46歳まで現役を続けた伊藤剛臣さん。コンタクト系球技の代表ともいえるラグビーでは、異例の長さだ。激闘の連続だった現役時代を当HP編集長・二宮清純と振り返る。

 

二宮清純: 7月9日に国立競技場で行われた日本対フランス戦(リポビタンDチャレンジカップ2022)は、いかがでしたか。

伊藤剛臣: 実はフランス代表は、私が高校でラグビーを始めて以来、世界で一番好きなチームなのです。

 

二宮: そうなんですか!?

伊藤: 好きになったのは30年以上前ですが、ボールをよく動かす戦い方がすごくかっこよく見えました。同じヨーロッパでもイングランドやウェールズ、アイルランド、スコットランドなどはフォワードの戦いが多かったですが、フランスはバックスに展開するチームなんです。

 

二宮: 「シャンパンラグビー」と言われていましたね。シャンパンの泡がはじけるみたいに、次から次へと人が現れ、ボールが常に動いていく……。

伊藤: 2003年、私は初めて先発でラグビーワールドカップ(W杯)に出場し、2戦目でフランスと当たりました。後半20分まではいい勝負ができたのですが、それ以降は実力差が出て負けてしまいました。ただ、みんな体を張りまくり、いいタックルがたくさん突き刺さった。そうしたら世界のメディアが日本ラグビーの愛称「チェリー・ブロッサムズ」を文字って「ブレイブ・ブロッサムズ」と呼んで、その勇敢さをたたえてくれました。あれは私たちの誇りでしたね。

 

二宮: フランスは、それほど体が大きいチームじゃないですよね。

伊藤: そうですね。小柄でもスピードとスキルのある選手が選ばれるチームなので、日本にとってはすごく模範となるチームなのです。

 

二宮: 今の日本代表スクラム・コーチの長谷川慎さんは、フランスから相当学ぶことが多かったと言っていました。フランスには、スクラムの研究所があって、そこでは、どのように組めば力を逃さずに最大限のパワーを発揮できるかを研究しているそうです。

伊藤: ラグビーは、ボール争奪が重要で、スクラムというのはまさにその象徴です。だからこそ、こだわりがある。フランスは、組んだ時のそれぞれの足の位置などすごく細かく突き詰めるチームです。けれども、当時の日本代表は、スクラムでは世界にかなわないと考えていたので、とにかく組んだらすぐにボールを出す「ダイレクトフッキング」をやっていました。だから私は、まともにスクラムで押したことがありません(苦笑)。

 

二宮: スクラムで最後尾から力を伝えるナンバーエイトがほとんど押さなかったというのは面白い。それが今では互角とはいかないまでも、世界の列強と戦えるまでスクラムが強くなったというのは、感慨深いものがあります。

伊藤: 本当に素晴らしい成長だと思います。

 

二宮: 今回のフランス戦で印象に残っている選手はいますか。

伊藤: まずはリーチ・マイケル選手です。2015年と19年のW杯でキャプテンとしても大活躍しましたが、「力が落ちたのではないか」と言われていました。けれども、フランス戦では素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。あとは、堀江翔太選手ですね。私は彼の大ファンなのですが、パス、タックル、セットプレー、全てがトップレベルで、これだけ世界と互角以上に戦える日本のフォワードは他にいないと思います。日本のラグビー史上、一番すごいフォワードだと言っても過言ではないでしょう。

 

二宮: 彼のプレーは遊び心があって見ていて楽しい。昔バスケットボールをやっていたそうで、ピボットの要領でクルリと回転して相手選手をかわすのがうまいですね。今までの日本選手にないスキルを持っています。

伊藤: 非凡ですよね。それにパスもうまいし、前にキックも蹴れる。

 

二宮: フランス戦で、堀江選手は後半18分に途中出場しました。所属する埼玉パナソニックワイルドナイツでも、同様に“スーパーサブ”的な役割でラグビーリーグワンの初代MVPに輝いています。リーグMVPが主に途中出場の選手だなんて昔は考えられませんでした。

伊藤: 選手にしてみれば先発出場したいのは当然ですが、時代は変わり、運動量も増える中で、リザーブの選手が重要になっています。交代した時に、いかに高いパフォーマンスを発揮できるかがとても大事なのです。

 

二宮: 伊藤さんもやはり先発出場にこだわりが?

伊藤: 当然ですよ。1999年のW杯でオールブラックス(ニュージーランド代表)とぶつかった時、私は後半20分の出場でした。体も軽いし動き回れるということでスーパーサブに使われたわけですが、心の中では「ふざけんな」と思っていました。

 

二宮: 先発選手が発表されるときは、緊張するでしょうね。

伊藤: もうガチガチですよ。試合の前日に1番から順番に名前が呼ばれてジャージを手渡されるのですが、ある時、ドキドキしすぎて8番で呼ばれた名前がよく聞こえなかった。それで隣の選手に確認したら私だったということで、すごくほっとした思い出があります。

 

(詳しいインタビューは9月1日発売の『第三文明』2022年10月号をぜひご覧ください)

 

伊藤剛臣(いとう・たけおみ)プロフィール>

1971年4月11日、東京都荒川区出身。法政第二高校時代に担任教師の勧めでラグビーを始め、3年時には高校日本代表に選出される。法政大学進学後、3年時には大学選手権で25年ぶりとなる優勝をもたらした。大学卒業後は名門・神戸製鋼に入社し、1年目から試合に出場。94年度の全国社会人大会、日本選手権(7連覇)制覇に貢献した。2012年、活躍の場を求めて釜石シーウェイブスRFCに移籍。18年に現役を引退した。日本代表では、1999年、2003年のワールドカップに出場。キャップ(出場試合数)62。現在は、釜石シーウェイブスRFCのアンバサダーを務める傍ら、ラグビー解説者としても活躍している。


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