皆様お久しぶりです。白寿の岸川でございます。東京オリンピックが始まるこの時期に、新型コロナウイルスの感染数もどんどん増えているという状況です。何度も行っている緊急事態宣言も、今となってはあまり効き目がないような感じになっていますね。そうは言っても、感染拡大防止は一人一人の行動にかかっているのもまた事実です。こうした状況がいつまで続くのか分かりませんが、しっかり前を向いて乗り越えていきましょう。


 今回のコラムは前回から引き続き村田修一選手について書く予定でしたが、オリンピックの時期ということで、私の忘れられないオリンピックの思い出を書いていきます。


 開幕してから連日、様々な競技をテレビで見て、日本選手団を応援しています。私はずっと野球というチームスポーツをしていたので、個人的には団体スポーツの方が好きですが、個人競技でも団体戦を観ているとそのチームが一つの目標に向かう姿に胸が熱くなり、そしてその競技を知るいいきっかけになっています。


 そんな私のオリンピックの思い出は、2008年の北京オリンピックのことです。

 

 北京に参加した野球日本代表は、星野仙一さんが監督でした。私が中日でプレーしていた時の監督でしたが、私は選手として正直、全くお役に立てませんでした。その後、私はジャイアンツの打撃投手となり、主力選手を相手に投げるようになった頃のことです。甲子園球場でジャイアンツが打撃練習をしていると、ケージの後ろには原辰徳監督と話しをしている星野監督、田淵幸一コーチ、山本浩二コーチの姿がありました。全員がレジェンドであり、視界に入ると自然とプレッシャーを感じたものです。とはいえ、星野さんたちは選手を見ているわけで、私はその存在をあまり気にしないように、集中して相手打者に投げ込んでいました。

 

 さて、打撃練習で投げ終わり、挨拶をして選手ロッカーに戻ろうとすると星野さんから呼び止められました。そして「岸川、お前、裏方としてオリンピックに行くか?」と。オリンピックの際、基本的に裏方は各球団から1名ずつが派遣され、その中から本戦に行ける裏方はさらに人数が絞られます。オリンピックなんて想像もしてなかった私は、星野さんの思いもよらない言葉にビックリしました。裏方とはいえ日本代表のユニホームに袖を通す。そして何より星野さんのお役に立てる、と思った私は、間髪を入れず「是非ともよろしくお願いいたします!」と頭を下げました。

 

 星野さんから「よっしゃ、分かった」との言葉をいただき、私は喜びを爆発させたものです。ですが、実際にジャイアンツから派遣されたのは後輩のブルペン捕手でした。

 

 私自身、何が何だかわからない状況で、結局、北京で日本はメダルを逃してしまったのです。そのオリンピック後のことです。甲子園球場で再び星野さんを見かけた私は、「何で私は呼ばれなかったんですか?」と率直に訊ねました。すると、星野さんは「球団には要請したが、ジャイアンツから断りの返事が来た」と言うのです。

 

 北京オリンピックのとき、ペナントレースは今回のように中断されませんでした。公式戦が開催されるということで、当時、主力選手を相手に投げていた私を、球団的には「出せない」とお断りの連絡があったそうです。

 

 ジャイアンツに大事な戦力とされ、必要とされていることが嬉しいものの、オリンピックに行けなかった悲しさもあり、私は何とも言えない複雑な心境でした。野球というスポーツをしている間に、一度はどんな形でも代表チームのユニフォームを着たかった。そして星野さんのお役に立ちたいと思っていました。結局、私の夢は叶うことなく、儚く消えていったのでした。今から17年前のことです。

 

 今回、東京オリンピックで連日、日本選手団のメダル獲得や活躍を見ていて、ふとそんな昔のことを思い出してしまいました。

 

 テレビを通じて見る五輪選手たちは、このような状況で大会が行われたことに感謝の言葉を述べています。8月末から始まるパラリンピックも含め、「開催して良かった」と思える大会であってほしいと願っています。

 

 

<岸川登俊(きしかわ・たかとし)プロフィール>
1970年1月30日、東京都生まれ。安田学園高(東京)から東京ガスを経て、95年、ドラフト6位で千葉ロッテに入団。新人ながら30試合に登板するなどサウスポーのセットアッパーとして期待されるも結果を残せず、中日(98~99年)、オリックス(00~01年)とトレードで渡り歩き、01年オフに戦力外通告を受け、現役を引退した。引退後は打撃投手として巨人に入団。以後、17年まで巨人に在籍し、小久保裕紀、高橋由伸、村田修一、阿部慎之助らの練習パートナーを長く務めた。17年秋、定年退職により退団。18年10月、白寿生科学研究所へ入社し、現職は管理本部総務部人材開拓課所属。プロ野球選手をはじめ多くの元アスリートのセカンドキャリアや体育会系学生の就職活動を支援する。


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