気風のいいファイトでマット界を沸かせた天龍源一郎が、この11月にリングを去る。天龍はアントニオ猪木、ジャイアント馬場のレジェンド2人からフォール勝ちを奪った唯一の日本人レスラーである。全日本の三冠ヘビー級王座、新日本のIWGPヘビー級王座など数多くのベルトを巻いたトップレスラーに、39年のプロレス人生を振り返ってもらった。
二宮: 全日本プロレスに所属していた1981年にビル・ロビンソンと組んでインターナショナルタッグ王座に挑戦しました。この試合が天龍さんのレスラーとしての転機となった試合と言われています。
天龍: ロビンソンが「オレのパートナーになってもいいけど、(オマエは)何もできないかもしれない。オレにタッチすれば、また試合を元に戻して、セットアップしてやるから、好きなことやれよ」と言われました。そこで延髄蹴りや卍固めをやったり、好きなことをやったのが正直なところですね。

二宮: 延髄蹴りも卍固めも猪木さんの得意技です。他団体の先輩の必殺技をやってはいけないという暗黙の了解もあったんじゃないですか?
天龍: あの頃は、エースやトップの人の必殺技を下のヤツが真似するのは、タブーでしたね。それをジャイアント馬場さんにケンカふっかけている新日本プロレスの猪木さんの真似を、自分のところの選手がやったから、お客さんも面白いと思ってくれたんだと思います。終わった後も馬場さんは文句言わなかったですからね。普通は「ふざけんなオマエ!」って言いたくもなると思うんですが、本当に何も言わなかったんです。

二宮: 天龍さんもある意味、開き直ってやったと。
天龍: あの頃は米国に行くことが決まっていたんです。“どっちみちダラス行くから、ひとつ置き土産代わりに馬場さんとジャンボに一発かましてやれ”という感じでしたよ。

二宮: なるほどね。その思い切りのいい戦いぶりが観客に支持されたんですね。
天龍: 会場が“ワッ”とウケているのを見て、お客さんの反応を感じちゃったんですね。それまではオレが試合をしていてもシーンとしていたお客さんが「行け! 天龍やれ!」と、同じような気持ちになって、応援をしてくれるのを聞いて、“プロレスは自分の感情をリングにぶつければ、返してくれる人がいるんだ”というのを知ってしまった。そこからプロレスに対する姿勢が変わりましたね。

二宮: なるほどね。その後はジャンボ鶴田と組んだ鶴龍砲、阿修羅・原と組んだ龍原砲で団体をリードする選手となりました。
天龍: ラグビーの日本代表にもなった阿修羅・原は、オレが全日本に来たときと同じような扱いだった。国際プロレスが潰れて、“国際プロレスがダメだったから、拾ってやった”というような雰囲気の全日本プロレスの体制があって、“ラグビーで日本一になったのになんだこの扱いは”と思っている阿修羅・原がいる。その頃のオレも相変わらず鶴田選手の使いっぱしりみたいな、体の良いタッグパートナーだった。どこかのタイミングで阿修羅・原と話し合ったりもしました。大相撲の輪島(大士)さんが来て、それまでオレたちにガンガン向かってきた外人選手が、輪島さんに合わして、気を遣って試合をやっている。“なんなんだよ、これ”と思ったことがきっかけです。“このままだでは、ますます新日本にナメられるよ”と思ったのがきっかけでした。

二宮: 阿修羅・原とのタッグは剛速球投手が球速を競い合うようにガンガン攻めていました。
天龍: あれは本当に志が同じだったというのもありました。ちょうどあの頃はプロレスの過渡期にあったと思うんですよ。テクニシャンというプロレス。投げられても負けるわけじゃないんですが、相撲とリンクする分があった。“あんなに簡単に投げられるのはおかしいよ”と、日本人独特の感性でプロレスを見ていたんですね。その時に「もっと相撲とか柔道とかボクシングに負けないような初期の頃のプロレスをやりたいね」と阿修羅・原と話した時に「じゃあ、それをやろうよ」という意見になった。それで馬場さんに「原と2人でガンガンいくプロレスやりたいんです」と話したら、「じゃあやってみろよ」と言ってくれたんです。

二宮: 龍原砲は一世を風靡しましたよね。
天龍: 全日本プロレスがちょうど新日本プロレスに食われて、落ちてきていた時期でもあったんです。あの頃の新日本は、タイガーマスクがいて、藤波辰爾は帰ってきていたし、長州力は維新軍でやっていた。やることなすことすべてが当たっていましたからね。実際、同じプロレスをやっているのに、新日本ばかり景気がいいのは癪に触っていた部分もありましたね。

二宮: 新日本は“過激なプロレス”というキャッチコピーで、スター選手もが出てきていた。新日本が本物で、全日本がたるいことやっているみたいに言われていた時期ありましたよね。その後、全日本も意識改革がなされ“明るく、激しいプロレス”を目指した。これが天龍さんのファイトスタイルに合っていたんでしょうね。
天龍: 一番大きかったのは輪島さんが入ったことで、世間の皆さんが全日本プロレスに注目してくれた。その後の龍原砲でしたから、すごくやりやすかった。皆さんは横綱の輪島大士を応援しているわけですよ。そこに真っ向からぶつかってくる原と天龍という図式が面白かったと思うんですよね。横綱までいった輪島さんがのたうちまわるのを喜ぶ人もいるし、もっと頑張れと応援する人もいた。

二宮: 天龍さんのキャラクターとして、オリンピックまでいったジャンボ鶴田にぶつかっていく姿とか、横綱の輪島を倒しに行く姿……。やはりそっちの方がお客さんも共鳴する部分が大きかったでしょうね。
天龍: そうですね。その前から天龍源一郎と阿修羅・原は不満分子のような要素があった。そういうような気持ちと、オレたちのやっていることがうまく合致したような部分はありましたね。輪島さんや鶴田選手は見るからに体制派でしたから(笑)。

二宮: 対して天龍さんは反体制?
天龍: だからこそ、世の中に不満を持っている人たちが“それ行け天龍!”と言ってくれた。輪島さんや鶴田選手のファンが圧倒的に多かったんですが、僕たちを応援してくれるのは、少数だったけど熱気があった。その分、やっていて面白かったですね。

<現在発売中の小学館『ビッグコミックオリジナル』(5月5日号)に天龍選手のインタビュー記事が掲載されています。こちらもぜひご覧ください>