15勝8敗3分け――。これが7月25日時点での大谷翔司(スクランブル渋谷)の戦績だ。スター街道を歩む者たちと比べれば、輝かしい記録とは言えないかもしれない。勝ち越してはいるものの、この道程は8度の負けから立ち上がってきた証でもある。その点は誇れるものと言っていいのではないか。だが彼は首を横に振る。

 

「負けていい試合はひとつもない」

 それが大谷の偽らざる心情だろう。「力が出せず負けた時は、サポートしていただいた周りの方に対し、裏切ったような気分になります」。後悔の念は敗戦にだけ発露するわけではない。引き分けや、内容に不満を持つ勝ちを含めれば、2桁以上は試合後、悔しい気持ちでリングを降りたということになる。

 

 中でも「最高」と「最悪」が入り混じったのが2019年2月のことだ。大谷にとって初のタイトルマッチはプロ転向4年目にして訪れた。会場は東京・新木場スタジオコースト。『PANCRASE REBELS RING.1』で良太郎(池袋BLUE DOG GYM)が持つREBELS-MUAYTHAIライト級(61.23kg)のベルト奪取に挑んだ。しかし、結果はドロー。王座は動かなかった。大谷はこう試合を振り返る。

「絶対に負けられないという気持ちが強過ぎた。コンディション的には過去最高に良かったんです。負けることを恐れてアグレッシブに戦えなかった。最高の仕上がりだったのに最悪の試合になりました」

 

 足りなかったのは大谷曰く「負ける覚悟」だ。言い換えれば、負けを恐れない、心の割り切りか。「その覚悟で試合を臨んでいけるようになってから、ある程度力を発揮できるようになった気がします」。6月の試合はドロー、10月は判定勝ち、12月はドロー。すぐに目に見える結果に変わるほど甘い世界ではないが着実に力をつけていった。

 

 大谷の感触で「7、8割は出せた」というのが20年2月の『KNOCK OUT CHAMPIONSHIP.1』(東京・大田区総合体育館)での一輝(OGUNI-GYM)戦である。ニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF)の元ライト級王者相手に1ラウンドから優位に試合を運んだ。1ラウンド終了間際に連打でダウンを奪うと、3ラウンドに2度のダウンを奪ってのKO勝ちを収めた。

 

 その年の8月には自身2度目のタイトルマッチに挑んだ。JAPAN KICK BOXING INNOVATION(略称・INNOVATION)主催の『Join Forces-16』(東京・新宿FACE)でライト級王座決定戦の臨み、紀州のマルちゃん(武勇会)に3-0で判定勝ちを収めた。「自分の力の半分しか出せず、ギリギリ勝った」と内容には満足していないが、初タイトルを奪取。その後もREBELS-BLACK 63kg級(現・KNOCK OUT-BLACKライト級)王者のバズーカ巧樹(菅原道場)とのノンタイトル戦に勝利するなど9戦負けなしと勢いに乗った。

 

 21年5月のバズーカ巧樹とのタイトルマッチ(KNOCK OUT-BLACKライト級)、22年3月の世界キックボクシング協会(WKBA)世界&KNOCK OUT-REDライト級王者・重森陽太(伊原道場稲城支部)とのノンタイトル戦には判定で敗れたものの、王者と好勝負を見せたことで、大谷の評価が下がることはなかった。その間(21年12月)に紀州のマルちゃんとリマッチを行い、KO勝ちでINNOVATIONライト級王座初防衛に成功。22年4月、『RIZIN TRIGGER 3rd』(東京・武蔵野の森総合スポーツプラザ)で力也(士魂村上塾)にKO勝ちし、大きなインパクトを残して見せた。

 

「結果を出すことが一番の幸せ」

 

 迎えた7月、『KNOCK OUT 2022 vol.4』(東京・後楽園ホール大会)で梅野源治(PHOENIX)と対戦した。「日本ムエタイ界の至宝を狩って、ライト級のトップにいきたい」と自らの“出世試合に”と目論んだが、ムエタイの本場タイの二大殿堂と言われるラジャダムナンスタジアム認定のライト級王座をはじめ8つのタイトルを獲得した男の牙城は崩せなかった。

 

 左ミドルで距離をコントロールし、接近戦となれば肘を振るってきた。特に左ミドルは大谷の右腕から右脇腹を襲い、攻撃力をも削ってきた。それでも大谷は「精神力は削られなかった」と折れなかった。これには対戦した梅野も、一夜明け会見で「自衛隊上がりで根性、精神が鍛えられているだけあって、あれだけミドルを蹴られても最後まで諦めずに向かってきた」と語っていたほどだ。

 

 だが試合終了間際、梅野の右肘が大谷の眉間を切り裂いた。後ろにフラついた大谷を見て、レフェリーが試合をストップした。3ラウンド2分57秒TKO――。“下剋上”は果たせず、ライト級トップ戦線への道は、足踏みを余儀なくされたのだった。

 

 8個目の黒星にも彼は下を向いていない。自身のTwitterで<おれが勝たなきゃいけなかった>と反省しながら<今後の成長を見せたいと思います>と再起を誓った。「ライト級の一番強い選手。団体の垣根を越えて、“ルール関係なく、ライト級は大谷が最強”という存在になりたいです」という大谷の目標がブレることはない。

 

 憧れはK-1で“ミスターパーフェクト”の異名をとったアーネスト・ホースト(オランダ)、UFCで圧倒的な強さを誇ったアンデウソン・シウバ(ブラジル)だ。「何でもでき、隙がなく安定したファイターになりたい」。それぞれの道で頂点を極めた彼らと比べれば、大谷は荒削りのファイターである。逆に言えば、これからの選手と言うこともできるだろう。

 

 スクランブル渋谷の増田博正代表は、教え子たちに対し、「練習や試合で苦しい思いをしているのだから、彼らが“格闘技をやっていて良かったな”というポジションまで引き上げていきたい」との思いで指導している。それは大谷に対しても同様で、今後にこう期待を込めている。

「大谷は経験を重ねて強くなっていくタイプ。キャリアを積んでいきながら、私が言ってきたことを理解し、吸収してきた。KNOCK OUTのベルトを獲り、K-1やRISEのトップファイターとも渡り合えるような選手になって欲しいし、そのポテンシャルは十分にあると思っている。そして、いつかは世界のベルトを獲らせたい」

 

 大谷は自らが選んだ道に「後悔はない」という。「キックボクシングで結果を出すことが一番の幸せ。そこに近付くためなら、キツイ練習や減量も苦にならない。運動が好きで、キックボクシングが好き。だから“やっていて良かった”と思っていますし、その意味では天職なのかもしれないですね」。彼はリング上で何度でも立ち上がる。ゴングが鳴るまでは決して諦めない。

 

(おわり)

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大谷翔司(おおたに・しょうじ)プロフィール>

1991年1月12日、愛媛県北宇和郡松野町生まれ。小学1年時にスポーツ少年団でソフトボールを始め、中学・高校は野球部に所属した。高校卒業後は陸上自衛隊に入隊。約5年間歩兵部隊に配属される、徒手格闘訓練隊で鍛錬を積んだ。23歳の時にプロ格闘家になることを決意し、自衛隊を退職。アマチュアで14戦12勝2分けと負けなしで、「第13回J-NETWORKアマチュア全日本大会~秋の陣~」で優勝を果たした。15年に上京後はスクランブル渋谷で鍛え、16年4月プロデビュー。20年8月のINNOVATIONライト級王座決定戦で紀州のマルちゃんを破り王座獲得。21年12月には紀州のマルちゃんと再戦を行い、1ラウンド1分21秒KOで初防衛に成功した。22年7月25日現在、プロ通算15勝8敗3分け。身長178cm。

 

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(文・写真/杉浦泰介)

 


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