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田崎健太「国境なきフットボール」

第191回 サッカーへの情熱が蘇る ~安永聡太郎Vol.12~

 2005年、安永聡太郞は横浜F・マリノスから柏レイソルに移籍した。岡田武史監督の下でJリーグ連覇を成し遂げたクラブの中で居場所を失っていたのだ。 2004年シーズン、入れ替え戦に回り、アビスパ福岡を
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田崎健太「国境なきフットボール」

第190回 半年で終わった2度目のスペイン ~安永聡太郎Vol.11~

 このシリーズの1回目に書いた、安永聡太郎にとって2度目のスペイン移籍――ガリシア州フェロールでの生活は半年で終わることになった。 安永はこの街のクラブ、ラシン・デ・フェロールで、フォワードの一角とし
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田崎健太「国境なきフットボール」

第189回 陥った負のスパイラル ~安永聡太郎Vol.10~

 燻っていた火が一気に燃え上がったのは、2001年9月のことだった。 2001年シーズン、第1ステージから安永聡太郎は清水エスパルス監督のズドラヴコ・ゼムノヴィッチに不満を募らせていた。 ゼムノヴィッ
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田崎健太「国境なきフットボール」

第188回 変えざるを得なかったプレースタイル ~安永聡太郎Vol.9~

 1998年10月28日、横浜マリノスと横浜フリューゲルスが合併に向けて動いていることが発覚した。 フリューゲルスの出資会社の1つである佐藤工業が経営不振に陥っており、もう1つの出資会社、全日空もクラ
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田崎健太「国境なきフットボール」

第117回 水に合ったスペイン式サッカー指導 ~安永聡太郎Vol.8~

 1998年1月、クリスマス休暇が明けて、スペインリーグ2部が再開した。 98年6月、安永聡太郞は1年間のスペインリーグ2部、ウニオ・エスポルティーバ・リェイダ・S・A・D(以下、リェイダ)でのレンタ
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田崎健太「国境なきフットボール」

第116回 踏み出せなかった後悔 ~安永聡太郎Vol.7~

 1998年1月、クリスマス休暇が明けて、スペインリーグ2部が再開した。 横浜マリノスからウニオ・エスポルティーバ・リェイダ・S・A・D(以下、リェイダ)にレンタル移籍していた安永聡太郞の契約は、この
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田崎健太「国境なきフットボール」

第115回 リーガエスパニョーラへの憧れ ~安永聡太郎Vol.6~

 1997年、安永聡太郞は横浜マリノスからレンタル移籍でスペインに渡っている。清水商業高校から横浜マリノスに入る際、国外留学の約束をとりつけていたのだ。 安永が加入することになったのは、カタルーニャ州
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第114回 “まさかの落選”、アトランタオリンピック ~安永聡太郎Vol.5~

 1996年3月24日、オリンピック日本代表は準決勝のサウジアラビア戦で2対1と勝利。アトランタオリンピック出場権を獲得した。 28年ぶりのオリンピック出場権を獲得したことで、日本代表には大きな注目が
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第113回 本業を忘れてしまったストライカー ~安永聡太郎Vol.4~

 Jリーグというプロ化によって、日本のサッカー選手は逞しくなり、世界に名乗りを上げられるようになった――。 いわゆる“ドーハの悲劇”で94年ワールドカップアメリカ大会の出場権は逃したものの、95年ワー
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第112回 名手“ラモン・ディアスとの出会い” ~安永聡太郎Vol.3~

 安永聡太郞の人生に大きな影響を与えることになる、スペインサッカーとの遭遇は衝撃だった――。 1995年4月、カタールで20歳以下の選手によるワールドユースが行われた。自国開催の79年以来2度目の出場
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