第132回 東京パラリンピック終了。いよいよ試されるときに突入!
パラリンピックの開催期間中、「共生社会」や「多様性」という言葉を多く見聞しました。しかし、パラリンピックが直接、多様性や共生社会を連れてくるかと問われれば、答えはノーです。それを承知しているからこそ、パラリンピックの報道は、競技を伝えるだけでなく「共生社会」や「多様性」への道筋をつけていました。様々なアプローチによって"意味づけ"が行われていたと感じました。
国際パラリンピック委員会(IPC)は、パラリンピックの価値として、勇気(Courage)、強い意志(Determination)、インスピレーション(Inspiration)、公平(Equality)の4つを掲げています。
「勇気」と「強い意志」は出場選手に関わる事柄で、障害が個人にあることを前提とし、そのうえで障害をネガティブなこととして捉え、「出場者は勇気と強い意志を持ってここまで来た」ことを価値としています。そして、そんなパラアスリートを見た人は心を揺さぶられます。つまり障害はネガティブなものであるにもかかわらず、強い意志を持って素晴らしいパフォーマンスを見せてくれる。見る人はそこからインスピレーションを呼び起こされるという筋です。そして最後に公平がありますが、全体に障害の個人モデルを軸として働きかけてくるものです。
今回の東京パラリンピックに関する報道を見ていると、だからこそ、それだけに留まらない工夫がされていたと捉えました。多様性に気づかせてくれること、共生社会を実現しなければならないこと、そして東京パラリンピックがその一歩となることなどを盛り込んでいました。
その様子を見るうちに、私は普段の自身の言動を改めて振り返ることになりました。随分としつこく「共生社会」を連呼していたものだと……。半ば押しつけのような、こじつけのようなアプローチだったのではないか……。そうした言葉で、どのくらいのことが伝わっているのだろうか、と。
そんな中、パラリンピックのテレビ中継で、素晴らしい解説を目の当たりにしました。出演していたのは、アテネとロンドンパラリンピックの車いすマラソンで入賞し、現在は指導者として活躍されている花岡伸和さんでした。花岡さんの解説は秀逸というか、驚かされました。
花岡さんは画面に顔が映っているときも、そうでないときも笑顔で、語り口は柔らかな関西弁です。解説の的確さや話題の豊富さはもちろんのこと、見終わってから「え?」と気づいたのは、「共生社会」などという常套句に無理やりつなげていくことが、まったくなかったことでした。
例えばこんな話が印象に残っています。
「車いす競技者でも、成長後に受傷した選手より生まれた時からや幼少期に受傷した選手の方が体型的に有利な場合もある」
聞いていて、「あ~、そうなんだ」と自然に頭に入ってきました。そして、番組が終わってから「そういうこともあるんだ。いろいろあるんだな。きっとまだまだあるんだろうな」と、じわ~っと思わせてくれる解説でした。
実は、これってすごいことだと思うんです。何かに意図的に結び付けられていく感じがなく、面白くて、楽しい。でも、終わってから、「いろいろある」ことが頭の中に残ります。
「なんだこれは!」と感動した私は、後日、花岡さんに、私がどんなに驚いたかをお話しました。すると。いつものように微笑みながら、「言葉よりイメージかな~、思うんです。解説を聞いて、そこから自分で想像する方がその人の頭に残るんちゃうかな~」と。それを聞き、再び、「う~ん」と唸らされました。
9月5日、東京パラリンピックが終わりました。あれから3週間以上が経ち、言い尽くされた言葉通り、"これからが本番"の時期に突入しています。
これからは、これまでのように「共生社会」といった言葉を乱発するのではないアプローチをしていかなくては、と考えを新たにしたものの、「ああ、このように肩ひじ張っている時点で押しつけがましいな」と自己嫌悪に陥っています。
ゴールをずっと先に置いてみて、思い当たることをいろいろやってみるのがいいのかもしれません。試されるのは、私のど真ん中に、果たして「共生社会」という言葉がきちんと腹落ちされているのかどうかです。自分を試せる~。面白くなってきそうです。
<伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>