皆さん、こんにちは。白寿生化学研究所の小野仁、2カ月ぶりのご無沙汰です。新型コロナウィルスの猛威はまだまだ収まることはないようですが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。私はこの夏は業務に忙殺されながらも夏の甲子園や東京オリンピックの熱戦を見て、スポーツの素晴らしさを改めて感じた次第です。

 

 夏の甲子園には母校・明桜(秋田)が出場しました。今年はプロ注目の最速157キロ右腕・風間球打(きゅうた)投手を擁し、果たして全国の舞台でどこまで後輩たちがやってくれるのか楽しみにしていました。明桜は1回戦で帯広農業(北海道)に4対2で勝利したものの、2回戦で明徳義塾(高知)に2対8で敗れました。

 

 風間投手は帯広農業戦は140球で9回完投。三振も10個奪う快投でした。明徳義塾戦は6回を投げ、6安打2失点。5つのフォアボールで苦しいピッチングでしたが、8つの三振を奪いました。試合後に「大舞台でプレーできてうれしかった。自分のピッチングを少しは見せられてよかったです」と振り返った姿は、とても頼もしかったものです。

 

 風間投手はこの甲子園後、プロへ進むことを明言しました。「ストレートだけでは通用しないとわかった。上でやるにはもく一段も二段もレベルアップしないといけない」と、本人もプロで活躍するためには、まだまだ足りないものがあると自覚しているようですので、今後を見守りたいですね。

 

 私も経験がありますが、秋田県ではイケイケでも全国では通用しない、これは「秋田高校野球あるある」です。明桜・輿石重弘に話を伺うと「なかなか他県への遠征が難しく、肌で全国レベルを感じられる機会をなかなかつくれない」と言っていました。これは私の高校時代も同様で、近県の青森県や山形県の学校は、結構、遠征を行っているのですが、秋田はなかなかそうした環境が整っていないようです。

 

 私は甲子園には2年生の春と夏の2度出場しました。初甲子園となったセンバツ、鳥取西(鳥取)戦はふわふわした感じでマウンドに上がり、全国レベルを感じる以前の問題でした(笑)。15個の三振を奪いましたが、16安打、7四死球。今振り返っても地に足が着いていませんでしたね。夏は兵庫代表の育英と対戦。育英には大村直之さん(近鉄など)がいて、結局、この夏を制しました。私がマウンドで対峙した印象としては、「強いチームはそつがないな」というものでした。

 

 ランナーが出たらバントやエンドランで確実に塁を進め、それで1点を積み重ねてくる。しかもそうした作戦を選手がきちんと実行できるのもすごいと感じました。何をやっても相手の攻撃を止められない、と感じたものです。

 

 今夏の明徳義塾も風間対策として「低めの変化球は捨てろ」との策を実施していたそうです。さすが名将・馬淵史郎監督だな、と唸らされると同時に、そうした監督の指示を実行できる選手のレベルの高さを改めて感じたものです。「これが全国か」と、私が28年前に感じたことを、風間投手も身を持って知ったでしょうね。

 

 当然、風間投手は今秋のドラフトの目玉になるでしょう。秋田、そして母校の後輩として、私も注目しています。"先輩"のようにならないように(笑)、プロで大活躍するような投手に成長してもらいたいものです。

 

 宮城、青森、山形などの近県がレベルアップしていく中、秋田も高校野球の強化プロジェクトに取り組んでいます。私も恩返しの意味で、なにか貢献したいと常々思っていますが、まあ、強くすることはなかなか難しいことです。

 

 私見を述べれば、秋田の野球をレベルアップするには、秋田市内の高校、秋田商、秋田高などが強くなることも大事です。現在は県内各地の高校が群雄割拠の状態なので、市内の学校が強くなれば「あそこに負けるな」となってレベルアップが図れます。また監督招聘なども県全体で取り組む必要がありますが、県内に強豪私立は明桜だけで、あとは公立ですから、監督人事も簡単ではありません。明桜が1強、中心となって引っ張っていくというのもありでしょう。また県内の実力ある中学生の流出を防ぐ策も講じる必要があり、秋田で育った選手が、秋田の高校で全国へ行き、そしてプロへ進む。そうした良いサイクルができてほしいし、私も微力ながら何でも協力したいと思っています。

 

 昔話のついでに「たられば」は言いたくありませんが、たまにふと考えることがあります。高校からスッとプロに進んでいたら、どうなっていただろうと。そしてプロ野球生活で唯一、残念だったのは名将・野村克也さんの指導を受ける機会がなかったことです。

 

 野村さんの指導を受けたり、関わった方は引退後も立派な指導者、社会人となられています。私も野村さんの下で野球をやって、学びたかったな、と思うこともあります。

 

 そういえば社会人時代、プロアマ戦で野村ヤクルトと対戦することが結構ありました。そのときに楽しみにしていたのは、野村監督の「相手評」です。

 

 記者の方が「相手の小野はどうでしたか?」と聞くと、野村さんが私について感想を述べ、それが紙面に載る。だいたい「素材は良いが、まだまだ荒削り。細かいことはなんもできとらん!」と厳しい言葉ばかりでしたが、なぜか嬉しかったものです。

 

 文末となりましたが、東京五輪・侍ジャパンの皆さん、金メダルおめでとうございます。私も代表ユニホームを着ることのプレッシャーは嫌というほど知っており、その重圧の下、見事全勝で世界一に輝いた代表メンバーの皆さんは素直にスゴイな、と。甲子園、五輪とどっぷりと野球に触れ、いろいろと考えてしまった夏でした。では、今回はここまで。また次の機会に、お目にかかりましょう。

 

 

<小野仁(おの・ひとし)プロフィール>
1976年8月23日、秋田県生まれ。秋田経法大付属(現・明桜)時代から快速左腕として鳴らし、2年生の春と夏は連続して甲子園に出場。94年、高校生ながら野球日本代表に選ばれ日本・キューバ対抗戦に出場すると主軸のパチェーコ、リナレスから連続三振を奪う好投で注目を浴びた。卒業後はドラフト凍結選手として日本石油(現JX-ENEOS)へ進み、アトランタ五輪に出場。97年、ドラフト2位(逆指名)で巨人に入団。ルーキーイヤーに1勝をあげたが、以後、制球難から伸び悩み02年、近鉄へトレード。03年限りで戦力外通告を受けた。プロ通算3勝8敗。引退後は様々な職業を転々とし、17年、白寿生科学研究所に入社。自らの経験を活かし元アスリートのセカンドキャリアサポートや学生の就職活動支援を行っている。


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