理由はさておき、eスポーツの「ぷよぷよ」はちっとも進まないままなので、前回に引き続き、約30年前のふる~いお話をお届けしましょう。


 前回も触れたとおり1991年、石川県で国民体育大会が開催され、その後、全国身体障害者スポーツ大会「ほほえみの石川大会」が行われました。この大会に私はパソコン通信情報サービスの一員として関わりました。このサービスは大会の結果速報や選手たちの声を届けるものでした。

 

 準備には約1年が費やされました。当時、パソコンを自宅に所有している人は少なく、講習会が定期的に行われました。講師役は結構なパソコンマニアで博識の人たちでした。講習会は回を重ねるごとに参加人数が増え、和気あいあいと進み、100人くらいになりました。

 

 大会本番が終われば、この会も解散となるはずでした。でも、「このまま解散してはもったいない!」と、会を継続することに。様々な障害のある人、障害のない人が集まる会ができました。名前は大会名から勝手にいただいて、「ほほえみの会」としました。

 

 会では「障害のある人とない人が対等であること」を標榜しました。当時、いわゆる障害者団体では障害のある人とない人が対等ではなかったと多くの人が感じていたからです。障害のある人が主役で、ない人はそれの支援、介助などを行うという関係。ボランティアしてもらう側、ボランティアをする側、という図式でした。ほほえみの会では、この垣根をなくそうとしました。

 

 この会には私もときどき参加しました。毎年のバーベキューには必ず参加し、ある年はぶどう園でぶどう狩りとバーベーキューが行われました。すると翌年、そのぶどう園には車いすで入れるトイレが設置してあったり、ぶどう園に続く道にスロープができたりしました。ちょっとしたことですが、すごく私は嬉しくなったものです。

 

 またある年にはこんなことがありました。

 

 私はバーベキューの食材の買い出し係になりました。車いすユーザーで会のリーダー的存在の城下由香里さんと2人組で。スーパーで買い物をしていると、若いお母さんと4、5歳くらいの男の子がいました。男の子は車いすをジーッと見ている。お母さんは小さな声で「だめよ、見ちゃいけません」という感じです。でも、子どもはそう言われれば言われるほど見たくなるもの。私も心の中で「そうそう、見たくなるよねー。見たことないもんね」と思っていました。

 

 男の子は立ち止まってジーッとこちらを見ており、私達も立ち止まりました。由香里さんはどうするんだろう? すると彼女は「見ていいよ。よく見て。触ってもいいよ」と語りかけました。おかあさんにも「よかったら見てください」と。

 

 その途端、男の子はお母さんの手を振りほどいて、駆け寄ってきました。そして「どうして乗ってるの?」「なんで足が短いの?」と質問攻めです。彼女が車を運転をすることにすごく驚いていました。そして男の子は「どうやって寝るの?」と聞きました。
「なるほど、いい質問だ」と感心していると、彼女は「う~ん」としばらく考えて「布団で寝るよ」と答えました。すると「な~んだ、僕とおんなじだ」と言い放ち、スタタタターとお母さんの元へ。「もう、まったく興味ありません!」という顔をして、さっさと行ってしまいました。エッ!? あんなに興味津々でなんでも聞いていたのに、男の子は「同じ」ということに合点がいったようです。車いすに乗っている人と違うところをたくさん確認して、同じところを見つけたら「同じ人間だ」と納得したように見えました。

 

 ほほえみの会のみんなは、素直に率直に真摯に社会と向き合ってきたと感じます。それぞれの個性は実にバラエティに富んでいて、優しい動物園みたいです。まだ共生社会という言葉が一般的ではなかった昔々のお話ですが、「ほほえみの会」のみんなといると、ちょっとずつ社会を変える力を感じました。

 

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>

新潟県出身。パラスポーツサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。スポーツ庁スポーツ審議会委員。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。STANDでは国や地域、年齢、性別、障がい、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション事業」を行なっている。その一環としてパラスポーツ事業を展開。2010年3月よりパラスポーツサイト「挑戦者たち」を開設。また、全国各地でパラスポーツ体験会を開催。2015年には「ボランティアアカデミー」を開講した。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(廣済堂出版)がある。
 

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