車椅子ソフトボールの試合に出かけました。車椅子に乗ってプレーするソフトボールで、1チームの人数はソフトボールよりも多い10人(※1)です。出場選手にはクラス分けがあり、持ち点は一人1点から3点。ゲームに参加している選手の合計持ち点が21点を超えてはいけません(※2)。代打または代走を起用する場合でも、合計持ち点が21点を超える交代は認められません。

 

 車椅子ソフトボールは1970年代にアメリカで発祥した競技で、現在、国内では20チームが活動しており、2028年のロスパラリンピックで正式種目入りを目指しています。

 

 初めて見た車椅子ソフトボールですが、私が最大の特徴だと感じたのは、障害の有無、障害の種類、性別、年齢、すべてに何の制限も設けられていないことです。文字通りすべての人が参加できるスポーツです。11月末に行われた試合は、正にそれを体現していました。

 

 なぜ車椅子ソフトボールの取材に出かけたかというと、我がSTANDのスタッフ松田莉奈が、この秋から車椅子ソフトボールを始めたからです。彼女はもともと大学まで本格的体育会のソフトボール選手で、今回、満を持して地元チームの「埼玉A.S.ライオンズ」に入団しました。

 

 同チームはプロ野球史上初となる埼玉西武ライオンズ公認の車椅子ソフトボールチームです。松田はチームの練習に参加するとともに、車椅子操作を強化するためにジムに通い、上半身を鍛えているとのこと。そして、初めての試合があるというのです。これは見ない訳にはいかないでしょう。

 

 11月27日、28日の両日。埼玉県の大宮第二公園で第6回ライオンズカップが行われました。これは西武ライオンズがサポートする大会で、全国から8チームが出場しました。

 

 会場に向かう途中、詳しく地図を見ると「試合会場・大宮第二公園駐車場」と書いてありました。「駐車場!?」。これは記載の誤りか、車で来る選手や関係者のために駐車場の案内をしているのでしょう。と思っていたら、駐車場にラインを引いて、試合会場をつくっていました。聞けば草や柔らかい土のグラウンドは車椅子操作に適さないからとのことです。

 

 試合はとても賑やかで、野球らしい野次も楽しい。「これ打たれへんかったら新幹線はなしやで。歩いて帰りや~」とは関西のチーム。野次られた選手も「歩けへんやろ~」と見事に返していました。こうしたやり取りで両チームがどっと沸き、和気あいあいと、本当にスポーツを楽しんでいるのが伝わってきました。

 

 またこんな出来事が。イニングの途中で審判がタイムをかけ、監督と話しています。何が起きたんでしょう。

 

「埼玉A.S.ライオンズ」チーム代表の一橋卓巳さんにお聞きしました。

 

「選手10人でクラス分けがあり、持ち点合計が21点以内だから、計算が難しいんです。今は点数オーバーじゃないか、と言われたので、その確認しています」
「点数オーバーは即失格ですか?」

 

 すると、隣から別のチームの方が、
「イヤ、バレへんかったらオッケー。この間もオーバーしているのに誰も気づかずに試合終了。打ち上げの時にその場面の話になり、そこで全員『あっ』と気づいて、逆に盛り上がりましたよ。はっはっはー」

 

 参加していた障害のない男性は「野球が大好きで、テレビで見ていた。やりたいな~と思ったんですが、この歳で野球はちょっときつい。でもこの競技は始めるときに抵抗がなかった」と参加理由を教えてくれました。それも見ていて、納得がいきました。

 

 子どもたちがお弁当を食べながら、大人と一緒に競技の話をする。他のチームの試合を観戦する。また、一緒に車でいろんなところに行けるのが楽しい、という子もいました。

 

 参加者の中には身体の見てわかる障害の他に、知的、精神、聴覚障害の人も参加していました。どの選手も、どの場面でも、特別感がまったくありません。すべての人が笑顔でいっぱいのスポーツの現場でした。


 さて、松田はどうだったのでしょうか。彼女は最終回に代打として出場しました。「代打、松田莉奈。背番号33」のアナウンス。見ている私の、本日一番の緊張でした。カキーンと快音を鳴らしましたが、打球はピッチャー正面へ。残念ながらアウト。「まったく。まだまだです」と松田。今後の練習にかける思いを新たにして、初めての大会が終了しました。「がんばれ松田!」

 

※1 クラスQは頚椎損傷者、またはそれに準ずる上肢障害。クラスQを最低1人入れなければならない、クラスQ選手が不在の場合は9人で守備を行い、打順10番目は自動的にアウトとなる

※2 女子選手はそれぞれの点数からマイナス1.5点とする。ゲームに参加している選手の合計持ち点が21点を超えてはならない(小数点切り捨て)

 

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>

新潟県出身。パラスポーツサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。スポーツ庁スポーツ審議会委員。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。STANDでは国や地域、年齢、性別、障がい、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション事業」を行なっている。その一環としてパラスポーツ事業を展開。2010年3月よりパラスポーツサイト「挑戦者たち」を開設。また、全国各地でパラスポーツ体験会を開催。2015年には「ボランティアアカデミー」を開講した。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(廣済堂出版)がある。

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