第135回 トーチを背負って、どこまでも。
コロナ禍の21年、思い出の一つに5月に金沢で参加した東京オリンピックの聖火リレーがあります。関係者の皆様、本当にありがとうございました。詳しくはこちらを御覧ください。
このときのトーチは、現在、私の手元にあります。「ぴったり入るよ」と友人が譲ってくれた楽器用のケースに入れ、いろんなところに持ち歩いています。
おもむろにケースを開け、「じゃ~ん」と取り出すと、ほとんどの方が「わ~っ!せっかくなんで、記念に」と、トーチを持って思い思いのポーズで写真を撮ってくださいます。そして「これ、SNSに載せていいですか?」「友人に送ろう」「家族に見せよう」と、盛り上がってくれます。ガスが入ってないトーチでも重量1キロとちょっと重いのですが、そうやって話の種にしてもらえるのを見ると、持ってきて良かったと毎回思います。
私が本格的にパラスポーツに関わったのは、2003年、初めて電動車いすサッカーのネット生中継を実施したときです。当時、障害のある人がスポーツをすることを知っている人はわずかだったことでしょう。
中継の現場で、「障害者をさらし者にして、どうするつもりだ」というご批判をいただきました。ちょうどその年、石川県出身の松井秀喜選手が海を渡り、ヤンキースのユニフォームに袖を通しました。石川県在住だった私は早朝、衛星放送を見ていましたが「ゴジラを世界中にさらし者にしている!」と言う人は誰もいませんでした。当たり前です。でも、同じスポーツをする人間が車いすに乗っていると、なぜか「さらし者」と言ってしまう。そのことに大きな違和感を持ったことが、STAND事業の原点でした。
その頃と比べると、現在、パラスポーツを取り巻く環境は劇的に変化しました。大きな要因の一つは、東京パラリンピックの開催です。
15年に内閣府が行った調査では、2020年に東京で夏季オリンピック・パラリンピック競技大会が開催されることを知っているか聞いたところ、「知っている」と答えた人の割合が98.1%。「オリンピックは知っているが、パラリンピックは知らない」と答えた人は0.7%でした。9割以上の人がパラリンピックを、つまり障害のある人がスポーツをすることを知ることになったのです。
これだけでも東京パラ開催の意義は大きく、「さらし者にするのか」とのご意見をいただいた私にとっては、隔世の感があります。
閉幕後、共同通信社が全国の障害者を対象にアンケートを実施しました(共同通信社ウェブサイト・2021年11月7日更新)。ここでは「東京パラリンピック大会の開催は障害の理解につながったと思う」との回答が70%に上りました。
オリンピック・パラリンピックは、社会変革活動だったんだなと改めて思います。もちろん現時点で社会が変わったのか、それとも変わりつつある過渡期なのかは計れません。
『知る』は確実に広がった。とすると、次に何を期待をするかと言えば、『行動!』 「開催した意義を最大限に高めるために、私たちができることを!」「 共生社会に向けて、引き続き!」……と、声高にメッセージを唱えてみても、心配なことがひとつあります。
さーっと熱が引いてしまった社会に対して、そうした言葉が空虚に感じられるのです。世間はもう冷めていて、すっかりパラスポーツのことを忘れているようにしか見えないと感じることもあります。大会閉幕から4カ月。これが「たった4カ月なのか」それとも「もう4カ月」なのか。あっという間に遠い過去のことになった、と感じる人も少なくないことでしょう。
だが、しかし。「このままでは社会は変わらないのです」と、くどくど、くどくど、言いたくなってしまいます。
翻って、冒頭のトーチの話です。多くの人が「記念に」と言って写真を撮ってくれるのですが、記念という言葉を改めて調べてみると、「過ぎ去った物事などを思い起こすこと」「後日の思い出として残しておくこと」とありました。
トーチ、そしてその写真は「記念」というには、あまりにもぴったりの宝物ではないでしょうか! それを見るだけで「パラリンピックのことを思い出してね」の想いが一瞬で届き、それをきっかけに、話に花が咲くこともあるでしょう。
そうか、聖火をつないだトーチというのは、これから先もこんな素敵な場面をつないでいってくれるものだったのですね。ずっしりと重いトーチですが、さらにずっしり深い愛情がわきました。この宝物を届けて、とにかく多くの人に記念写真を撮ってもらおう。きっと社会変革の意識を思い出してもらえるはずです。聖火リレー、ありがとう!
<伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>