ある日のことです。テレビを見ていたらあるパラアスリートが出演していました。


「コロナで大変じゃないですか」という質問に、「日ごろから制約や制限になれています。何々ができなくなって大変、というのを聞きますけれど、私はそれほど慌てていないし、特別感はありません」と答えていました。


 また別のパラアスリートは「何十年ずっと不便だったから、なんとかしてできないかといつも工夫してきました。コロナにまつわるあれこれは、これらにひとつ増えただけのことです」と言っていました。

 

 なんという、圧倒的な柔軟性でしょうか。東京都などに2度目の緊急事態宣言も発出され、世界がすっかり変わってしまったと感じている私にとって、彼らの言葉はとても刺激的でした。

 

 私の実家のある新潟県魚沼市(旧・北魚沼郡小出町)は、当時人口1万人ちょっと(小出町)の小さな町でした。積雪量が3メートルを超える豪雪地帯です。除雪作業は家族総出の日課であり、学校から帰ると毎日、もちろん土日も、雪と格闘しました。屋根から降ろした雪はどんどんと溜まって、家の高さを超えてしまいます。雪を降ろさなければ家が倒壊するし、家の周りにたまった雪を排雪しなければ、横から家が押しつぶされます。

 

 この大量の雪をどこかに運ぶ仕組みが重要です。雪国では様々な工夫をしており、そんな中、小出町は流雪溝というものを開発しました。流雪溝とは、道路脇の側溝の幅が広く深いものです。自然の流水の運搬作用を利用して雪の塊を流して排雪するための施設です。ここに雪を捨てて流します。

 

 毎日、雪との「たたかい」に明け暮れる中、先人たちが工夫をしたことにより、「雪捨て」の効率が格段に上がりました。子どもの頃、自分の町が流雪溝の発祥の地であることを聞き、誇らしく思ったものです。

 

 もうひとつ、昔話を。私の母は料理がとても上手でした。

 

 新聞やチラシなどからレシピを切り抜いて、オリジナルのレシピ本を作っていました。テレビの料理番組もよく見ていました。横で一緒にいると、見たこともない聞いたこともない食材や調味料が出てきました。もちろん地元のスーパーには売っていません。

 

「都会みたいにおしゃれな料理は食べられないんだ」とずっと思っていました。しかし、母は違いました。「ピザが食べてみたい」という願いを叶えてくれたのです。

 

 食パンにケチャップを塗って、チーズを乗せる。そしてピーマンの輪切りや小さく切ったウインナーを並べます。これを焼くと、まるでピザのよう。決してピザトーストではありません。うちではこれを「ピザ」と呼んでいました。大好物でした。小さな子を思う、母の工夫の結実でした。

 

 今、音声型SNSとして「Clubhouse」が流行しています。周りでやっている人もいて、「招待しますよ」と言われますが、これはiOSのみのサービスで、Androidユーザーの私は参加できません。どこか疎外感があります。

 

 おいしいレストランがあって誘われたけど、そこは2階にあって、エレベーターもない。だから行けない……。「Clubhouse」の件は私にとって、障害のある人が「制限」と感じていることと似ているのかな、と感じています。

 

 コロナ禍では「あれはできない」「これはダメだ」と、ついついコロナのせいにしていまいがちです。でも、前述のパラアスリートの言葉を借りれば、そうした制限や不便があるところにこそ工夫が生まれるはずです。そして工夫することは、きっと楽しくて、幸せを感じることなのです。私も母の子。幸せになる工夫はきっと得意でしょう。

 

 

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>

新潟県出身。パラスポーツサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。スポーツ庁スポーツ審議会委員。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。STANDでは国や地域、年齢、性別、障がい、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション事業」を行なっている。その一環としてパラスポーツ事業を展開。2010年3月よりパラスポーツサイト「挑戦者たち」を開設。また、全国各地でパラスポーツ体験会を開催。2015年には「ボランティアアカデミー」を開講した。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(廣済堂出版)がある。

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