「メリー・“クリフ”マス!」。クリフ・リーのフィリーズへの復帰が決まった翌日、「フィラデルフィア・デイリーニューズ」紙はそんな見出しを掲げた。
 今オフの目玉と言われた左腕エースの決断は、誰をも驚かせる意外なものだった。獲得が本命視されたヤンキース(7年1億4800万ドル)とレンジャーズ(6年1億2000万ドル)から、より良い条件を提示されたにも関わらず、リーは2009年にもプレーして愛着のある古巣フィリーズとの5年契約を選んだのである。
(写真:今季のリーはマリナーズに移籍も、シーズン途中からレンジャーズでプレー Photo by Kotaro Ohashi)
「ある一定以上を稼いだら、お金の問題ではないんだよ」
 15日の会見でリーが残したそんな言葉は、現代のプロアスリートの契約交渉の席ではまず聞かれることがないセリフだけに新鮮だった。
 結果として、ヤンキース得意の札束攻勢は珍しく無惨に失敗。ニューヨーカーに一足早いクリスマス・プレゼントを届けることは叶わず、ヤンキースのフロントは今後、プランBを模索していくことを余儀なくされたのである。

 もっとも、現時点で、ニューヨークのファンや関係者がリー獲得失敗によって立ち直れないほどの打撃を受けているというわけではない。もともと32歳のリーに7年契約はリスクが大き過ぎると考える向きも多かった。特に主力が高齢化している現状で、さらに平均年齢が上がらずに済んだのはむしろ良かったと見る識者も少なくないのが事実である。

 ただその一方で、当面のチーム作りのみを考えたとき、ヤンキースはかなり厳しい状況に追い込まれたことは間違いない。
 現時点で来季の先発ローテ入りが確約されているのはCC.サバシア、フィル・ヒューズ、AJ.バーネットの3人だけ。このうちバーネットは今季、チーム史上に残るほどの不振に陥った。しかも、もう34歳になるだけに来季以降の復権も疑問視される。だとすれば、未だ去就を迷っているアンディ・ペティートが復帰したとしても、あと1〜2人は先発投手を補強しておく必要がある。
(写真:ワールドシリーズ連覇を逃した原因は先発不足にあるとの見方は強い)

 その候補として、トレードで獲得できる可能性がある投手の中に、2年前のサイヤング投手ザック・グレインキーがいる。ただグレインキーはかつて社会不安障害に悩まされた経験があるだけに、ニューヨークのような大都市チームとの契約は拒否するという見方が色濃い。
 それ以外にはビクター・ザンブラノ、マット・ガーザ、デレック・ロウ、エドウィン・ジャクソンといった実力者たちも候補に挙がってはいる。しかし彼らはリー、グレインキーと比較できるレベルのスーパーエースではない。

 さらにFAに至っては、すでにヤンキースで一度失敗しているカール・パバーノくらいしかめぼしい投手は残っていない。こうしてマーケットに出ている名前を見渡せば、インパクトの大きな先発投手の補強は非常に難しいことは明白だ。そもそも、なぜリーの値段があれほど上がったかと言えば、今オフは他に有力投手が少なかったからなのである。

 そしてヤンキースにとって、さらに悪いことにライバルのレッドソックスは着々と効果的な補強を進めている。
 12月上旬に、通算168本塁打を放ってきた強打のエイドリアン・ゴンザレス、過去8年平均50盗塁のカール・クロフォードと次々と契約。リーグ有数のスラッガーとスピードスターを一気に手に入れることで、今季はやや迫力を欠いた打線のてこ入れに成功した。

 ヤンキースのお株を奪う力技でまとめたこの2つの大型ディールがゆえに、“今オフの王者”はすでにレッドソックスで決定。他ならぬ「ニューヨークポスト」紙の読者アンケートでも、80%以上が「現戦力はレッドソックスのほうがヤンキースより上」と答えている。さらにラスベガスのオッズメーカーも、来季ワールドシリーズのカードの最有力候補にはレッドソックス対フィリーズを据えているのである。

 さて、この厳しい状況下で、ヤンキースフロントはいったいどんな手を打ってくるか。例年通り金にものを言わせるだけでは、もう現状は打開出来ない。これまで以上に、キャッシュマンGMの機転とクリエイティビティが問われる時が来たと言ってよいだろう。
 具体的には、まずは辛抱強く逆襲の時期を待つのも1つの手段ではある。FAに好選手が残っていない今、闇雲に動いても限界があるからだ。
(写真:キャッシュマンGMは岡島秀樹の獲得に乗り出しているとの報道もある)

 そもそもオフ中にすべての戦力を整える必要などない。今季、世界一となったジャイアンツに代表されるように、優勝を争うような強豪チームでも、開幕時とシーズン終盤でメンバーが大きく変わっていることは珍しい話ではない。今オフの時点では先発投手マーケットは人材難でも、来季開幕後に低迷チームがエースをトレード要員にすることは考えられる。

 例えばマリナーズのフェリックス・ヘルナンデス、メッツのヨハン・サンタナ(故障で復帰は6月以降と目されているが)、カージナルスのアダム・ウェインライト、マーリンズのジョシュ・ジョンソンらが来季途中に放出候補になったとしても特に驚くべきではないだろう。
 昨今のヤンキースはマイナーに数多くの好選手を抱えているだけに、シーズン中に大物を獲れる可能性は充分ある。だとすれば、必要以上に慌てるべきではない。前半戦では、ポテンシャルの高い若手に先発機会を与えてみるのも良いではないか。

 そして、さらに未来を考えて行くと……「ニューヨーク・ポスト」紙のジョエル・シャーマン記者は、今オフと1992年の冬に起こったことはよく似ていると指摘している。
今から18年前、カブスからFAになったグレッグ・マダックスは、ヤンキースからの高額のオファーを蹴ってトム・グラビン、ジョン・スモルツを擁するブレーブスに移籍した。しかしそれによってヤンキースが立ち直れない大打撃を受けるかと思えば、そんなことはなかった。

 以降、数年の間にティノ・マルチネス、デビッド・コーンらの渋いベテランを効果的に獲得。さらにデレック・ジーター、マリアーノ・リベラ、ペティートといった生え抜きの若手が順調に育ち、ヤンキースは1990年代後半から強固なダイナスティを築いていったのである。
 その当時と同様に、リーを逃したことで手に入れた金銭面と選手起用のフレキシビリティは、もしかしたらヤンキースにプラスに働くのかもしれない。あるいはそうではないかもしれない。真の答えが出るのは……5年か、もっと先の話になるのだろう。
(写真:95年にメジャーデビューしたリベラは、クローザーに転向して成功を収めた)

 だが少なくとも現時点ではっきり言えるのは、今のヤンキースがひとつの分岐点と言える局面にいるということである。 
 2009年、世界一を獲得した当時から、筆者は「高齢ロースターが揃いも揃って狂い咲きした原型のヤンキースは、ダイナスティを築けるタイプのチームではない」と言い続けてきた。実際にアレックス・ロドリゲス、ジーター、ホルヘ・ポサダらが看板として前面に出る時代は、もう間もなく終わりを告げるだろう。

 そしてもし近未来に新たな黄金時代が始まるとすれば、その主力となるのは、まずCC.サバシア、マーク・テシェイラ、ロビンソン・カノーの3人。それに加えて、ここ1〜2年以内に頭角を表すか、新たに獲得される比較的若い選手たちがチームの中心となっていくはずである。
 そういった意味で、今後のヤンキースの動きには、これまで以上に大きな注目が必要だ。フランチャイズ史上でも珍しい、トップFA選手獲得に失敗した2010年オフ。この厳しい冬を発端に、ヤンキースは非常に重要なターニングポイントを迎えることになりそうである。


杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
1975年生、東京都出身。大学卒業と同時に渡米し、フリーライターに。体当たりの取材と「優しくわかりやすい文章」がモットー。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシング等を題材に執筆活動中。

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