八幡浜高校2年時に全国インターハイ(5000m)に出場した清家陸。早朝からの自主練習により、長い距離を一定のペースで走れるようになっていた。次の課題はペースのアップダウンに耐えられるようになることだった。

 

 

<2020年の原稿を再掲載しております>

 

 清家は早朝自主練習をやめ、部活の朝練習だけに専念した。理由もしっかりとした根拠があった。

「部活の朝練習の質を上げようと思ったんです。長い距離を走るよりも、ペースをあげて走ることが必要だった」

 

 清家に高校3年間で印象に残っているレースを聞くと、2年時夏の四国インターハイと、3年時夏の四国インターハイをあげた。父・真二に同じ質問をすると、「3年生の四国インターハイがベストのレースだと思います」と答えた(いずれも5000m)。

 

 そのレースを振り返ろう。2017年6月、愛媛県総合運動公園陸上競技場で行われた四国インターハイ。清家はスタートから1000mまで5~7番手につけ、様子を見る。一時順位を落とすものの慌てることはなかった。自分が前に出やすいタイミングをうかがい、2000mを過ぎると一気に3~4番手に順位をあげ、先頭集団の中にスッと入る。周回数が増すごとに集団から離脱する選手がポロポロと出てくる。ラスト800mの時点で先頭集団は清家、向井悠介(当時小豆島中央高校、香川)ら4人だった。

 

 ここで清家が仕掛ける。一気にペースを上げ、トップに立った。清家の仕掛けについてきたのは向井のみ。他の2人は対応できる余力がなかった。ラストのスピード勝負に持ち込ませないため、清家はさらに加速した。対する向井も必死に清家の背中を追いかける。惜しくも、ラスト200~100mあたりで向井にかわされ、2位で清家はフィニッシュした。向井が14分57秒07。清家は14分58秒82――。

 

 手に汗握る好勝負だ。流れをいい意味で壊しにかかったのは明らかに清家である。ラストのスピード勝負で敗れたものの、彼らしさが詰まった5000mだったと言っていいだろう。レースのテンポを操る小柄なランナーは、まるでオーケストラの指揮者のようだった。

 

 父・真二はこう振り返る。

「結果的に2位でしたが見応えのあるレースでした。中学時代から強い選手(向井)がいたのですがラスト100mまで競っていましたから。四国予選を勝ち抜き、全国大会に行くためのレースとしては評価できる内容だったと思います」

 

 高校3年生の夏といえば進路を絞り込む時期でもある。清家は「部活だけ、陸上だけというのは嫌でした。勉強もしっかり、文武両道を目標にしていた」と語った。関西の大学も考えたが「箱根駅伝にも出場できる」と法政大学を選んだ。

 

 清家は将来、マスメディア系の職に就きたいと考えていた。法政大学には社会学部メディア社会学科があり、マスメディア論などが学べる。清家はこの学科を受験し、見事合格を勝ち取った。

 

 2019年度は好転した年

 

 2018年、春になり桜が咲く頃、清家は法政大学陸上部の一員となった。しかし、大学初年度は怪我に泣かされた。夏に左ひざを負傷した。傷が癒えると、今度は右大腿骨を疲労骨折。本格的に走り始めることができたのは、2年生の4月だった。ここから彼のランナー人生は好転する。

 

 リハビリ期間、清家はフィジカルトレーニングに時間を費やした。その成果も出たのだろう。夏合宿でも手応えのある走りができ、10月14日に行われる第31回出雲駅伝(全6区間、45.3㎞)のメンバー入りも現実味を帯びてきた。

 

「(夏合宿から)手応えはあった。記録もついてきていた」と清家。晴れて、出雲駅伝のメンバー入りを果たし、5区(6.4㎞)を任された。「初の大学駅伝デビューで緊張した」。11位で襷を受けた。前を走る10位のチームとの差は約14秒。これを3秒差に縮め、アンカーにつなぎ、仕事を果たした。

 

 続く11月3日の第51回全日本大学駅伝(全8区間、106.8㎞)。清家は12.4㎞ある5区を担当した。距離が長い方が自分の持ち味がでる、そう思っていた。しかし、区間順位は27位中12位。本人もレース内容に不満が残った。

 

「距離が長くなるほど、自分の強みを発揮できると思ったんですが、全日本を走ってみて“全然通用しない”と感じました。過信でした……」

 

 がっくりと肩を落としながら、振り返った。しかし、清家は全日本大学駅伝の反省を踏まえ、トレーニングに励む。再び清家。

「全日本は12.4㎞を走りました。箱根は最低でも20㎞を走る。このままじゃ箱根駅伝では絶対ダメだと思いました。(箱根駅伝を走るには)1㎞3分ペースで、いかに長く刻めるかだと感じました。それからはハイペースでロング走をやったり、ジョギングでもいつもよりペースを上げてみたりと、いかにリズムを崩さず、ペースを上げられるかという練習をひたすら繰り返しました」

 

 法政大学は1月2、3日に行われた第96回箱根駅伝(全10区間、217.1㎞)で総合15位。シード権獲得とはならなかった。清家は9区(23.1㎞)を走った。法政大学陸上部・坪田智夫駅伝監督に9区の解説を訊いた。

 

「アンカーの手前、後ろの走者を突き放したり、前の走者に詰めたりを担う重要な区間です。コースも前半からアップダウンがあり、距離も長い。後半はだんだんと気温が高くなるため、総合的にタフなコースです。清家は単独でも走れるし、暑さや起伏のあるコースも問題ない。頭脳面も含め、私は自信を持って彼を箱根では9区で使いました」

 

 4年連続シード権獲得を目指していた法政大学だったが、清家は17位で襷を受けた。彼は当初のプランの変更を余儀なくされた。清家の解説はこうだ。

「例年のデータを見てみると、前半から突っ込んで、後半粘り切れない選手が多かった。だから前半から突っ込むのは危ないと思ったのですが、(法政大学の)状況的に前半からしっかり突っ込まないと勝負できない。無理をしても下り坂の特性を生かせば、多少は楽に走れる。そう思って前半からとばそうと、思いました」

 

 清家は2つ順位を上げ、アンカーに襷を託した。区間順位は7位(1時間09分52秒)だった。坪田駅伝監督は「ビハインドな状況で襷をもらった中で、あれだけ積極的なレースができた。もう少し前で(襷を)受けていれば、もっと区間順位は上だったと思う」と清家を評価した。

 

 恐ろしいほど冷静な大学2年生。彼は今年が初めての箱根駅伝だったというのが意外なほどである。頭脳明晰なランナーはこの先をどう見据えているのだろう。

 

「今年は箱根の予選会もあります。そこでしっかりと結果を残したいです。あと、個人的には他大学のエースと、勝負ができるように力をつけていきたいです」

 

 彼はひとつの事例から多くのことを感じ、学び、反省し、次に何を取り組めばよいかをきちんと判断できる。この4月で3年生になる。法政大学での存在感はさらに増し、貴重な戦力になることは間違いない。ゴールから逆算し、しっかりと自分の描いた道を歩む若者の今後に期待したい。

(おわり)

 

<清家陸(せいけ・りく)プロフィール>

2000年3月15日、愛媛県西予市生まれ。小学6年時、自身で早朝にマラソンの練習をしたことがきっかけで長距離に興味を持つ。中学から陸上部に所属する。2015年、愛媛県立八幡浜高校に入学。徐々に頭角を現し、中心選手となる。2018年、法政大学陸上部に入学。2019年度の3大駅伝(全日本、出雲、箱根)を走った。身長163センチ、体重49キロ。

 

(文・写真/大木雄貴)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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