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田崎健太「国境なきフットボール」

第199回 道なき道を進み始めた頃 ~稲川朝弘Vol.8~

 1995年、稲川朝弘は代理人として、ヴェルディ川崎の選手だった菊原志郎を浦和レッズにレンタル移籍。さらに鋤柄昌宏、名古屋グランパスの浅野哲也の移籍を手掛けている。しかし、これは苦肉の策でもあった。ヴ
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2018ロシアより愛をこめて

田崎健太 「サッカーにおける“国力”とは」

――ワールドカップでは最良のサッカーをする国は優勝しない。 フランスとクロアチアを観ながら、そんなジンクスを思い出していた。1974年のオランダ、82年のブラジル、あるいは94年のアルゼンチン――どこ
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田崎健太「国境なきフットボール」

第198回 前例なき移籍 ~稲川朝弘Vol.7~

 1993年にスタートしたJリーグは、欧州や南米のサッカーリーグ、そして日本のプロ野球(NPB)などを研究の上、制度設計が成されていた。 球団名からホームタウンをはっきり明記し親会社の名称を外す、とい
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田崎健太「国境なきフットボール」

第197回 J開幕の流れに乗れなかった原因 ~稲川朝弘Vol.6~

 1993年5月15日、Jリーグが開幕した。前日の雨が上がり、昼過ぎからは国立競技場に向かう人たちで千駄ケ谷駅近辺はごったがえしていた。試合に先だって『TUBE』のボーカリスト、前田亘輝が君が代を独唱
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田崎健太「国境なきフットボール」

第196回 代理人としての第一歩 ~稲川朝弘Vol.5~

 1991年は日本サッカーの次世代への胎動の音が大きくなった年であった。 2月にプロリーグに参加する10チームが決定した。後にこれらは「オリジナル10」と呼ばれることになる。その内訳は、(日本サッカー
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田崎健太「国境なきフットボール」

第195回 自分の目で確かめるためにブラジルへ ~稲川朝弘Vol.4~

 1989年1月、昭和天皇の崩御により、昭和が終わり、平成が始まった。日本サッカー界も新たな時代が動き出した年でもあった。 3月、日本サッカーリーグ(JSL)内の「第二次活性化委員会」が「日本サッカー
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田崎健太「国境なきフットボール」

第194回 サッカーを愛する者たちが必死だった時代 ~稲川朝弘Vol.3~

 人生における選択は、本人が必死で考えたのだと思い込んでいても、後から時代の流れに何らかの形で背中を押されていたと気がつくものだ。 1984年夏、大学3年生だった稲川朝弘はコーチとして母校である日大藤
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田崎健太「国境なきフットボール」

第193回 指導者としての才能 ~稲川朝弘Vol.2~

 高校2年、稲川朝弘は愛知高校から日本大学藤沢高校に転校している。なぜこの学校を選んだのかと訊ねると、「テストなしで入れてくれるというので入った」と笑った。そしてサッカー部も強豪校のひしめく神奈川県の
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田崎健太「国境なきフットボール」

第192回 サッカー界を影で支える代理人 ~稲川朝弘Vol.1~

 李忠成をイングランドのサウサンプトンFCへ、前園真聖をブラジルのサントスFCとゴイアスFCに移籍させる。またウェズレイを名古屋グランパス、レアンドロ・ドミンゲスを柏レイソルに連れてくる。あるいは日本
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田崎健太 最新刊『ドライチ』発売中!

 当HP人気コラム「国境なきフットボール」執筆者の田崎健太氏が、『ドライチ』を出版しました。この本の発売を記念して22日、都内で田崎氏と2005年に巨人からドラフト1位指名を受けた辻内崇伸さんがトーク
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