2002年1月13日の夜――。

 

 ぼくは要田勇一と共にスペインの北西部、ガリシア州のラコルーニャのバールにいた。日曜日の夜ということもあり、店内はがらんとしており、テレビにレアル・マドリード対バレンシアの試合が映っていた。

 

 レアルの本拠地、サンチャゴ・ベルナベウは満員だった。レアルには、ラウール・ゴンザレス、ルイス・フィーゴ、ロベルト・カルロス、クロード・マケレレ、イケル・カシージャス、そしてジネディーヌ・ジダン――。

 

 バレンシアもサンチャゴ・カニサーレス、ロベルト・アジャラ、ルーベン・バラハ。ベンチにキリ・ゴンザレスとパブロ・アイマール。注目の一戦だった。

 

 ハーフタイム、テレビカメラが貴賓席を映した。そこには三浦知良の姿があった。隣町にあるラシン・デ・フェロールの練習に参加していた彼は、練習休みを利用してマドリッドまで観戦に出かけていたのだ。試合はフェルナンド・モリエンテスのゴールでレアルが1対0で勝利した。

 

 翌日の昼前、マドリッドから戻ってきた三浦、彼の叔父である納谷聖司、そしてデポルティーボ・ラコルーニャの強化部長、リチャード・モワールとの会食に誘われた。指定されたのは、ラコルーニャの市街地にある瀟洒なレストランだった。着いてみると中二階の小部屋が予約されていた。

 

 リチャードは両手を広げて、部屋をぐるりと見回した。

「ここは普段はワインの貯蔵庫なんだ。特別な客だけが使っている。つまり(当時のデポルティーボ会長、アウグスト・セサル・)レンドイロのオフィスさ。レンドイロは自分の狙った選手の代理人たちとここで夕食を取る。時に交渉は日付けが変わるまで続く。面倒な代理人でさえも、根を上げるほど粘るんだ」

 

 ここだと、話が漏れることもないから、存分に話ができると目配せした。

 

 大西洋に面したガリシア州は、名物のプルポ――茹でた蛸にオリーブオイルとパプリカを掛けた小料理をはじめとした海産物が豊富である。このレストランも海の幸を生かした料理だった。

 

 昨日、レアル・マドリードのゼネラル・マネジャーだったホルヘ・バルダーノが挨拶に来たのだと三浦が言った。話題はデポルティーボ、日本代表など多岐に渡った。印象的だったのは、三浦が綺麗なスペイン語を使っていたことだった。良く知られているように彼は10代から20代に掛けて、ブラジルで生活しており、ポルトガル語が堪能である。ブラジル・ポルトガル語とスペイン語は同じラテン語を起源としており良く似ている。しかし、日常で使用する単語、発音、リズムは違う。恐らく、彼はフェロールの練習参加に備えて、スペイン語を練習してきたのだろう。

 

 ふと、要田を探すと、店の隅の方で身体を小さくしていた。憧れの三浦と一緒に食事することになり、硬くなっていたのだ。

 

 要田はこう振り返る。

「店ではずっと遠くから見てました。カズさんが帰るときに、“自分もここで頑張ります”って言ったら、“頑張れ”って一言。嬉しかったです」

 

 土曜日、三浦はサンチャゴ・デ・コンポステーラ空港から日本へ戻っていった。ぼくは要田や留学生と共に見送りに行った。チェックインを済ませた三浦は、何人かの留学生を呼んだ。滞在中、世話になったと、小遣いを渡していた。小遣いというにはかなり多い額だった。ブラジルで苦労した経験のある彼らしい気遣いだった。

 

 要田にとっての幸せとは……

 

 数日後、ぼくもラコルーニャを出てマドリッドに移動した。マドリッドからサンパウロ経由でパラグアイの首都、アスンシオンに向かうことになっていた。スターアライアンスの世界一周チケットを使い、アスンシオンでセロ・ポルテーニョ所属の廣山望を、その後にリオ・デ・ジャネイロでカーニバルを取材する旅程を組んでいたのだ。

 

 マドリッド発のバリグ・ブラジル航空は空席が目立った。ふと横を見ると、3つ横並びで誰も座っていない席があった。そこで、扉が閉まる直前に移ることにした。これでサンパウロまで横になることができる。そう思ったとき、インディオ系と思われる男性が客室乗務員に背中を押されて歩いて来た。彼はぼくの隣り、通路側の席に座った。うす汚れた大きめのジーンズに、安いレザージャンパーを羽織った、小柄な男だった。

 

 離陸すると、彼はぼくにチケットを見せて話し掛けて来た。彼のスペイン語は聞き取りにくかった。何度か聞き返して、サンパウロの到着時間を訊ねていることが分かった。今日、チリのバルパライソからマドリッドに着いたのだが、書類が不備であったため、強制送還されたのだという。

 

「一緒に来た恋人は入国できたけど、俺は駄目だった。彼女を一人で残してきたんだ。それしか方法がなかった」

 

 食事の時間になり、彼はウイスキーを頼んだ。ウイスキーを口に含むと、盛んにぼくに話しかけて来た。そして、回ってきた客室乗務員にウイスキーのお代わりを頼んだ。

 

「悲しくて、酒を飲まないとやっていられないんだ」

 

 彼の疲れた浅黒い顔を見ていると、マニュ・チャオの「クランデスティーノ」という歌を思い出した。

 

 Solo voy con mi pena

 Sola va mi condena

 Correr es mi destino

 Para burlar la ley

 Perdido en el corazon

 De la grande Babylon

 Me dicen el clandestino

 Por no llevar papel

 

<ぼくは悲しみを背負って進む。

 ついてくるのは刑期だけだ。

 法律を犯して、転がっていくのはぼくの宿命。

 バビロンの大都市のど真ん中でぼくは迷子になってしまった。

 ぼくは、クランデスティーノ(不法滞在者)と呼ばれるんだ。書類がないという咎でね>(訳・筆者)

 

 ぼくの頭にラコルーニャに置いてきた要田の顔が浮かんで来た。

 

 契約もなくスペインに行った彼も人生の迷子のようなものだ。日本人留学生は寮でスペイン語の授業を受けていた。教室を覗くと、要田が小さな椅子に窮屈そうに座っていた。勉強から逃げ続けてきた彼にとって、語学の習得は気の進まないものだったろう。

 

 このスペイン行きに、彼の父親は反対していた。もうサッカーを辞めて、生業に就けというのだ。親としてみれば当然の判断だろう。サッカーを諦めさせたほうが、彼にとって幸せだったのではないか。自分は余計なことをしたのではないか――。

 

 考えても仕方がない。もう動き出したのだ。要田のスペインでの成功を祈るしかない。ぼくは毛布を被って、じっと目を瞑った。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。最新刊は「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。

2019年より鳥取大学医学部附属病院広報誌「カニジル」編集長を務める。公式サイトは、http://www.liberdade.com


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