さあWBC。ここまできて、余計なことを言っても始まらない。松坂大輔もイチローもダルビッシュ有も村田修一も、誰もが力を発揮して勝ち進むことを祈る。今は、ひたすら日本代表を応援したい。
 開幕までの強化試合は、決して楽観視できる内容ではなかった。イチローの不振がずいぶん騒がれたけども、それはまあ、本番になればヒットくらい打つでしょう。それよりも先発三本柱である松坂、ダルビッシュ、岩隈久志が、どこかマウンドでしっくりきていないのが気になった。

 もちろん、盛んに取り沙汰されたボールの違いによるとまどいもあるのだろう(松坂は慣れているはずだが)。しかし、決してそれだけが原因ではないはずだ。というのは、中継ぎ、抑えで登板した投手は(わずかの例外を除いて)おおむねきっちり抑えているのである。なぜ、最も実力があるはずの先発三本柱に不安要素が目についたのか。おそらく、球数制限の影響である。球数を減らさなくちゃ、5回まではいかなくちゃ、しかし、球数を使ってでも一人一人きっちり抑えなくちゃ、という精神状態で、本来の力が出せなくなったのではないか。

 第1ラウンドで投げられる球数は70球までだの、50球以上投げたら、次の登板は中4日だの、50球未満なら中1日で登板できるだのと、球数制限は複雑きわまる。そんなことを考えていたら、ピッチングになりません。多くの人が感じていることだろうが、実に愚かなルールである。投手が投球過多で故障したら人権問題になるというのなら、参加国ごとに内規をつくればいいじゃないか。何も、アメリカ流の考え方を全参加国に押し付けることはあるまい。

 何よりもまずいのは、50だの70だのという数字で、ピッチングを切断しようとするその思想である。容易に想像できるように、この思想の背景にはメジャーリーグに浸透した、先発投手は100球をメドで降板させる、という考え方があるに違いない。だが、あえていえば、100球はあくまでもメドである。たとえばノーヒットノーランの可能性があれば100球すぎても続投させるだろう。WBCルールでは、その可能性さえない。数字で完全にゲームを切断してしまう。この差は大きい。

 まったくアメリカ人の独善的合理主義はしょうがねえなぁ、と笑っている場合じゃありません。わが日本球界にも、今季から同様の思想に基づくルールが導入されることになった。
 15秒ルールである。
 今季から投手が捕手の返球を受けてから次の投球動作に入るまでの時間に制限を設け、15秒と決めた。ただしこれは無走者の場面のみで適用され、二塁塁審が計測して、違反したら投球していないのに「ボール」が宣告される、というもの。

 ご存知のように、キャンプでダルビッシュが見せしめのようにこのルールによって「ボール」を宣告され、彼は「野球にならない」と猛反発をした。
 これは、無条件でダルビッシュが正しい。少なくとも、私はそう考える。
 導入の目的は試合時間の短縮と説明されているが、私たちの体に血が流れているように、そもそもゲームというものには「野球の時間」が流れているのである。これを数字で切断してしまったら、それは本質的にベースボールというゲームではない。その意味で、WBCの球数制限と15秒ルールは同じ思想に基づいている。

 いってみれば、アナログ(データが連続的に変化する量で表れるメカニズム<リーダース英和辞典>)を無理やりデジタル(数字で表示する<同>)に転換させようとしているのだ。いくらテレビ放送が地デジに変わるからといって、野球も無理やりアナログからデジタルにしてはいけません。

 そもそもなぜ人は野球を観るのか。野球というゲームの時間を楽しみたいからである。時間の本質とは、アナログなのではないだろうか。テレビ画面にスコアやカウントだけではなく、球速表示の数字が出るようになって久しい。昨今は、投手の球数も出る。それならば、捕手が投手に返球してから次の投球までに要する時間も出せばいい。あるいは、打者走者が一塁まで到達する時間とか、捕手の2塁送球にかかる時間とか、打者の長打率とかカウント別打率とか、ありとあらゆる数字で画面を埋め尽くせばいいじゃないか。私はそんな数字より、投手の球筋であり、打者のスイングを、運動の流れとして観たいのだが……。

 15秒ルールについて、試しにひとつ、データをとってみました。
 2月21日、阪神の紅白戦である。7回表、マウンドには期待の2年目右腕、白仁田寛和が上がった。打席にはこれまた注目のルーキー上本博紀(早大出)。無死無走者。投打の期待の若手の対決とあらば、阪神ファンならずとも、その内容を知りたいでしょう。ご紹介しましょう。投球までにかかった時間も含め全球を以下に示す。

?ストレート 外角低め ボール 0−1(プレイがかかってから)5秒
?ストレート 外角低め ストライク 1−1 10秒
?ストレート 内角低め 空振り 2−1 10秒
?スライダー 外角低め ボール 2−2 15秒
?スライダー 外角低め ボール 2−3 10秒
?ストレート 真ん中低め ファウル 2−3 12秒
?スライダー 外角低め ボール 四球 19秒

 初球は投球練習が終わって上本が打席に入り、審判の「プレイ」がコールされてからの時間。2球目からは白仁田が捕手の返球を捕ってから、投球動作に入るまでの時間である。
 印象として、白仁田の投球間隔が長いとか、間延びしているということは、全くない。むしろ、テンポよく投げていた。

 見ればわかるように、4球目に15秒かかっている。厳密にルールを適用するなら、紙一重である。これはストレートを3球続けて2−1となって、さてどう打ち取るかというサインの交換をして、変化球を選択した、明らかにその分、長くなったのである。
 最後の7球目は、厳密にルール通りなら、投げる前に「ボール」と宣告されることになる。2−3から1球ファウルで粘られて、最後、どう打ち取るか慎重にサイン交換した。スライダーと決めて、よし、と投球動作に入ったらすでに15秒を過ぎていたということだ。これが「ボール」ですか? そんなご無体な。

 せっかくだから、両選手の評価もしておこう。
 白仁田は去年1年は肩の故障等で出てこなかったが、非常にしなやかなフォームからきれいなストレートを投げる。回転がよくて伸びがあるし、何よりも、外角低目、内角低目というコーナーにきっちり投げられる。今年は1軍でいけるのではないか。強いていえば、スライダーは、もう少し磨いた方がいいように感じましたが。

 上本は広陵高でセンバツ優勝、早稲田大では4年間全試合出場。いわば野球エリートでここまできた。大学時代は、少し大学野球のレベルを見下しながらやっていたような印象がある。彼はやはりプロのレベルが似合う。塁に出たら、猛然と盗塁していたし、全力でやっているのが伝わってきた。打撃センス、守備、スピード。1年目から阪神のセカンドに定着しても、決して驚かない。

 それはさておき、「15秒」という数字で区切りながら見ると、せっかくの白仁田の流麗なフォームも、上本の1球ごとに投手を追い込んでいく打席の流れも、どうしても時間に分断され、没頭して見ることができなくなる。

 ここで7球目を素材にして、もう少し、ルールの問題点を掘り下げたい。
 白仁田にはいま使えるボールがストレートとスライダーしかないだろうから、7球目をバッテリーはその二者択一で考えたはずである。では、これがダルビッシュだったらどうだろう。スライダー、カットボール、フォーク、チェンジアップ、ツーシーム、ストレート……選択肢は格段に多い。ここまでの6球の流れをふまえて、その選択肢から考えることになる。その思考はあきらかに白仁田よりは深い。そのために仮に4〜5秒余計にかかったとして、その時間が試合をダラダラと間延びした退屈なものにするだろうか。その4〜5秒は観る側にとっても緊張感のある時間なのではないか。

 さらに、これがもし、広島カープのコルビー・ルイスであればどうか。選択肢はストレートとスライダーのふたつである(チェンジアップは、肝心なときにはまず使わない)。考える時間はダルビッシュより短いだろう。しかし、これは個々の投手のピッチング・スタイルの問題である。メジャーにだって、ルイス型もいれば、ダルビッシュ型もいる。ピッチング・スタイルは、決して秒数という物理量には還元できない。

 しかしながら、15秒ルールを施行するということは、事実上、ルイス型を強いることにならないか。多様なスタイルがあって、おたがいに切磋琢磨してはじめて、日本野球全体のレベルが上がるはずなのだが(ダルビッシュもいれば、石川雅規も渡辺俊介もいるから、日本の投手のレベルは高く維持されているわけでしょ)。

 白仁田の7球目は、とくに間延びした感じではなかったと述べた。それはなぜか。おそらく、あのとき流れたのが考える時間だったからである。彼は、どうしよう、ストレートかな、スライダーかな、わあー、わかんない、と迷っていたのではない。迷うのは単なる間延びだが、考える時間は、野球というゲームの一部である。逆に言えば、たとえ走者がいるときでも、投球間隔を短くすることはできる。迷っているだけの時間を与えなければいいのだ。

 ところで、ルール運用の当事者である審判はこう発言している。
〈15秒をどう計るかについて、井野修・セ審判部長は「具体的な基準を明らかにすると、ファンが面白半分に時間を計ってやじを飛ばし、進行の妨げになることも考えられる」として公表しない方針だ〉(読売新聞2月22日付)。
 あらためて無惨なルールと申し上げたい。

 デジタルということに戻ろう。
 WBC日本代表チームの人気は大変なものである。宮崎キャンプにも大勢のファンが詰めかけたというし、強化試合にすぎない2月24、25日のオーストラリア戦の中継は、それぞれ、20.8%、18.1%(関東地区)という高視聴率をマークしたそうだ。

 日本代表人気の中心にいるのが、イチローであることは言を俟たないだろう。日米の野球史に残る偉大な打者である。人気も当然といえば当然だろう。
 何しろ、8年連続200本安打ですか。今年200本安打を達成したら9年連続で、これまたメジャー新記録になるそうだ。しかも、シーズン最多262安打という(おそらくは)不滅の記録も樹立した。

 こう考えてみると、改めてイチローはデジタルなヒーローだなと痛感する。もちろん、フライを捕ってレーザービームで走者を刺すようなビッグプレーをデジタルだなどという気は毛頭ありませんが。あれは、まさに陶酔の時間である。

 ただ、と思うのである。日本代表、侍ジャパン、イチロー・ジャパン……どう呼んでもいいだろうが、今回のWBC日本代表人気には、どこかデジタルとの親和性があるのではないかと。そういう時代の趨勢になっているのではないかと。

 どこの球場に行っても、投手が投げるごとにスピードガン表示が出る。投手の球数を表示する球場まである。テレビ画面や球場のスコアボードを、これ以上スコアやカウント表示など必要最小限の数字以外で埋め尽くさないほうがいい。

 WBCに勝っても負けても、日本野球は見るべき魅力に満ちている。そして、勝っても負けても、今後も世界と対等以上に戦っていくための努力を続けなければならない。
 その、より高い技術を追求する営為は、決してプレーを数量化する思想では実を結ばないはずだ。


上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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