大原学園JaSRAから浦和レッズレディースに移籍したのは2007年3月。1部昇格を決めた後の移籍だったが、土橋の心の中には少しだけわだかまりがあった。
 土橋にとって浦和レッズレディースといえばかつてのライバルチームである。TASAKIペルーレFC時代では毎年優勝争いを繰り広げてきた相手への移籍なのだ。一方、前年2位のレッズは優勝した日テレ・ベレーザと差を埋めるべくDF陣の強化に乗り出していた。クラブは日本代表の矢野喬子らとともに、経験豊富な土橋の力を必要とした。土橋もその熱意に押され、赤いユニフォームに袖を通すこととなった。
 土橋にとって3つ目のクラブとなるレッズレディースには、これまでのクラブにはない魅力があった。それは05年にオープンしたレッズランドである。当時、浦和レッズの社長職にいた犬飼基昭(現・日本サッカー協会会長)が建設に尽力したスポーツ複合施設だ。真の地域密着を具現化する場所でレッズレディースの選手は日々の練習に励んでいる。田崎真珠の社員としてTASAKIペルーレFCで活躍していたころは社会保障という面では優れていたが、ここまで恵まれた練習環境はなかった。

 浦和レッズレディースに移籍後もアマチュア選手として契約を結んだ土橋はチームのオフィシャルパートナーであるサイデン化学株式会社に就職した。TASAKIペルーレFCでは午前中のみの仕事だったが、サイデン化学では一般社員と変わらない時間帯となる。朝8時に出社し17時半まで業務があり、夜からレッズランドで練習に参加する。レッズレディースの選手たちの多くはアマチュア選手のため、平日は就業後の夜間練習でサッカーの腕を磨いているのだ。新しい職場では製品が規格内に入っているかを検査する部署に配属された。

「実はサイデン化学に就職したレッズの選手は私が初めてなんです。会社内でトップチームのレッズサポーターという方はたくさんいたのですが、私が入るまであまりレディースの方には観戦にいらしていませんでした。でも、私が職場に来たことで、みなさんが試合会場に足を運んでもらえるようになり、すごく嬉しかったですね」

 仕事とサッカーを両立させる生活は場所が変わっても同じだった。移籍1年目の07年と翌08年は3位と惜しくも優勝には届かなかったが、充実した日々を送ってきた。そして迎えた09シーズン、浦和レッズレディースの目標はただ一つ。悲願のなでしこリーグ初制覇だ。

 代表の躍進よりもレッズでの優勝

 08年夏、チームメイトの安藤梢や柳田美幸らが出場した北京オリンピックでは「なでしこジャパン」がベスト4に入る躍進を見せた。世界王者のアメリカに対して2度善戦し、ドイツとの3位決定戦ではメダルを懸けた死闘を演じた。土橋もチーム全員でレッズランドで試合を観戦し、中国の地で奮闘する代表チームに声援を送っていた。

――北京から戻った彼女たちに、何か祝福の言葉はかけたのか? こう問うと、土橋は意外な言葉を返してきた。
「もちろん“おめでとう”とは言いましたが、なにか特別にお祝いをするということはありませんでした。それよりも代表から帰ってきた選手はかなり長い間チームを離れていたので、レッズレディースへ戻ることに必死になっていました。そういう空気がこのクラブにはあるんです」

 09シーズンでは開幕から順調に勝ち点を伸ばした浦和レッズレディース。最大のライバル、ベレーザとの対戦では1勝1敗1分けと五分の星ながらも、他の試合で星を取りこぼすことなく17勝1敗3分け、勝ち点54の成績で初めてのリーグ優勝を果たした。最終的には2位ベレーザに勝ち点差11をつける、独走での初優勝だ。

 土橋は全21節でフル出場を果たし右サイドバックとして初優勝に大きく貢献した。小学生でサッカーを始めてから一貫して右サイドで活躍しているが、経験を重ねるごとにポジションは下がってきている。土橋にとって“右サイド”には、何かこだわりがあるのか。
「ただ単に、右足しか使えないということかもしれません(笑)。しかし、TASAKIまでは右サイドのハーフをやって、大原で初めてDFラインに入りました。サイドバックはただ守っていればいいわけでもないですし、やみくもに攻め上がっていけばいいというものでもない。レッズに来てからサイドバックの仕事を理解し始めて、監督が村さん(村松浩監督)になった昨年からは攻め上がるタイミングもわかってきました。今はサイドハーフと絡んで攻撃する醍醐味を感じ始めたところです」

 全試合フル出場で驚きの初受賞

 元来攻撃の選手だけに、クロスの精度には定評がある。「いいクロスが上がってアシストした時は自分でゴールを決めるよりも嬉しい」と話す土橋。一方で、最近は守備の面白さも感じるようになってきた。
「相手をサイドに追い込んでいって、うまいことはめ込んでボールを奪った時はたまらない」と口にする。トップリーグに加入して8年目、そろそろベテランの域に入ってきているが、サイドバックとしてまだまだ進化し続けている過程なのだ。

 そんな土橋の下に嬉しい知らせが届いたのは11月28日。今季の活躍が評価され、自身初のなでしこリーグベストイレブンに選出されたのだ。「最初にベストイレブンと聞いたときにはすごくびっくりしました。チームメイトの中でも同じ右サイドで強引なパスを無難にさばいてくれる柳田(美幸)選手や、後ろから的確に指示を出してくれる山郷(のぞみ)選手もいて、いろんな方の支えがあったからこそ取れたものだと思います」。受賞に対し素直に驚きながらも第一に周りの選手への感謝を伝える。いかにも土橋らしい温かい言葉で喜びを表現した。

 土橋に好きなサッカーのスタイルを問うと、「バルセロナのポゼッションサッカー」とすぐに答えが返ってきた。中盤を構成するシャビやアンドレス・イニエスタの華麗なパス回しに魅了されるのだという。そして、忘れていけない選手がもう一人……。
「ダニエウ・アウベスです。すごい運動量ですし、クロスもすごい。目指したい選手です」
 ブラジル代表でもレギュラーを張る世界最高の右サイドバック。彼女にとって理想にして、究極の目標なのかもしれない。

 リーグ優勝を果たしたレッズレディースだが、09シーズンはまだ終わっていない。12月6日にスタートする全日本女子サッカー選手権でクラブ史上初の2冠を狙う。決勝の舞台は2010年元旦・国立競技場だ。「とにかく全日本で優勝して、最高の形で今シーズンを終わりたい」。そう力強く語った土橋の視線は、トーナメント表で最も高いところにある決勝の舞台を見据えている。

(おわり)
>>第1回はこちら
>>第2回はこちら
>>第3回はこちら
>>第4回はこちら

土橋優貴(つちはし・ゆうき)プロフィール>
1980年1月16日、徳島県阿南市出身。小学2年から父親の影響で地元の少年サッカークラブでサッカーを始める。富岡東高では陸上部に所属、高校3年時に100mハードルでインターハイに出場。98年、大阪体育大に進学し女子サッカー部に所属。在学時に日本代表に初選出される。02年、田崎真珠に入社しTASAKIペルーレFCに所属。03年にはリーグ戦優勝、03・04年全日本女子サッカー選手権を連覇。06年、大原学園JaSRAサッカークラブへ移籍、当時2部だった同クラブを1部昇格に導く。07年、浦和レッズレディースに移籍。右サイドバックとして活躍し、09年なでしこリーグ優勝に大きく貢献。自身初めてのベストイレブンにも選出された。






(大山暁生)
◎バックナンバーはこちらから