アルベルト・ザッケローニ新監督が指揮を執った10月の代表2連戦はホームでアルゼンチンに勝利し、アウェーで韓国に引き分けました。新監督にとって選手を見極める大切な試合で、結果も出してみせたのはさすがだなと感じました。

 ザッケローニ監督は、今までの日本代表の流れを継続しつつ、新しい選手を試していくというオーソドックスな形で采配を揮いました。監督の戦い方をチームに徹底させるというよりも、選手主体で試合をコントロールしているように見えました。新監督からすればサッカーの内容を変えようというよりも、無難なスタートを切ろうという意識があったのではないでしょうか。これまでザッケローニが戦ってきたヨーロッパならば、初陣だろうと勝ち負けの結果を問われるはずです。おそらくザッケローニの頭にあったのは「負けないこと」。選手を見極めつつ、負けなかったことが最大の収穫でした。

 新体制の中で新鮮だったのは、センターバックでコンビを組んだ今野泰幸(F東京)と栗原勇蔵(横浜FM)でした。特にDFラインでリーダーシップを発揮した今野が素晴らしかったですね。南アフリカW杯でセンターバックを務めた中澤佑ニ(横浜FM)や田中マルクス闘莉王(名古屋)とは異なるタイプの2人が、うまくスペースを消しながら2試合を無失点で切り抜けたことは、今後の日本代表にとって明るい材料です。

 たしかに最終ラインでは高さも必要です。しかし、今回の最終ラインはスピードでの対応や予測力にも優れていました。ラインの裏を取られる場面はほとんどなかったのではないでしょうか。これまでの日本は最終ラインに配置する選手というと、どうしても高さを要求することが多かった。そこで今野が活躍したというのは、様々なタイプの相手に対応できる幅が広がったように感じます。中盤でもプレーできる今野はビルドアップする能力もあります。センターバックの2人はザッケローニにとって一番の発見になったことでしょう。ただし、この2試合が親善試合だったことも頭に入れておかなければなりません。特にアルゼンチンは日本に遠征しての試合でしたから、さほど無理はしていない。2人の真価が問われるのは、来年1月のアジアカップからになりそうです。

世界レベルでゴールを奪うために

 攻撃面に目を向けてみると、ゴール前での飛び出しやサイドからの崩しとこちらも岡田ジャパンから継承された部分が目立ちました。ミドルシュートを積極的に狙っていこうという意図も感じられました。アルゼンチン戦の先制点は、まさにそのような姿勢から生まれましたね。最終ラインが安定していたことで、攻撃陣が効率のいい守備から攻撃へ転じる速さを出すことができました。大きな展開でサイドから効果的な攻めを仕掛けられた点も評価できると思います。今回は全体をコンパクトに保つことができ、中盤の選手が細かいパスを繋ぐことで時間的なタメを作って、攻撃に人数を割くことができました。

 世界のトップと互角に渡り合うために、ザッケローニ監督にはここから先を見据えてほしいと思います。人数をかけてゴールに迫ることはできています。さらにここからステップアップするためには「人数をかけずにゴールへ向かう」チーム作りを行ってほしいのです。欧州トップレベルのリーグでは、少ない人数でゴールを奪うことができなければ勝負になりません。日本は中盤に技術の高い選手を抱えている事情もあり、ポゼッション志向が高くなっています。ゴールを奪うにはまず人数を割くこと、という意識が強すぎると感じるのです。ACミランやインテル、ユベントスなどセリエAでも屈指の強豪を率いた経験のある指揮官ですから、これまで日本代表が抱いてきた攻撃に対する概念も打ち破ってほしい。ここが私の願いです。

 今までの価値観を根底から覆すような、相手のスキを一瞬で突いて瞬間での勝負ができるチームができれば、それこそ日本がまだ踏み入れたことのない次元へとステップアップすることになります。ザッケローニは守備の強固なセリエAで戦ってきた経歴があります。そこで、一瞬の美学や怖さを十二分に味わっているはずです。この考えを是非、日本代表に組み入れていってほしい。「堅守速攻」という表現もできるかもしれませんが、「一瞬で勝負をつけるサッカー」。ここを目指して、進化してもらいたいものです。

 2010年の代表戦は韓国戦で終了しました。来年の初めにはアジアカップが控えています。ここでザッケローニにはアジアを制することももちろんですが、世界の舞台に通じるサッカーを披露してもらいたい。その可能性を十分に感じさせる10月の代表2連戦だったと思います。

● 大野俊三(おおの・しゅんぞう)<PROFILE>
 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザ(http://business2.plala.or.jp/kheights/)の総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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