで長距離に興味を持つ。中学から陸上部に所属する。2015年、愛媛県立八幡浜高校に入学。徐々に頭角を現し、中心選手となる。2018年、法政大学陸上部に入学。2019年度の3大駅伝(全日本、出雲、箱根)を走った。身長163センチ、体重49キロ。

 

(文・写真/大木雄貴)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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