体の大きな者を揶揄することわざは、それこそ掃いて捨てるほどある。ちょっと思い出すだけでも「ウドの大木」「デクの棒」「大男の殿(しんがり)」……。ひどいのになると「大男総身に知恵が回りかね」なんてものも。大男に対する偏見、はなはだしいことこの上ない。

 

 私が生まれ育った四国では、山の奥深くに「山わろ」という妖怪が棲むという言い伝えが残されている。身長1丈(約3メートル)を超える大男で、わらじのサイズは半丈。動きは鈍いが遭遇するとさらわれることもあるので気を付けろと祖父から、こんこんと言い聞かされたものだ。山奥には危険が多く、みだりに分け入るなよ、という戒めの意味も含まれていたようだ。

 

 大男ながら、動きが鈍いのはご愛嬌。妖怪漫画の大家である水木しげるにも気に入られ、水木が育った鳥取県境港市の駅前ではブロンズ像に姿を変えて観光振興に一役買っている。

 

 動きの鈍い大男――。プロ野球で偏見の的にされたのが元巨人の馬場正平、後のプロレスラー・ジャイアント馬場である。馬場は新潟の三条実業高を2年で中退し、1955年1月に投手として入団した。2軍ながら2年目には12勝1敗、3年目には13勝2敗という好成績をあげている。2メートル超の長身から投げ降ろすボールは角度があり、しかも重い球質。制球力も抜群だった。

 

 にもかかわらず、1軍ではわずか3試合に登板したのみ。それでも通算防御率は1.29。対戦した阪神の吉田義男は「僕は真っすぐで詰まらされ二塁ゴロ。なんでこんないい投手が2軍なんや」と不思議に思ったという。なぜ冷遇されたのか。馬場に聞くと「僕は新潟から初の巨人軍選手(本人の誤認)。先輩もおらず、引きがなかった」からだと。

 

 もちろん使わなかった側にも理由はある。千葉茂(当時の助監督)は「動きが鈍く連係プレーが下手やった」と語っていた。しかし馬場の側に立てば、雪深い新潟の無名校からやってきた少年に、いきなり機知に富んだ動きを求められても、それは無理というものだ。

 

 26日のドラフト会議で巨人は育成を含め2メートル超の選手を2人指名した。秋広優人(東京・二松学舎大付高)と阿部剣友(北海道・札幌大谷高)。冒頭で大男を揶揄することわざを並べたが、その一方で「大は小を兼ねる」というのもある。偏見を覆して欲しい。

 

<この原稿は20年10月28日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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