もうすぐなのか、はたまたしばらく先なのか、いずれにせよ、このコロナ禍もいつかは終息のときがくる。全地球上で、全人類が再起に向けて立ち上がる。ただ、ダメージから完全に回復したその姿は、おそらく、コロナ以前とは少し違ったものになる――というのは、すでに各ジャンルの識者が指摘している通り。

 

 ならば、想像してみる。仕方がないこととはいえ、最近のスポーツメディア、昔話、思い出話ばかりが増えてしまっているので、少しばかり無理をして、近未来のスポーツを思い描いてみる。

 

 こと日本に関していうと、五輪に対するとらえ方は急速に変化しつつある。五輪と聞けば諸手を挙げて大歓迎……という人は、確実に減少した。五輪どころではない、延期ではなく中止を、という声も聞かれるようになってきた。

 

 するとどうなるか。IOCの立場が変わるのではないか、というのが私の予想。

 

 というのも、近年のIOCにとって、五輪とは「やらせてやる」ものだった。「ぜひ我が国で!」と懇願する大国をハナであしらい、悦に入っているようなところさえあった。

 

 だが、今回の延期によって日本は巨大なダメージを被った。これが中止ということにでもなれば、被害はさらに甚大なものとなる。

 

 どうやら、IOCは少しでも負担を日本側に押しつけようと画策中のようだが、それは、結果的に世界中に五輪開催国のリスクを知らしめることになる。

 

 世界第3位の経済大国ですら怯むほどの衝撃。果たして、どれだけの国がそのリスクを覚悟の上で、立候補できるだろうか。

 

 今回のコロナ禍によって、IOCにとっての五輪は「やらせてやる」ものから「やっていただくもの」に重心を移す。移さざるを得ない。今回の記憶がすっかり薄れてしまうまで、IOC委員が吸える甘い汁は激減するはずだ。

 

 サッカーの世界も、いまとはずいぶん違ったものになるかもしれない。

 

 かつて、欧州と南米の間に存在したのは、純粋にその国の、地域の経済力の差だった。発足直後のJリーグが世界中からスターをかき集めることができたのも、当時の日本の経済力が他を圧していたからだった。

 

 だが、21世紀に入ったあたりから、欧州と南米の格差はグングンと開き、あっという間に日本もブッちぎった。英国やイタリア、ドイツの経済成長が日本を圧倒した、というわけではない。欧州のサッカーシーンに、欧州以外の資金が流れ込んだのが原因だった。

 

 その多くは、アジアからの資金だった。

 

 近年、FIFAやUEFAは積極的に人種差別に反対するアクションを起こしてきたが、そこには理想主義だけでなく、アジアの経済力を無視できなくなった、という側面もあったとわたしはみている。

 

 今回のコロナ禍は、依然として、アジア差別という一面を持っている。

 

 利に聡いアジアの富豪たちは、コロナが終息すれば、何もなかったかのように欧州のサッカーへ投資するのか。それとも――。大きな地殻変動が起きる可能性は、十分である。

 

<この原稿は20年5月7日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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