朝日新聞が社説で東京五輪の中止、延期を主張した際、「だったら高校野球も中止に」という声があがった。なるほど、一理ある。ただ、だとすると、わたしも立派なダブスタ野郎である。

 

 開幕へのカウントダウンが始まったいまでも、わたしは開催の延期を望んでいる。命を預かる現場から悲鳴が聞こえている以上、黙殺すべきではないとも思う。

 

 一方で、高校野球はやらせてあげたい。総体も、発表会も、Jリーグも、プロ野球も中止にしてほしくない、と考える自分がいる。医療関係者を慮る気持ちは、五輪について考える時と比べて、ずいぶんと希薄になっている。リスクを負ってでも開催する価値はある、見たい、とまで思う。

 

 媒体によって違いはあるが、目下、少なく見積もっても国民の半分ぐらいは五輪の開催に否定的な意見を持っているという。

 

 原因がコロナ禍にあるのであれば、高校野球やJリーグ、プロ野球に対しても同程度の反対意見があがっていなければおかしい。だが、コロナ禍が原因で東京五輪の延期を希望したつもりになっていたわたしは、東京五輪ほどには高校野球やJリーグ、プロ野球の延期を望んではいない。

 

 理由を考えてみた。

 

 ワクチン接種が進んだとはいえ、依然日本より深刻な状況にある欧州ではサッカーの欧州選手権が開幕した。今大会は1カ国集中開催ではなく、欧州各地で試合が行われる。

 

 48万人もの死者を出したブラジルでは、選手からもあがった反対の声を押し切り、南米選手権が始まった。世界各地で、大規模なスポーツイベントが動き始めた。なのになぜ、わたしは五輪の開催に前のめりになれないのだろう――。

 

 はたと思い当たることがあった。ベルばらか! 池袋か! 調べてみると、案の定だった。

 

 バッハ会長で9代目となるIOC会長の席には、これまで欧州の上流階級の人間がついてきた。唯一の例外は米国から選ばれた5代目のブランテージで、有色人種、南半球から選ばれた人間は一人もいない。9人のうち5人、バッハ会長を“ぼったくり男爵”とするならば、実に6人が爵位の持ち主だった。

 

 彼らは、だから「パンがなければお菓子を食べればいい」といったマリー・アントワネットだった。上流国民だった。彼らは、自分の発言や振る舞いがどれほど日本人の気持ちを逆撫でするかまったく理解しておらず、また、理解しようともしていなかった。

 

 そして、そんな彼らに、理性や数値ではなく、感情で反発していたのがわたしだった。それが、ダブスタの根源だった。

 

 IOCと関係の深い米NBCの最高責任者が嘯いたように、五輪が始まればわたしも大会を楽しむのかもしれない。わたしの拒絶反応を引き出すのはIOCの姿勢であって、スポーツそのものではないからだ。

 

 だが、仮に大会が成功裏に終わったとしても、大会を司る組織への不信は残る。それがわたしだけ、あるいは日本人だけのものに留まるのか、コロナのように世界中に散らばっていくのか。

 

 五輪の未来のために、いまから渾身の力で祈ること、そして少しは開催国の心情に寄り添う発想を持つことを、IOCの皆さまにはお勧めする。遅ればせながら、理性的に。

 

 

<この原稿は21年6月17日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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