STANDはこの10月から16期に突入です。2003年、初めて障害者スポーツのインターネット生中継を行いました(14年1月更新コラム)。そこでの出来事がSTAND設立へとつながるのですが、その前にも今につながる大事な体験がありました。約30年前のふるーいお話です。


 1991年、石川県で国体開催後、全国身体障害者スポーツ大会(2001年から全国障害者スポーツ大会)がありました。大会愛称は「ほほえみの石川大会」です。

 

 ちょうど金沢で企画会社を立ち上げたばかりの頃でした。当時、仕事でお世話になっていたNTT様が、同大会のパソコン通信サービスを全国に先駆けて実施するとのこと。障害のある人の大会を障害のある人たちが全国にパソコン通信で速報するというものでした。当時の私は、その先駆的な企画や、自治体や様々な団体が協働するスケールの大きさに目をまるくしました。その当時、NTTの方がワープロで作られた企画書は今も大事に保管しています(右写真)。その大きなプロジェクトに思い切ってお願いして参加させていただきました。


 開催1年前の90年秋、リハーサル大会を見学に行くことになりました。このとき、私は生まれて初めて車椅子に乗った人と話すことになりました。彼はパラ陸上の選手ですが、さあ、何を話してよいか分かりません。「こんにちは」と挨拶をした後、黙ってしまいました。ものすごく気まずく、いたたまれない空気でした。

 

 しかし初対面の彼は、「伊藤さん、パソコン持ってる?」「○△×(パソコンの機種のようである)っていいよね」「でもちょっと、というか、すごく高いよね」と調子よくパソコンの話をし始めたのです。


「なんだ、なんだ、なんだ」。一方的に私の興味のない話を続けている彼に対して、腹が立ってきました。「無礼なやつ、相手が興味があるかどうか、確かめてからにしろよ」と思った瞬間、同時に彼が私をいたたまれない場所からあっという間に救出してくれていたことに気が付きました。その後は、普通の会話へと入っていったのです。

 

 彼は教えてくれました。「障害のある人がパソコンが好き」なのではなく、「パソコン好きの人が車椅子に乗っている」ということを。

 

 さて翌年の本番です。私はインタビュー係を仰せつかりました。選手に話を聞いて原稿をまとめ、PCに入力する人に渡します(当時の私はPCに触ったことがありませんでした……)。

 

 聴覚障害バレーボールの決勝戦の会場へ行くように言われ、手話通訳の方とペアで出かけました。試合が終わり、「よし」とフロアへ降りていき、まず優勝したチームへ向かいます。特に大会広報やチーム広報が仕切ることなく、取材はフリーでした。選手の皆は興奮していて、しばらくは選手やコーチのやり取りが激しく、割って入れそうもないので待つことにしました。

 

 しかし、どんどんと時間が経過しました。それはしばらくではなく、そのままずっと続いたのです。私はやっと気づきました。皆が手話で話をしています。選手も監督も応援の人も、です。見渡すとこの体育館の中で話ができないのはたった一人、私だけ。それに気がつくとなぜか汗が出て、動けなくなりました。手話通訳の方に促され、なんとか何人かにお話を聞きました。もちろん手話を介してです。

 

 インタビューを終え、本部のテントまで向かう途中、自分でどんどん元気がなくなっていくのがわかりました。本部に到着してスタッフに様子を聞かれたとき、「上手くできなかった」というようなことを答え、「なんだ伊藤らしくないな」と言われ、泣けました。いえ、本当に泣きました。

 

 理由はインタビューが上手くいかなかったことではありません。「話せない」と「話せる」の立場が逆転した状況に突然置かれ、それくらいのことで自分を見失ってしまったこと、です。もっと言えば、それは突然でもなんでもなく、最初から分かっていたことです。でもあのときは突然、一人だけ「話せない」ことに驚くほどショックを受けていました。

 

 このとき頭の中に想起していたのは「話せないってなんだ?」「話すってなんだ?」ということです。私は混乱していました。「話すと話せないの間に存在するはずの『違い』の正体はなんだろう」と。のちにSTANDとして活動していく中で気が付きました。話す手段がちがうだけなんだ、と。

 

 話すことは声を出すことではありません。話すことは、人に何かを伝えることなのです。そのための手段は声だけではありません。先の手話もそうですし、筆談も「話すこと」になります。また最近ではメールやチャットのやりとりもあります。手話で話す、筆談で話す、チャットで会話するって言いますよね。

 

 STANDにとって節目の10月を迎える前に、こんな30年近く昔のことを思い出しました。大切なことを教えてもらった、とてもいい経験でした。ちょうど今頃の季節でした。

 

 

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>

新潟県出身。パラスポーツサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。スポーツ庁スポーツ審議会委員。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。STANDでは国や地域、年齢、性別、障がい、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション事業」を行なっている。その一環としてパラスポーツ事業を展開。2010年3月よりパラスポーツサイト「挑戦者たち」を開設。また、全国各地でパラスポーツ体験会を開催。2015年には「ボランティアアカデミー」を開講した。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(廣済堂出版)がある。

◎バックナンバーはこちらから