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田崎健太「国境なきフットボール」

第204回 前園とのブラジルでの一歩目とその後 ~稲川朝弘Vol.13~

 国外移籍したクラブに馴染めるか、排除されるか――。 その成否は移籍初期の段階に決まる。どこの国でも外国人選手に対する目は厳しい。特に攻撃的な選手の場合、得点を挙げる、あるいは得点に絡むことで、自らの
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田崎健太「国境なきフットボール」

第203回 前園真聖の苦闘のはじまり ~稲川朝弘Vol.12~

 それまでの順調に口笛を吹きながら歩んできた人間が、ある時期から躓きを繰り返し、坂を下っていくことがある――。 1996年、アトランタオリンピックで日本代表はブラジル代表を破った。そのピッチでキャプテ
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田崎健太「国境なきフットボール」

第202回 実力十分な森山が帰国した理由 ~稲川朝弘Vol.11~

 1998年はブラジルサッカー界にとってひとつの転換点となった年だった。 3月に『法律9615』――通称・ペレ法が制定されたのだ。これはフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ大統領の下でスポーツ大臣を務め
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田崎健太「国境なきフットボール」

第201回 初めて手掛けた海外移籍 ~稲川朝弘Vol.10~

 今や有能なアスリートに国境はない。多くの日本人選手が国外のクラブにその力を認められて移籍している。しかし、約20年前はそうではなかった。稲川朝弘が初めて日本人選手の国外移籍を手掛けたのは1998年の
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田崎健太「国境なきフットボール」

第200回 代理人としての評価 ~稲川朝弘Vol.9~

 1997年のシーズン前、稲川朝弘はブラジル人ミッドフィールダーのリカルジーニョを名古屋グランパスのキャンプが行われているオーストラリアに送った。 この頃から稲川は、Jリーグ各クラブの強化担当者との繋
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田崎健太「国境なきフットボール」

第199回 道なき道を進み始めた頃 ~稲川朝弘Vol.8~

 1995年、稲川朝弘は代理人として、ヴェルディ川崎の選手だった菊原志郎を浦和レッズにレンタル移籍。さらに鋤柄昌宏、名古屋グランパスの浅野哲也の移籍を手掛けている。しかし、これは苦肉の策でもあった。ヴ
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2018ロシアより愛をこめて

田崎健太 「サッカーにおける“国力”とは」

――ワールドカップでは最良のサッカーをする国は優勝しない。 フランスとクロアチアを観ながら、そんなジンクスを思い出していた。1974年のオランダ、82年のブラジル、あるいは94年のアルゼンチン――どこ
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田崎健太「国境なきフットボール」

第198回 前例なき移籍 ~稲川朝弘Vol.7~

 1993年にスタートしたJリーグは、欧州や南米のサッカーリーグ、そして日本のプロ野球(NPB)などを研究の上、制度設計が成されていた。 球団名からホームタウンをはっきり明記し親会社の名称を外す、とい
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田崎健太「国境なきフットボール」

第197回 J開幕の流れに乗れなかった原因 ~稲川朝弘Vol.6~

 1993年5月15日、Jリーグが開幕した。前日の雨が上がり、昼過ぎからは国立競技場に向かう人たちで千駄ケ谷駅近辺はごったがえしていた。試合に先だって『TUBE』のボーカリスト、前田亘輝が君が代を独唱
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田崎健太「国境なきフットボール」

第196回 代理人としての第一歩 ~稲川朝弘Vol.5~

 1991年は日本サッカーの次世代への胎動の音が大きくなった年であった。 2月にプロリーグに参加する10チームが決定した。後にこれらは「オリジナル10」と呼ばれることになる。その内訳は、(日本サッカー
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