今週はプロレスの話。「頭の悪いヤツにヒール(悪玉)はやれない」とうそぶいたのは“まだら狼”の異名をとった上田馬之介だが、これは実に的を射ている。

 

 たとえば“銀髪鬼”フレッド・ブラッシー。必殺技は噛みつき。1960年代初頭、この男が力道山や豊登の額にガブリと噛みつく姿を見てショック死する老人が相次いだ。当時のテレビはまだ白黒。真っ赤な鮮血よりもコールタールのようにベトッと額にはりつく“黒い血”の方が、はるかに不気味だったのだ。

 

 希代のヒールは常にヤスリを持ち歩いていた。カメラマンが近付くと、これで歯を研ぎ始めるのだ。この写真が翌日の紙面を飾る。日本人レスラーへの宣戦布告だ。ブラッシーは興行の宣伝マンも兼ねていたのである。

 

 アントニオ猪木との抗争で名をあげた“インドの狂虎”タイガー・ジェット・シンもプロレスIQの高いレスラーだった。私が知る限りにおいて、場外乱闘の際、イスをタテに持ち、鉄パイプの部分で相手の喉元を突いたのは、彼が最初だ。それまでは、どんな悪党でもシートの部分でパコーンと頭を叩いていた。同じイスを使うにしてもシートと鉄パイプではリアル感が全く違う。シンはそこに気付いていたのだ。

 

 凶暴性を売り物にしていたシンは、観客にもよく手を出した。当時、観客席にはその筋とおぼしき方も多く、後々トラブルにならなければいいが……と気をもむこともあった。だが元週刊ゴング編集長の小佐野景浩によると「幸いにして大きな事件に発展することはなかった」という。「実はシン、乱闘の際にも、お客さんの靴だけはチェックしていた。エナメル製かどうか。それで、“その筋”かどうかを確認していたんです」。シンのクレバーさを物語って余りある逸話である。

 

 過日、カナダからヒューマニスティックなニュースが届いた。東日本大震災から10年目の今年、被災地の児童に寄付金を送るなど支援活動を続けてきたトロント在住のシンに日本政府が総領事館を通じて表彰状を授与したのだ。

 

 地元でシンは学校や病院を支援する財団を運営している。そうした功績から通りには彼の名前が冠せられている、という。 そこで彼の名前+ストリートで検索すると「新宿伊勢丹前路上」と出てきた。そこは48年前、猪木に襲いかかったストリートファイトの現場である。表の顔は悪党だが、実は紳士。見上げた男である。

 

<この原稿は21年3月3日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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