このコラムで「やります!」と宣言したものの、eスポーツの「ぷよぷよ」はちっとも進んでいません。理由(言い訳か?)はいろいろあります。


 そもそも「好き」ではない。ひとりではつまらない。しかし人と対戦できるほどの腕がない。さらに対戦だけでなくその様子を動画に収め、ネットにアップすることもセットで始めたから、そちらの録画機器のセットアップ、編集ソフトの使い方などハードルが高い。それでも先日、スポーツイベントに関するリモート会議で「eスポーツもありますよね」と提案したら、即却下されたので、eスポーツについてきちんとお話できるようになりたいという気持ちが強く、ますますやる気だけは湧いています。

 

 そもそもeスポーツの良さを少しでも語れるようになりたいからと始めたぷよぷよ。いろいろ言い訳はありますが、自分に言いたい! 「そんな言い訳を書きつづる暇があったら、今すぐプレステの電源を入れよ!」と。というわけでeスポーツ戦記はしばらくお待ちください。

 

 話は変わって。実はパラスポーツ大会やイベントでいつも感じていることがあります。

 

 パラスポーツを観戦したり、体験したりすると、ほぼ全員が「面白い!」「すごい!」「激しい!」「かっこいい!」と感想を述べてくださいます。でも、それは何故なんでしょう?

 

 たとえば超一流でない、知っているチームでもない、知り合いが出場しているわけでもない野球の試合を見に行ったとします。そのとき全員が「すごい!」「面白い!」と言うでしょうか。野球に限らずサッカーやバスケットボール、ラグビーでも同じです。

 

 もしかするとパラスポーツプレーヤー=障害のある人を、「弱い」「何らかの点で劣っている」と思っているから、そういう感想になるのではないでしょうか。「(障害がある人向けのスポーツなのに)面白い!」「(障害があるのに)すごい!」「(障害があるのに)かっこいい!」と、面白いの前にカッコがついているのです。

 

 先日、ある中学校の授業に参加させていただきました。パラスポーツを通して共生社会を目指すことについてお話をして、その後、生徒の皆さんから質問を受けました。そこでこんな質問がありました。

 

「伊藤さんはなぜ障害のある人を助ける仕事をしているのですか?」

 

 以前、当欄(第110回「支援する事業」の違和感)で述べましたが、私は「支援している」と言われることに違和感があります。

 

 私はこの質問に対し、「一方的に"助ける"ことをしているとはまったく考えていません」と言って、こう答えました。

 

「困っているときに助けるのは当然ですが、いつも私が障害のある人を一方的に"助けている"と考えるのはなぜでしょうか。もしかしたら障害のある人を弱い、何らかの点で劣っている。つまりいつも助けられる存在なんだと思い込んでいませんか? それは人間同士が対等ではありません。

 たとえばこの学校のお友達同士は対等ですよね。あなたの友達が忘れ物をして困っていたら助けます。今度はあなたが転んで困っていたら友達が助けてくれます。そう、一方的に助けるのではなく、"助け合う"という言葉がしっくりきませんか?」

 

 生徒たちはここできらきらっと目を輝かせました。「障がいのある人を弱い人と思うのではなく、助ける人と助けられる人という関係ではなく、お互いが助け合う関係なんだ」と。

 

 さて、パラスポーツの体験や観戦に話を戻しましょう。参加した人たちは「どうですか?」と感想を聞かれたら、大人の対応で好意的な答えを口にしているのかもしれません。でも「障害のある人を弱い、何らかの点で劣っている」という考えが根底にないと言えるでしょうか……。

 

 ちょっと斜めから見てしまっていますか? 考えすぎでしょうか? この後、この生徒さんは言いました。「助けるではなく助け合う。少しずつ人々の意識が変わっていったらいいと思います」と。中学生がくれた宝物のような言葉です。

 

 

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>

新潟県出身。パラスポーツサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。スポーツ庁スポーツ審議会委員。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。STANDでは国や地域、年齢、性別、障がい、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション事業」を行なっている。その一環としてパラスポーツ事業を展開。2010年3月よりパラスポーツサイト「挑戦者たち」を開設。また、全国各地でパラスポーツ体験会を開催。2015年には「ボランティアアカデミー」を開講した。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(廣済堂出版)がある。

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