これでまた一歩、W杯優勝に近づいた――。

 

 月曜日の朝、嗚咽まじりに言葉を絞り出す中嶋常幸さんにもらい泣きしながら、そう思った。本気で思った。

 

 未来永劫出場することなどかなわないのでは、と思うこともあったW杯は、ジョホールバルで壁を破って以降、参加するのが当たり前の大会になった。

 

 なぜ、四半世紀前のわたしは、わたしたちは、日本代表がW杯になんか出られるわけがない、と信じ込んでいたのだろう。

 

 出たことがないから、だった。

 

 出たことがないから、絶体絶命の危機に奮い立つのではなく、諦めてしまう。絶好のチャンスに、必要以上の重圧を感じてしまう。15番ホールで松山選手の第2打が池に吸い込まれた際、わたしの脳裏に浮かんだ言葉は「やっぱり」だった。W杯に出たことがなかった頃の心理状態そのままだった。

 

 だが、松山は勝った。勝つ松山を、多くの日本人が見た。現役の選手たちも、未来のプロを目指す選手たちも、勝つ松山の姿を目に焼き付けた。これからメジャーに挑む日本人たちは、日本人であることをネガティブにとらえる必要がなくなった。

 

 そして、その影響は競技の枠を超えて広がっていく。

 

 もう何度も紹介してきたが、まだスペイン代表の競争力がおよそ世界一流とは言えない90年代、「新世代」として台頭してきたラウル・ゴンザレスが口にしていたのが、各界で目立ちつつあったスペイン人の活躍だった。

 

 WRCで勝つスペイン人が出た。ツール・ド・フランスで勝つスペイン人が現れた。ハリウッドで活躍する女優も出てきた。だから、サッカーもその流れに乗っていきたい――10代だった彼はそう言っていた。十数年後、スペイン代表が悲願のW杯制覇をなし遂げたのは、ご存じの通りである。

 

 ナポレオンに「ピレネーを越えたらそこはアフリカだった」と言われてしまったからなのか、スペインには欧州や英語に対する明らかなコンプレックスがあった。他のどんな国に行くより「Youは何しにこの国に?」と聞かれることが多かったのは、たぶん、コンプレックスと無関係ではない。

 

 だが、世界で結果を残すスペイン人が増えていくことで、彼らはどんどん自信をつけていった。ことサッカーに関する限り、いまや外国人に「なぜスペインに?」と聞く人は絶滅したのではないか。

 

 同じことが、いや、ひょっとしたらそれ以上のことが、日本でも起こる。きっと、起こる……と妄想しながら、ふと思ったことがある。

 

 経済的にみると、90年代あたりからの20年、30年は「失われた20(30)年」なのだという。確かに、円の強さを武器に世界中で逸品を買い漁っていた日本人の姿は、もはやない。存在感が失われてきているというのも、その通りではあるだろう。

 

 ただ、スポーツに目を向ければ、違った日本が見えてくる。

 

 バブルの頃のわたしたちは、果たして想像できただろうか。ゴルフのメジャーで優勝する日本人、メジャーリーグで1世紀ぶり以上の偉業をなし遂げつつある日本人、W杯に出るのが当たり前になった日本を――。

 

 失ったものがない、とは言わない。それでも、日本スポーツ界にとってのここ20年、30年が、わたしには眩しく思えている。

 

<この原稿は21年4月15日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


◎バックナンバーはこちらから